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江戸時代の文化2―元禄文化
江戸時代前期の上方で発展した文化。町衆が主役となる。
江戸時代前期の元禄年間(1688~1704)、主に京都や大坂などの上方において発展した文化。幕藩体制が確立すると江戸は人口約100万、京都・大坂は約30万人の大都市となり、武家社会とともに町衆を主役とする市民社会が形成され、学問や文化を享受する新たな生活者層が出現する。自己鍛錬の場として寺子屋が発達し、新井白石が『読史余論』を著し徳川幕府の正当性を歴史学の側面から論証し、数学の分野では関孝和によって和算が大成するなど同時代の学問を支えた。一方、上方は王朝貴族文化の本拠であり、元禄期には雅な貴族的文化に一層の洗練が施され、美術工芸の分野では尾形光琳が活躍し、宮崎友禅斎は友禅染めの華麗な世界を生み出した。こうした貴族文化は町衆には依然、手の届くものではなかったが、墨一色の絵本や浮世絵が親しまれたことでその一旦を垣間見ることは可能であった。また町人文学の分野では、井原西鶴や松尾芭蕉などの作品が刊行され人気を集めた。大坂・曽根崎で実際に起こった心中事件をもとにした近松門左衛門作の浄瑠璃『曽根崎心中』が初演されたのは1703年のことであり、江戸歌舞伎では初世市川團十郎が荒事の芸を創出するなど、演劇史においても旺盛な創意が加えられた時代だったということができる。
文学・芸術
元禄文化を代表する作家
江戸時代前期の俳人。蕉風を確立して後世に大きな影響を与えた
江戸時代の元禄文化を代表する浄瑠璃及び歌舞伎の作者。代表作は『曽根崎心中』など。
歌舞伎は伝統演劇の代表ですが、現在も大変人気の高く、生きている演劇です。立命館大学アート・リサーチセンターの歌舞伎関係資料を様々な角度から紹介します。
語り物音楽の一種。江戸時代にはさまざまな流派が起こり、操り人形と組み合わさって「人形浄瑠璃」という舞台芸術も生まれた。
江戸から現代にまで続く歌舞伎の名跡で、勇壮な荒事をお家芸とする。
江戸時代前期の僧、仮名草子作家。摂津国にある本照寺住職の子として生まれるが、追放の身となり幼少年期を浪々のうちに過ごす。万治2年(1659)頃より仮名草子の刊行をはじめ、『堪忍記』『東海道名所記』『可笑記評判』などを次々と発表し、元禄文化における仮名草子の第一人者となった。
にしやまそういん。江戸時代前期の連歌師、俳人。肥後国に生まれ、幼年期より和歌を学ぶ。上洛の後、里村昌琢から連歌の指導を受け、43歳のときに大阪天満宮の連歌所宗匠となる。その後、貞門俳諧にも親しんだが古典的傾向に飽き足らず、やがて新風を模索して談林俳諧の祖となり、全国に広がった。
けいちゅう。江戸時代前期の古典学者、僧侶。高野山で修行の後、阿闍梨の位を得る。国学者の下河辺長流の知遇を得て古典研究をはじめ、仏典、漢籍、梵語などに精通。徳川光圀の命を受けて古典を注釈、古代の歴史的仮名遣いを明らかにするなど近世における古典研究の礎を確立した。
江戸時代前期の義太夫節の創始者。古浄瑠璃の一派であった播磨節を学んだ後、貞享元年(1684)大坂に竹本座を開場する。元禄16年(1703)には近松門左衛門作の『曽根崎心中』を初演して大入り。後に近松は座付作家となって協働関係を深め、人形浄瑠璃を元禄文化における代表的芸能への発展させた。
学問
江戸時代中期の儒学者、政治家。木下順庵に師事して儒学を修め、門下十哲の一人に数えられるに至った。師の推挙によって甲府藩主徳川綱豊(家宣)の侍講を勤め、6代将軍となった後には幕政に参画。家宣没後には、幼少の7代将軍家継を支えて通貨改革などに尽力し、その間の功績は「正徳の治」とも称される。
やまがそこう。江戸時代前期の儒学者、兵学者。林羅山に師事して儒学を、小幡景憲、北条氏長について兵学を修めた。素行の兵学は儒学を基礎して武士のあり方を説くものであり、門下には大名や旗本の子弟が多数みられた。官学である朱子学を批判したこことでも知られ、赤穂に流されたが後に赦免された。
江戸時代中期の数学者。甲府藩主の徳川綱重とその子綱豊(家宣)に仕え、綱豊が第5代将軍綱吉の養子となったことをきっかけとして江戸に入る。中国の天元術を改めて新しい算法を創造するなど、江戸の高度数学は関孝和にはじまったといわれ、算聖と讃えらる。
江戸時代中期の暦学者。京都に生まれ、岡野井玄貞らに師事して暦算を学ぶ。21歳のときに天体の運行を測り大和暦を作製。平安時代より採用されてきた宣明暦は実際の天象と2日の誤差が出ていたため改暦を進言。貞享元年(1684)、大和暦は貞享暦の名を賜り翌年から施行された。
江戸時代前期の儒学者。京都の上層町衆の家系に生まれ、親族、姻族には角倉了以や本阿弥光悦がいる。若くして朱子学に傾倒するも、やがて孔孟の古義を明らかにし、仁を理想とする実践道義を説いて古義学を大成。寛文2年(1662)には私塾を開き、公卿や文化人と交わるなかで思索を深めた。
美術
「見返り美人」が代表作。浮世絵草創期を支えた絵師。
元禄上方文化を牽引した、琳派の大成者
京友禅、加賀友禅で知られる。江戸中期以降に発達、普及した文様染で、手描き、糊(のり)防染による彩色が特徴
とさみつおき。江戸時代前期の絵師。土佐光則の子として堺に生まれ、父とともに京都に移住。承応3年(1654)、宮廷絵所預(えどころあずかり)に任じられ、室町時代末期より衰退していた土佐派の再興を果たす。伝統的大和絵に漢画や狩野派の様式を取り入れ、新たな土佐派の画風を確立した。
すみよしじょけい。江戸時代前期の絵師。大坂にて土佐光吉・光則に師事した後、宮廷絵所預(えどころあずかり)に任じられ土佐光起とともに京都で活動。寛文2年(1662)、後西天皇の勅命により鎌倉時代の画家、住吉慶忍の画系を復興するため住吉を名乗り、住吉派の祖となる。
江戸時代前期の僧侶。美濃国に生まれ、若くして出家。一宗一派に囚われない自由な気風の持ち主であったと伝えられ、寛文4年(1664)頃から諸国遊行の旅に赴き、鉈彫りによる素朴で力強い円空仏と称される仏像を各地に残す。その数は生涯に12万体ともいわれ、現存数だけでも5000体に上る。
建築・庭
東大寺は奈良市に所在する華厳宗の大本山。聖武天皇の発願によって創建され、天平勝宝4年(752)に大仏開眼供養を厳修する。大仏殿は創建から2度にわたって焼失。現在の大仏殿は公慶上人が大勧進職となり諸国勧進を進め、5代将軍徳川綱吉と生母の桂昌院らの援助を受け、宝永6年(1709)に落慶供養が執り行われた。
善光寺は長野市に所在する寺で、天台宗と浄土宗の両宗派によって護持運営される。草創期の史料は乏しいが、皇極天皇3年(644)には伽藍が造営されたと伝わる。戦乱による火災のため本堂は幾度も再建を繰り返し、現在の本堂は宝永4年(1707)に落成。江戸時代前期を代表する木造建築として、国宝に認定される。
六義園は東京都文京区に所在する日本庭園。元禄8年(1695)、老中の柳沢吉保が徳川綱吉より拝領した地に回遊式築山泉水の庭園を7年の歳月をかけて造営。元禄期を代表する名園と称される。呼称は『古今和歌集』の序に記された和歌の分類法より命名され、園内には『万葉集」などの歌枕や歌意に因み、88景が設けられた。
小石川後楽園は東京都文京区に所在する日本庭園。初代水戸藩主の徳川頼房が将軍より拝領した江戸中屋敷に寛永6年(1629)より築造をはじめる。回遊兼縮景様式が特徴で、日本や中国大陸の名所を表現し、2代藩主光圀に受け継がれ中国趣味の意匠が加えられた。呼称は、中国宋代に著された『岳陽楼記』にある「先憂後楽」に由来する。
岡山後楽園は岡山市に所在する江戸期を代表する大名庭園。貞享3年(1686)、岡山藩主池田綱政が家臣の津田永忠に命じ、14年の歳月をかけて完成する。岡山城本丸の対岸北方に配されたことから当初は御後園とも称され、回遊式庭園の他に武芸演習のための弓場や馬場を設け、築堤を高めるなど防衛に備えた設計も施された。
参考文献
- 詳説日本史図録編集委員会 編,山川出版社
- 児玉幸多 著,中央公論新社
- 辻惟雄 監修,美術出版社
