京都織物株式会社五十年史 / 国立国会図書館デジタルコレクション
製造業
渋沢は、第一国立銀行を拠点として、株式会社組織による企業の創設 ・育成に力を入れます。製造業では、抄紙会社(王子製紙株式会社)を手始めに、欧米の技術や知識を導入した近代的な業種を開拓しました。
渋沢は、日本の近代化にとって、紙幣・債券の流通や新聞・雑誌の刊行には洋紙の国産化が重要であると考えていました。明治6年(1873)、渋沢らが発起人となり、日本で最初の洋紙製造会社である抄紙会社(王子製紙会社)が設立されました。画像は都島工場のライスペーパー仕上げ室。
石炭売買に携わった浅野総一郎(1848-1930)は、王子の製紙会社に石炭を納入したことをきっかけに渋沢栄一に見出されました。浅野は渋沢の紹介で官営セメント工場の払下げを受け、セメント会社を設立しました。
京都の染織業は京都府の勧業政策により、いち早く洋式染織法を取り入れていました。大規模な洋式設備を持った織物会社を創立すべく、渋沢らが織殿(織工場)の払下げを受け京都織物株式会社を明治20年(1887)に開業しました。
欧米で糖業研究を学んだ相馬半治(1869-1946)は、渋沢らの協力を得て明治39年(1906)、台湾に明治製糖を設立しました。
帝国製麻株式会社 編,帝国製麻
日清戦争後の不況を乗り切るため、渋沢も関わって、複数の製麻会社が合併し、明治40年(1907)に帝国製麻会社が設立されました。
大日本製糖株式会社 編,大日本製糖
南洋の糖業事情を調査した渋沢は、松本重太郎らと共に明治28年(1895)に日本精糖を設立しました。
浜田徳太郎 著,大日本麦酒
渋沢は、浅野総一郎らと共に札幌麦酒醸造場を買収して、明治20年(1887)、札幌麦酒会社(のちの大日本麦酒株式会社)を開業しました。
東京石川島造船所 編,東京石川島造船所
渋沢は明治22年(1889)の石川島造船所の設立に尽力しました。明治26年(1893)の株式会社東京石川島造船所への改組後は、渋沢が取締役会長を務めました。
平野力 編,東京帽子
洋風化が進み帽子への需要が高まる中、益田孝(1848-1938)は渋沢と共に日本製帽会社を設立しました。業績不振により解散した同社を継承して、東京帽子株式会社が明治25年(1892)に設立されました。