足利義政
室町幕府第8代将軍。銀閣を建立した。東山文化の庇護者
1436-1490(永享8-延徳2)
室町幕府8代将軍、在職は1449-1473(文安6-文明5)。6代将軍義教(よしのり)の子。初名は義成(よししげ)。文安6年(1449)兄の義勝の早世により将軍職を継承。宝徳2年(1450)受衣(じゅえ)、法名を道禎とする。享徳2年(1453)義政と改める。妻は日野富子。義政の時代は、幕府を支える守護家にも諸国の有力武士にも対立があらわになり、また民衆による徳政一揆が頻発し、寛正(かんしょう)の大飢饉で疫病と飢餓が蔓延していた。初め弟義視(よしみ)を養嗣子としたが、富子が義尚(よしひさ)を産んだことから対立が生じ、幕府内部の細川勝元と山名宗全(そうぜん)、斯波氏と畠山氏ら有力守護家の内紛も加わって、幕府を二分する応仁の乱(応仁1-文明9[1467-1477])が勃発した。乱の最中の文明5年(1473)義政は将軍職を当時8歳の義尚に譲り、自らは猿楽、遊山、酒宴など風流生活に入った。京都東山に山荘を造営し、足利義満の金閣に擬した銀閣を建立し、文明15年(1483)移り住んだ。文明17年(1485)出家。法号は慈照院喜山道慶(じしょういんきざんどうけい)。義政の時代を中心に禅宗や明(みん)の影響を受けた水墨画、連歌、能、茶の湯、立花(りっか)などの文化が開花、東山文化とよばれる。
関連するひと・もの・こと
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足利義政の家集。成立時期は不明 。前半は四季恋雑の部類、後半は雑纂形式で約320首の歌を収録。一部他人の歌が混入しているとされる。
足利義政の定数歌を集成 した歌書。寛正三年百首、文明元年百首、文明四年百首、文明十 三年百首、文明十七年五十首、文明十七年百首の6種(550首)を収める。掲出は、慶應義塾図書館所蔵の江戸前期写本。
武家故実書。『東山殿年中行事』ともいい、足利義政時代の幕府年中行事について記す。安藤(安東)政藤著。成立は不明だが、政藤は文明18年(1486)に申次衆に列しており、その頃のものか。掲出は国会図書館所蔵本で、江戸後期の俳人萩原乙彦、明治・大正期の官僚で蔵書家で知られた渡辺千秋の蔵書印が見られる。
巻子本。足利氏一門で守護職の一色氏にあてた所領充行状などを収める。「冑山(かぶとやま)文庫」所収。掲出は、長禄4年(1460)9月26日の足利義政の所領充行状。宛名は、一色藤長と思われる。「越中國宮川莊事、所充行一色七郎政熈也、者早守先例、可致沙汰之状、如件、長祿四年九月廿六日」。冑山文庫は、貴族院議員で、国学者・考古学者でもあった根岸武香(1839-1902)の収集書。昭和6年(1931)国立国会図書館に寄贈された。
足利義政の書写と伝える「拾遺和歌集」。一冊。奥書によると、藤原定家が祖父の自筆本を一字も違えずに書写して校点を加え、更に藤原為秀が自家に伝えられた一本を以って写書校合して証本として伝えた本を足利義政が書写したものという。
慈照寺銀閣寺の東求堂に掲げられた扁額。足利義政の真筆。『集古十種』は、松平定信編纂の古宝物図録集。鐘銘、碑銘、兵器、銅器、楽器、文房、扁額、印章、法帖、古画の10種について集大成したもの。
武家故実書。義政の長禄期(1457-1460)以降における、申次衆が関与した将軍一年間の御対面の次第を記したもの。奥書によれば、大館伊予守尚氏が永正6年(1509)4月に安藤右馬助政藤の後継である平六の求めに応じて作成した。掲出は九州大学附属図書館所蔵本。宇土細川家の旧蔵書で、細川幽斎自筆本の写し。
座敷飾りの秘伝書。『御飾書』、『東山殿荘之書(ひがしやまでんそうのしょ)』ともいわれ、相阿弥(そうあみ)こと松雪斎鑑岳(かんがく)真相が相伝のため筆写、伝授したもの。内容は足利義政邸(東山殿)の常御所(つねのごしょ)や会所、足利義尚(よしひさ)の小川邸などの座敷飾りの詳細である。『群書類従』所収本の奥書によれば、大永3年(1523)の成立。相阿弥は能阿弥の孫にあたり、父祖に続いて唐物奉行の同朋衆となり室町将軍に仕えた。
書名は「五月雨之記」「東山殿御香合」ともされたようである。
文化6年(1809)写。この家紋集は「見聞諸家紋(けんもんしょかもん)」ともよばれ、応仁・文明頃の成立かとされる。261の図形(重複あり)とともに使用する武家名などが採録される。
銀閣寺東求堂の茶室。中世における、数少ない初期書院造の遺構で、足利義政の創意により、後の四畳半茶室の起源とされる。国宝。
「慈照院」の印のある、足利義政所持本の一冊。唐の詩人李賀(長吉)の詩集『唐李長吉歌詩』の写本。
大正3年(1914)刊、東京。「足利義政と其時代」「風流なる義政」「義政の土木」「義政と明」など(目次より)。
大正14年(1925)刊、東京。「足利義政の寵嬖政治」「義政の驕奢」「義政の後半生」「義政の外交」「東山時代の文学 」など(目次より)。
昭和9年(1934)刊、東京。「足利将軍義政の居館」「河原者善阿彌と孫又四郞附風水説」「足利義政の観たる庭園 」など(目次より)。
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足利義政像(松平定信編『古画類聚』肖像、寛政7年) 古画類聚は一種の絵引き、諸物の百科全書として編纂され、奈良時代以来の肖像画や絵巻、神像などの彫刻の図様を写しとり、主題別に分類する。 東京国立博物館 研究情報アーカイブズ
松平定信が編纂した古宝物図録集『集古十種』の「古画肖像一」による、足利義政像(山城国五條八幡宮蔵)。
足利義政肖像。野村文紹は、谷文晁(1763 - 1840)晩年の弟子とされる。
「鎗の鞘」とともに、名物古瀬戸茶入の双璧と称される。足利義政、義昭、織田信長を経て豊臣秀吉に伝わり、天正十二年(一五八四)小牧長久手の戦いの和議の際、秀吉から家康に贈られ、更に初代義直に譲られた。「横田」は所有者の名と思われるが不明である。大振りで背の高い寸胴形で、胴の中ほどに斜めに大きな箆痕がある。総体に渋紙釉がかかり、梨子地状に銀色に発色する斑点が無数にあり、荘重な味わいの中に華やかさを含んでいる。花兎文古金襴(角倉金襴類裂)の仕覆が付属する。
足利義政は東山文化の担い手としての功績に特筆すべきものがあり、その書は当代一流の文化人にふさわしく、気品あふれる穏やかな筆致をみせる。和歌・蹴鞠を飛鳥井雅親に学んでおり、これらの短冊でも飛鳥井流の影響が顕著にうかがえる。室町時代通行の大ぶりの雲紙に、金銀泥で草花の下絵を描いた華麗な装飾料紙を用いる。歌題は別筆。
古筆手鑑毫戦はいわば古今の筆跡アルバム。古人の筆跡を意味する古筆を、人物を基準に収集・配列したもので、安土桃山時代から江戸時代に多く作られた。
義政花押(足利義政御判御教書、文明元年、土佐家文書巻のうち)
法隆寺宝物。
享徳2年(1453)12月27日付の御教書。御教書は、鎌倉幕府・室町幕府の執権・管領が将軍の意を奉じて出した形式の文書。
長禄2年(1458)3月5日付の御教書。御教書は、鎌倉幕府・室町幕府の執権・管領が将軍の意を奉じて出した形式の文書。
長禄4年(1461)12月14日付の御教書。御教書は、鎌倉幕府・室町幕府の執権・管領が将軍の意を奉じて出した形式の文書。
足利義政御教書(室町時代、長禄2年)
康正1年(1455)美濃国遠山庄の地頭職を遠山左京進景勝とする文書。
室町時代、15世紀。感状は、武将が戦功のあった者に対して与える賞状。
室町時代、長禄2年(1458)。室町幕府将軍足利義政が、反逆した古河公方足利成氏(しげうじ)の討伐を白河顕朝に命じたもの。軍勢催促状ともいう。各地の武将に同時に送られたため小型で大量に製作が可能となる小切紙という形態をとる。命令を受けた武士たちは将軍のために「御敵」と戦うことになる。
大永8年(1528)。応仁2年(1468)5月7日に室町殿の当座歌会が催された。
歌川国芳(くによし、1798 - 1861)は江戸時代末期の浮世絵師。
歌川芳虎(よしとら、生没年不詳)は江戸時代末期から明治時代中期にかけての浮世絵師。
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室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられた。
NHKによる学校向け放送番組のウェブサイト、NHK for Schoolのコンテンツの一つ。
