春の七草は、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべ)、仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)=蕪、蘿蔔(すずしろ)=大根。正月7日にこれらの草を入れて炊いた七草粥(地域によっては七草雑炊)を食べると万病を防ぐといわれている。
古代中国で五節句の一つ、正月7日の人日(じんじつ)に、邪気を避けるため7種の菜の羹(あつもの)を食べる慣習があった。また、一方、日本では古くから、早春に春の野に出て若菜を摘む風習がある。これらが習合することにより、少なくとも平安時代初期には、正月7日に宮中で若菜を羹にして無病を願う行事が行われていた。この羹が粥へと変わったのは、室町時代以降だといわれる。
江戸時代には、幕府が人日を五節句の一つとして公武の行事としたことにより、七種粥が広く民間にも定着した。6日の夜または7日の朝、恵方の方角を向いて、まな板の上に春の七草の草をのせ、包丁・すりこぎなど七つ道具を使って、七草の囃子を唱えながら草を刻む。これを「七種叩き」という。
秋の七草は、萩(はぎ)、尾花(おばな)=すすき、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう)。春の七草が七草粥の食材であるのに対し、秋の七草は観賞が目的とされた。これらは、『万葉集』に収められた山上憶良(やまのうえのおくら)の歌にもとづく。山上憶良の歌では桔梗の代わりに朝顔が入っているが、これが何であるかについては諸説ある。
関連するひと・もの・こと
暦の年初、または年初の行事。日本では歳神様をお迎えする。春の七草は正月の伝統行事の一つ。
五節句の一つである3月3日の桃の節句(上巳の節句)には、おひなさまが飾られる。
五節句の一つ。5月の最初の午の日「端午」に行われた年中行事。後に、5月5日に行われる行事として定着した。
五節句の一つ。7月7日に行われる中国の神話に起源を持つ星祭。
旧暦9月9日の節句。「菊の節句」とも呼ばれる中国由来の年中行事
奈良時代に編纂された、現存する日本最古の歌集。秋の七草は『万葉集』の山上憶良の歌に由来する。
金銀などの細かい粒子を使い、漆器の表面に装飾をほどこす日本を代表する漆芸技法。七草が意匠として用いられている。
江戸時代に盛行した多色刷りの浮世絵。江戸の風俗として、七草をテーマにした作品が残る。
本で知る
後藤光生
江戸中期の本草学者、後藤光生(1696-1771)の著。後藤光生は、江戸の人。田村藍水(らんすい)に師事。著に「本草綱目補物品目録」「和産目録」「紅毛談」など。
北野秋芳,山城屋佐兵衛[ほか4名]
北野鞠塢(きくう:1762-1831)の著。北野鞠塢は、江戸時代の本草家。陸奥国仙台出身。本姓は佐原。名は秋芳。江戸で骨董店をひらき、文化元年加藤千蔭ら文人の協力をえて向島寺島村に花木や草花をあつめ、向島百花園をひらいた。著作に「春野七草考」「都鳥考」など。
北野秋芳,須原屋善五郎[ほか3名]
北野鞠塢(きくう:1762-1831)の著。北野鞠塢は、江戸時代の本草家。陸奥国仙台出身。本姓は佐原。名は秋芳。江戸で骨董店をひらき、文化元年加藤千蔭ら文人の協力をえて向島寺島村に花木や草花をあつめ、向島百花園をひらいた。著作に「春野七草考」「都鳥考」など。
曽永年,長崎屋平吾[ほか1名]
曽永年著。著者の曽永年は江戸時代後期の本草家。先祖は江戸時代初期に中国福建省から来日したと伝えられる。田村藍水の塾で本草学を学び、薩摩藩江戸邸に侍医として仕えて本草学を研究した。曾槃とも。また、曽占春とも号した。
喜田川季壮尾張部守貞 誌,写
喜田川守貞(季荘)が著した近世風俗書。稿本のまま残され江戸時代には刊行されなかった。「専ら民間の雑事を録して子孫に遺す。」という著者の言葉どおり生業、遊戯、年中行事、食物など広範囲にわたり図も交え記されている。喜田川守貞は、文化7(1810)年大坂生まれ。没年は不詳。初め石原氏。天保11(1840)年江戸に移り、北川氏を継いだ。31歳の時、大坂から江戸に移住したので、上方と江戸との相違にも注目している。天保8(1837)年より書き始め、嘉永6(1853)年以降にも追書や追考を行ったとの書入れがある。江戸後期における江戸・京都・大坂の春の七草の慣習について詳細に記述されている。
若月紫蘭 著,春陽堂
明治44年(1911)刊。明治時代の東京の年中行事を月ごとに掲載。「七草(七日)」の項目では、春の七草の歴史や慣習について記述されている。
菊池貴一郎 (芦乃葉散人) 著,東陽堂
著者は明治~大正時代に活動した絵師で、四代歌川広重を襲名した菊池貴一郎。江戸時代の武家や町家の行事を300枚以上の挿絵とともに解説する。武家の春の七草の様子が紹介されており、「武家は七種迄は新年の式務に世話しく七種過より追々平穏に復す」「御台所に掛りにては紋付小袖に麻上下を着し遠土の鳥の渡らぬ先より恵方に迎ひ若草を打ちはやす」などと書かれている。
黒川真道 編,日本風俗図絵刊行会
七つの道具を使ってなずななどを刻む「七草叩き」を描く。喜多川歌麿画『繪本江戸爵(えほんえどすずめ)』は、江戸と郊外の名所や当時の風俗を狂歌とともに紹介。天明6年(1786)刊行。
広重,相ト
二代歌川広重の作。「東都三十六景」は、江戸時代末期に刊行された、江戸の名所絵シリーズ。隅田川東岸の向島百花園は、文化元年(1804)に万葉植物など日本古来の植物を集めて開園。四季折々の草花が楽しめる名所で、「花屋敷」とも呼ばれた。秋には秋の七草を観賞できた。
金井紫雲 著,芸艸堂出版部
昭和22年(1947)刊。身の回りの食用植物を紹介。せりやなずななど春の七草が食べ方とともに解説されている。
上里朝秀 著,玉川学園出版部
昭和4年(1929)刊。衣食住を中心とした日本の風俗について解説された児童書。「正月の祝ひ」の項目で春の七草を解説。
もっと知りたい
絵画に描かれた春の七草
北斎
江戸後期の浮世絵師・葛飾北斎の作。男性はまな板の上に草をのせ、すりこぎを手に持ち七草叩きをしている。
歌麿〈1〉, 鶴屋 金助
美人大首絵で一世を風靡した初代喜多川歌麿の作。左にはしゃもじを手に七草叩きをする若い男性が描かれている。右の女性は小さな子供を背負ったおもちゃの太鼓を持っている。七草叩きの最中に口ずさむ囃子のリズムをとろうとしているのだろうか。
豊国〈3〉,布吉 布吉
美人画の名手、三代歌川豊国による春の七草テーマにした美人画シリーズ。本図の女性は手に七草の寄せ植えを持っている。
豊国〈3〉,-,布吉 布吉
美人画の名手、三代歌川豊国による春の七草テーマにした美人画シリーズ。本図の女性は頭に手拭いを巻き、七つの道具で七草粥に入れる草を叩く「七草叩き」の準備をしている。
豊国〈3〉,-,布吉 布吉
美人画の名手、三代歌川豊国による春の七草テーマにした美人画シリーズ。本図の女性は、春の七草に行われた「七草爪」の最中。「七草爪」とは、七草を浸した水にしばらく指先を浸したあとに爪を切ることで、邪気を払うとされた。
井波喜六斎(初代),Inami Kirokusai,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
春の草花の蒔絵がほどこされた輪島塗の七ツ組の杯。飛騨高山の旧家の旧蔵。注文主が意匠を指定した一品製作品と考えられる。
春潮, 岩戸屋喜三郎
江戸後期の浮世絵師で、美人画を多く描いた勝川春勝の作。「七草叩き」の様子を描く。
辰川, -
豊国〈3〉, 有田屋清右衛門
春の七草に選ばれた植物
セリ科の多年草。日本、朝鮮、中国、台湾などの水辺や湿地に生える。高さ30~60センチで、茎には稜があり、下部は地を這う。夏に3~5センチの白い五弁花をつける。春の七草の一つで、若い葉と茎を食用にする。特有の香りがある。
荒川浩和氏寄贈,Gift of Mr. Arakawa Hirokazu,東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山時代(16世紀)の飯碗、汁椀、壺椀、盃。根が長く伸びた芹の意匠の蒔絵が描かれている。
埋忠七左,By Umetada Shichiza,川田龍吉氏寄贈,Gift of Mr. Kawada Ryōkichi,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)の刀の鐔 銘:山城国西陣住 埋忠七左作
アブラナ科の越年草。北半球に広く分布。高さ10~40センチ。3~5月、白色の小さな十字花を多数つける。果実の形が三味線の撥に似ていることから「ペンペングサ」とも呼ばれる。春の七草の一つ。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
松の樹皮を文様化したといわれる松皮形に上下を染め分け、捻り花を白く染め残した肩衣。背中央に付く狂言紋は、決まり模様である雪輪に薺模様をやや変形させている。白く染め抜いた松皮菱の中に、雪輪に薺紋を2つ描絵で表した珍しい例である。
ナデシコ科の一〜二年草。アジア、アフリカ、ヨーロッパの温帯を中心に広く分布。高さ20センチ程度。春〜秋、枝先に白色で約5ミリの五弁花を多数開く。果実は卵形。春の七草の一つで、平安時代から食用の記録が残っている。通常、ミドリハコベとコハコベを区別せず「ハコベ」と呼ぶが、コハコベは茎が赤褐色を帯び、葉がやや小さい。「ハコベラ」とも。
ナデシコ科の一〜二年草。アジア、アフリカ、ヨーロッパの温帯を中心に広く分布。高さ20センチ程度。春〜秋、枝先に白色で約5ミリの五弁花を多数開く。果実は卵形。春の七草の一つで、平安時代から食用の記録が残っている。通常、ミドリハコベとコハコベを区別せず「ハコベ」と呼ぶが、コハコベは茎が赤褐色を帯び、葉がやや小さい。「ハコベラ」とも。
キク科の二年草。春の七草のホトケノザは本種であるといわれている。本州〜九州、東アジアの暖帯に分布。高さ10〜25センチ。切ると白汁が出る。4~5月ごろ、径7ミリ程度の小さな黄色の頭花をつける。果実は黄褐色で長さ約4ミリ。
北斎
蘿蔔(すずしろ)は、ダイコンの古名。ダイコンはアブラナ科の一~二年草で、全世界で広く分布し、日本でも古くから親しまれている野菜。
伊万里,Imari ware,平野耕輔氏寄贈,Gift of Mr. Hirano Kosuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>大黒天は豊穣の神として広く親しまれており、白ねずみは大黒天の使いとされています。肝心の大黒天の姿はあらわされていませんが、「大根食うねずみ」を「大黒ねずみ」にかけたユニークな判じ物です。江戸時代後期の伊万里焼の大皿であり、宴席で用いられたものとみられます。<br /></p>
広重〈1〉, 山田屋庄次郎
甲冑師,By an unidentified armor maker,東京国立博物館,Tokyo National Museum
絵画に描かれた秋の七草
貞虎, 西村屋与八
江戸後期の浮世絵師・歌川貞虎の作。女性の周りに、秋の七草のすすき、撫子、女郎花、桔梗などが見える。
国周, 万屋善太郎
幕末~明治初期に活躍し、大首絵を得意とした浮世絵師・豊原国周の作。3人の歌舞伎役者の背景に、秋の七草がシルエットで描かれている。
豊国〈3〉, 恵比寿屋庄七
美人画の名手、三代歌川豊国の作。江戸歌舞伎最後の名優とされた四代目中村芝翫が描かれている。背景には、すすき、女郎花、藤袴など秋の七草が蛍とともに描き込まれている。
国安, 山口屋藤兵衛
江戸後期の浮世絵師・歌川国安の作。秋の七草とともに描かれているのは、江戸で女形として人気が高かった五代目瀬川菊之丞。
貞虎
江戸後期の浮世絵師・歌川貞虎の作。川のほとりでとんぼを捕まえようとする女性の周りには、秋の七草のすすき、撫子、女郎花、桔梗などが咲いている。
豊国〈3〉,中村座,イセ芳 伊勢芳 ,山名屋浦里〈3〉岩井 粂三郎
美人画の名手、三代歌川豊国の作。安政4年(1857)に浅草の中村座で上演された歌舞伎に取材したもの。秋の七草を背景に、7人の歌舞伎役者が描かれている。
南方熊楠
植物学者・民俗学者である南方熊楠(みなかたくまぐす)の自筆資料。尾花、萩、朝顔、藤袴、女郎花、瞿麦(石竹)、葛についての記述があり、関連の論文名は不明。
月耕,松木平吉
尾形月耕は、明治~大正時代の日本画家。人力車の蒔絵や輸出用七宝焼きの下絵を描き、新聞、雑誌の挿絵などを多く制作。
月耕,-,-,- 松木 平吉
圭岳, -
秋の七草に選ばれた植物
マメ科の落葉低木。日本、朝鮮、中国、ロシア極東部に分布。高さ約1メートル。初秋のころ、紅紫色で約1センチの蝶形花をつける。果実は平たい楕円形。古くから日本で親しまれている植物で、秋の七草の一つ。マメ科ハギ属ヤマハギ節に属する数種類の植物が一般に「ハギ」と呼ばれている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 右手に数珠を持ち、左手に蓮華を執る十一面観音を線刻しています。こうした鏡の表面に、神や仏の像を線刻や彩色で表わしたものを鏡像といいます。裏は秋草に流水、蝶鳥を配した典型的な平安時代の和鏡文様で、平治元年の銘文を記しており、資料的価値も高いものです。 銅製の鏡の鏡面に、十一面観音菩薩の坐像を線刻しています。鏡の背面には、日本で伝統的に好まれた文様である萩、蝶、鳥や水の流れが、鋳造(ちゅうぞう)の技法によって立体的に表されています。その文様の上に「平治元年(へいじがんねん)」という銘文が刻まれています。鏡背の形式と萩の文様構成、柔和な十一面観音菩薩の表現は、12世紀後半の様式をよく示しており、平治元年はおおよそこの鏡が制作され仏像が線刻された時期と考えられます。 この作品のように、銅製の鏡の鏡面に仏や神の像を線刻したものを「鏡像」といい、日本では10世紀ころから登場します。鏡像は厨子(ずし)に納めたり、紐を通して懸けるなどして、礼拝の対象とされました。なぜ銅製の鏡面に像を表すようになったかについては諸説があり、その一つに、日本における神と仏の信仰の融合があります。日本では、インドに由来する信仰である仏教とは別に、神に対する古くからの信仰があり、銅鏡はその神が宿るものとされました。仏教が伝来して以降、ある特定の神に特定の仏を対応させる考え方が広がり、神体である鏡に仏教の像を表すようになったのです。 この鏡像は、純粋な銅鏡の鏡面に仏像を線刻した点で、最も典型的な鏡像の例といえます。一方でおよそ同時期ころより、単なる銅板に像を線刻したものや、像を浮き彫り風に打ち出したものも作られるようになります。13世紀以降は像がますます立体的となり、円盤と像を別々に作って取りつけた「懸仏」(かけぼとけ)が主流となりました。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 前輪(まえわ)・後輪(しずわ)の外側には海・磯とよばれる起伏があり、前輪の肩には乗馬の際に手掛かりとする手形(てがた)を刳っている。萩の花枝は厚い夜光貝(やこうがい)を用いた螺鈿で表わされ、居木(いぎ)の上面にも折枝を散らす。平安時代に特有の、素朴でありながらも情趣溢れる文様となっている。 鞍は馬の背中に人を乗せるための道具です。日本の鞍は馬に乗る人物が腰を乗せる居木(いぎ)、その前に立てる前輪(まえわ)、後ろに立てる後輪(しずわ)の三つのパーツからできています。この鞍は、萩の文様を、前輪と後輪のゆるやかにカーブした形を生かして伸びやかにあらわし、巧みなデザイン感覚がうかがえます。貝がらの内側を平らに加工して文様の形にカットしたものを鞍に貼り、一度黒い漆を塗ってから研ぎ出してあらわしています。この技法は「螺鈿(らでん)」と呼ばれ、真珠のように七色に輝くその文様表現は日本の漆工芸で広く用いられています。平安時代特有の優美で繊細な感覚がみられる日本の鞍を代表する作品です。
鈴木其一,Suzuki Kiitsu
萩と月は秋を表す好画題といえよう。左右から伸びた紅白の萩は緩やかな動きをもって、対角線上に配置されている。花房と葉の表現には、輪郭線を引かず色の階調を作る付け立ての技法がとられ、葉の葉脈には金泥が施されている。月下の葉色に変化をつけ、絹地の背景に銀泥を引くことで月光を演出するなど、こうした其一の細部へのこだわりが画面に程よい緊張感をもたらすとともに、江戸琳派特有の美麗で瀟洒な品格を醸し出している。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
若い女性を演じる場合には紅糸を織り込んだ紅入(いろいり)の唐織を着用する。和歌を思わせる色紙や短冊、御簾(みす)といった王朝風の模様や金糸を織り込んだきらびやかな唐織は、元禄期以降の特色。幾層にも模様が重なり、高貴な女性を演じるのにふさわしい重厚なデザイン。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>唐織は、主として女性役を演じる際の表着。刺繍のような風合いの縫取織による華やかな模様が特色である。前場のシテとして登場する「里の女」が着用する場合には、下に袴などをつけない「着流し」姿で登場する。秋草と蝶を組み合わせた模様は能装束に好まれた。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
野口が付属する紙札に「天明頃 御殿模様」と記した、武家女性の小袖。清少納言の父、清原元輔(908~990)の和歌「秋の野の萩の錦をふるさとに鹿の音ながらうつしてしがな」(『元輔集』)を意匠化。錦のような萩の野を、鳴く鹿の声とともにわが故里に移したい、という心が詠われる。(小山弓弦葉氏執筆)
イネ科の多年草。広く東アジアに分布。高さ約1.5メートル。山野に群生し、秋に茎の先端に十数本の枝を出し、大きい花穂をつける。この様子が馬などの尾に似ていることから、別名「尾花」とも。秋の七草の一つ。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
鈕は素鈕で界圏をもたず、縁は断面蒲鉾形を呈する。鈕の下方に竹垣を描き、中央に薄(すすき)、その両側に鳥を描いている。
京都国立博物館 Kyoto National Museum
桃山時代に制作された文庫(紙や冊子などをしまって身の回りに置いて使う箱)。黒漆塗りに、蒔絵で薄(すすき)の意匠がほどこされている。
与謝蕪村 YOSA Buson,Eulalia and Deer,color on silk,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
与謝野蕪村は、江戸中期の俳人・画家。摂津国に生まれ、江戸に下り俳諧を学ぶ一方、文人画を描いた。寛保初年から北関東・奥州方面に10余年の放浪生活を送った後、京都に移り、晩年まで絵画修行に努めた。南画や俳画、水墨画を描き、池大雅とともに文人画の大成者とされる。晩年は再び俳諧に情熱を傾け、京都俳壇の中心人物となった。
広重〈1〉,木知, -
マメ科のつる性多年草。茎の長さは10メートル以上に伸びる。山野に生え、葉は先のとがった楕円形の小葉3枚からなる。8~9月、紫色の蝶形花を総状につける。肥大した根から葛粉をつくるほか、干したものは葛根といい、漢方薬になる。秋の七草の一つ。
ナデシコ科の多年草。本州〜九州、東アジアに分布し、草原や川原に生える。高さ50センチ程度。7~9月、茎頂に径3~5センチの白や淡紅色の五弁花を開く。古くから日本で親しまれ、『万葉集』にナデシコを詠んだ和歌が見られる。秋の七草の一つ。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>鈕+ちゅう+をはさんで2羽の鳥を配し、その間にびっしりと撫子の花を表しています。撫子は日本の秋草のひとつとして、文様によく用いられてきました。文様が比較的鮮明で、しかも密になり、縁もやや厚くなるなど、鎌倉時代の造形の特色がわずかに窺えます。<br /></p>
山本春正作,By Yamamoto Shunsho (1610-82),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>表面には金の研出蒔絵で撫子を精細に描いている。花心には金切金を置いて変化をつけ、花弁には淡蒔きを用いて微妙な色調を表現する。蓋裏に「春正(花押)」の蒔絵銘があり、京都で活躍した蒔絵師・山本春正の4代目、春正春継(1703~1770)の作と考えられている。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>女性役を演じる際に、額にあてて、頭の後ろで結ぶ鉢巻のような飾り帯です。華やかな草花文を刺繍(ししゅう)したもので中世の女性が用いていた装飾品が能の女性役の衣装にも取り入れられました。かつては面の上から鬘帯を締めていましたが、江戸時代になると、能役者の額に直接あてその上から面をかけるようになりました。</p>
オミナエシ科の多年草。高さ約1メートル。日当たりのよい山野に生え、夏から秋にかけて、茎の先端部に黄色の小さな花が密に集まって咲く。根を煎じたものは敗醤(はいしょう)といい、漢方薬になる。秋の七草の一つ。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>長い振袖を持つ子供用の帷子。描絵(かきえ)・摺匹田(すりびった)・刺繍(ししゅう)で総模様を表わしたデザイン様式は、江戸時代後期の武家女性の帷子と同様である。この帷子も武家の娘に誂えられたものであろう。明治期に東京で活躍した呉服商・野口彦兵衛のコレクションであった。<br /></p>
広重〈1〉, -
キク科の多年草。大きいものは、高さ2メートルに達する。8~10月、茎の先端部に散房状花序をつくり、淡紫色の頭花を多数つける。秋の七草の一つ
鍋島,Nabeshima ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>画面いっぱいに描かれた藤袴は、秋の七草の一つです。丸い形の皿におさまるようにうまく配置されています。よく見ると、葉の色が少しずつ変化していく自然の姿が映し出されています。身近にある花をよく観察し、細かいところまでいきいきと描かれています。</p>
俵屋宗達・烏丸光広
シルエットの桔梗と淡墨に包まれて白く浮かび上がる兎。月に照らし出された秋の野辺を思わせ、兎の見上げる視線の先には明るい月が暗示されている。俵屋宗達は、兎と月を組み合わせた作品を他にも描いており、月下の兎は得意のテーマだった。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>安土桃山時代にカトリック諸国からの注文によって制作された輸出漆器の典型作。中に収められた画像は、聖ステファノが石打ちに遭(あ)い殉教(じゅんきょう)する『新約聖書』の一場面です。当時スペインの植民地だったメキシコの先住民の伝統技法である「羽根モザイク」で表されています。<br /></p>
広重〈1〉,-, -
喜斎立祥
伝 俵屋宗雪,Attributed to Tawaraya Sosetsu
左隻に白菊、野紺菊などの野菊を中心として、桔梗、女郎花、萩、芒、南天、藪柑子などの秋から冬にかけての草花、右隻にたんぽぽ、芥子、野あざみ、すみれ、つつじ、紫陽花、つくし、蕨といった春から夏にかけての植物を描く。横長の金地画面をいっぱいに使って、地面を描かずに一つ一つの植物を点在させる装飾的な表現は琳派が得意としたもの。精細に描写された草花は生き生きとした生命力を宿している。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>室内での洗面や化粧に使う手水[ちょうず]道具。湯や水を注ぐためのもので、それを受ける角盥[つのだらい]と揃いで使用します。本作は、桃山期に流行した高台寺[こうだいじ]蒔絵の典型例。平[ひら]蒔絵に絵梨子地[えなしじ]を交えて菊、桔梗[ききょう]、女郎花[おみなえし]などの秋草を描き、品よく華やかに仕上げています。<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
表面には隈なく、秋草をのびのびと描き、華やかに飾っています。 技法は金の平蒔絵を主体にして、所々に絵梨子地を交えています。文様・技法ともに伝統的な蒔絵とは異なり、いわゆる高台寺蒔絵の一例で、桃山という進取の時代にふさわしい斬新な表現です。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
<p>方形、隅丸、やや甲盛のある被せ蓋造の硯箱。塵居(ちりい)を設け、錫縁を廻らした格調のある構造をもつ。意匠は総体に秋草(萩・薄)を基調としている。すなわち、蓋表は水辺の土坡に萩と薄、中空に下弦の月を表わし、蓋裏には露をふくんだ萩と薄を、見込にも同意匠を普段は見られない硯の下までほどこす。また、金銅製円形水滴にも萩・薄を刻している。この硯箱は古来、「宮城野の露吹き結ぶ風のおとに、小萩がもとを思ひこそやれ」(『源氏物語』桐壺)を意匠したものと伝えられている。技法はほとんど金平蒔絵を全面に用い、月・露を銀板をもって表わしている。</p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>金の平蒔絵(ひらまきえ)に絵梨子地(えなしじ)や針描(はりがき)を交えて芒(すすき)、菊、撫子(なでしこ)、竜胆(りんどう)などの秋草を描き、空間は梨子地の雲で埋めています。斬新な文様構成、平明な蒔絵技法など、いわゆる高台寺蒔絵の系統を受け継いだ作例です。<br /></p>
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8月上旬。富山県中央植物園では、秋の七草のうち、ハギ、オミナエシ、キキョウ、ナデシコが見ごろを迎えていました。特にオミナエシの黄色が鮮やかでした。このあと、8月の終わりごろにはススキが穂を出し始め、フジバカマやクズが咲き始めます。
千葉県北西部にある柏市は、東京のベッドタウンとして毎年人口が増え続けてきました。北部には利根川、東部には手賀沼があり、水田や田畑も多く農業が盛んです。中でも特産のかぶは、日本一の生産額を誇ります。は古い呼び名では「すずな」、春の七草に数えられ、俳句では冬の季語にもなっています。
神奈川県南西部、静岡県との県境に位置する箱根。古代から山岳信仰の聖地とされ、山と湖が美しい景観をみせます。箱根旧街道は小田原から芦ノ湖畔までの「箱根八里」で、東海道でも大井川と並ぶ難所でした。箱根の北西部、標高650メートルの仙石原に、銀色の穂をたなびかせるススキの草原が広がります。
全国各地の自然や名勝、建造物などを空から撮影したシリーズ「NHK空中散歩」。兵庫県の砥峰高原は、日本有数のススキの群生地です。ススキの季節は、映画やドラマの撮影などにも使われます。
奈良県の北東部に位置する曽爾村(そにむら)。村の自慢は、美しい曽爾高原。9月から11月にかけてススキの絶景を楽しむことが出来ます。門僕(かどふさ)神社の秋祭りは、毎年10月に行われます。祭りの見ものは、300年近く前から伝わる獅子舞と、おかめやひょっとこのユーモラスな踊りです。
奈良県宇陀市の特産品・吉野葛。宇陀市は紀伊山地から降りてくる地下水が豊富であることから、大量の水を使う葛の精製に適した地域です。室町時代から葛の製造が行われていたとされ、今も昔ながらの製法で良質な葛粉が作られています。
見に行く・調べる
12月下旬~1月初めに、春の七草を籠に仕立てた「七草籠」を展示。秋には、秋の七草の植栽と全長30メートルの萩のトンネルが楽しめる。
野草コース内に、「秋の七草園」があり、6~11月にかけて秋の七草を観賞できる。
毎年1月7日に祭典を行い、境内で七草粥をふるまわれる。
毎年1月7日に白馬奏覧神事が行われる。宮中の儀式「白馬節会」を神事化したもので、神前に七草粥を供え、神馬を神覧に供する。上賀茂神社敬神婦人会によって、七草粥がふるまわれる。(有料)
毎年2月11日に、春の七草が神前に供えられ、七草粥がふるまわれる。(有料)
1月7日に七草を神前に供える七草神事を行う。境内で七草粥がふるまわれる。(有料)
有職故実研究家・八條忠基氏が秋の七草の歴史や装束との関係について、文献資料に基づいて解説。
国立科学博物館附属自然教育園内に生息している生物の種名や写真を調べることができる。
春の七草、秋の七草をそれぞれ詳細に解説している。広島大学総合博物館を中心に運営されているサイト。
東邦大学薬用植物園内の秋の七草を写真入りで解説。
「栄養と料理」(女子栄養大学出版部)をデジタル化し公開。七草に関する記事・レシピが検索できる。
参考文献
- 京都府京都文化博物館学芸第一課 編,京都文化博物館
- 福田アジオ, 菊池健策, 山崎祐子, 常光徹, 福原敏男 著,吉川弘文館
- 日立デジタル平凡社,平凡社
- 責任表示
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2024/03/04