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一入作「黒楽四方茶碗 銘 祥雲」(江戸時代) / ColBase

茶の湯の器2 楽焼・備前焼・信楽焼・伊賀焼

楽焼・備前焼・信楽焼・伊賀焼の茶陶。

「茶陶」は、茶の湯のための焼き物のことで、茶碗や茶入、水指、花入、懐石器などをさす。ここでは、桃山時代に千利休の指導によって誕生した樂焼と、わび茶の茶人によって愛好され、発展を遂げた古窯、備前焼・信楽焼・伊賀焼の茶の湯の器を紹介する。

楽焼

桃山時代に、京都の陶工・長次郎が千利休の指導によって創始した茶陶窯「樂家」の作風による茶陶。当初は「聚楽焼」と呼ばれていたが、二代常慶が豊臣秀吉から「楽」の字の印を賜り、後に、「楽焼」と呼ばれるようになったとされる。中国・明時代の三彩陶の技術をもとに、手捏(てづく)ねで成形し、低温度で焼きあげ、釉薬の色によって、黒楽・赤楽・白楽などの呼び名がある。楽家代々のものを「本窯」、一族や弟子のものを「脇窯」という。

桃山時代(16世紀)。茶碗。長次郎作。千利休が陶工長次郎に作らせた茶碗。手捏ねで成形され、緩やかな凹凸があり、手に自然におさまる造形に特色がある。

江戸時代(17世紀)。常慶作。中国伝来の古銅の香炉をモデルに型作りにて成形し、独特の不透明な白楽釉を掛けている。この白釉は俗に「常慶の香炉釉」と呼ばれ、世に伝わる類品の中でも秀作。

江戸時代(17世紀)。茶碗。道入作。道入はノンコウの俗称で知られる、樂家三代。後世歴代随一の名工とされている。薄く削られた口縁、たっぷりとした見込み、流下する光沢のある釉薬などに特色が表れている。

茶碗。伝本阿彌光悦作。諸工芸に長じ、陶技を樂家二代常慶と三代道入に学んだという本阿彌光悦の作とされる赤楽茶碗。箱の蓋裏には、永楽善五郎家一二代和全の極め書が伴なっている。無銘。

江戸時代(17世紀)。茶碗。一入作。樂家四代一入の代表作の一つ。見事に現れた朱斑による景色を「鹿の子」の背の斑に見立てての命銘であろう。全体に締まった姿、小振りの高台などに一入の特色がよく出ている。

江戸時代(18世紀)。茶碗。左入作。左入は楽家六代。大和屋嘉兵衞の子として生まれ、宗入の婿養子となり、宝永5年(1708)に襲名した。

江戸時代(18世紀)。茶碗。得入作。得入は樂家八代。生来病弱であったため、26歳の時に弟(後の了入)に家督を譲り、30歳の若さで没した。作陶期間が短いため遺された作品は多くないが、茶碗の完成度は高い。

江戸時代(19世紀)。茶碗。旦入作。大小一組として重ねた島台茶碗。上の小形の茶碗の見込みには金箔が、下の茶碗には銀箔が押された華やかな姿をしてる。作者旦入は樂家十代当主。

明治時代(19~20世紀)。茶碗。慶入作。慶入は樂家十一代。幕末から明治に移り、茶道界も低迷した動乱の時代を生き、三代道入、九代了入に次ぐ名工といわれる。本作は四代一入風の朱釉が施されている。

備前焼

岡山県備前市一帯で作られる陶器。古墳時代の須恵器の製法が発展したもので、平安・鎌倉時代から皿・壺などの日用品が作られていた。日本六古窯の一つ。わび茶の流行に伴い、室町時代から江戸時代にかけて、水指・花入などの茶陶を盛んに焼成。伊部周辺の田圃の底にある良質な粘土層の土を陶土に用い、一点ずつ成形した後、釉薬をかけずに長時間焼き締める。窯の種類や作品の詰め方などによって生まれる多彩な窯変も魅力。

安土桃山~江戸時代(16~17世紀)。茶入。備前の茶入は天正年間(1573~92)頃から、茶会記に登場する。本作のような形の茶入は慶長年間(1596~1615)に作られたとみられる。

江戸時代(17世紀)。茶入。胴部にヘラで削ったあとが見られ、頸部は肩に沈み込むような形。同時代に流行した、水指や花入などにみられる歪みの表現が反映されている。

室町~安土桃山時代(16世紀)。水指。底から口にむかってわずかに開く、素直な形をしている。よく焼きしまった黒褐色の器肌の前面に、黄がかった自然釉が掛かり、片身替わりのような景色をつくりだしている。

桃山時代(16世紀後半)。水指。矢筈に似た太く巻き返した口縁部は、この時期の水指に多く見られる。備前特有の酸化焼成による赤褐色を呈した土味と窯変、そして力強く豪快な成形が見所。

安土桃山~江戸時代(16~17世紀)。水指。下膨れの胴を持ち、上部は横に数段鎬(しのぎ)を巡らして引き締め、左右に耳を付けた独特の姿。茶陶の制作が最盛期を迎えた頃の作で、千利休所持との伝来がある。

安土桃山~江戸時代(16~17世紀)。水指。胴の下方が膨らんだ備前の水指では穏やかな形。土肌は白みがかったところと褐色に焼き上がったところが混在し、そこに緋襷による景色が現れている。松平不昧旧蔵。

安土桃山~江戸時代(16~17世紀)。花入。徳利としても用いられた花入。焼成時に強く炎にあたらなかったとみられ、よく焼き締まって黒褐色に焼きあがる備前焼とは対照的な、穏やかな肌合い。

江戸時代(17世紀)。花入。形状から旅枕、あるいは経筒と呼ばれる花入。円筒形に作られた後に、頸部に凹線を巡らし、胴を四方から撓めて、桃山様式の茶陶らしい作風を示す。

江戸時代(17世紀)。花入。備前のなかでも珍しい、扁壺の形をした花入。両側の耳の付き方から、意図的に口部を胴部にを沈ませた作為が見られる。

江戸時代(17世紀)。香炉。祖形は中国の青磁口寄香炉。桃山の備前の陶工は大胆に造形を展開させ、そこに火襷という窯変を利用した新たな装飾の技が加わった。

江戸時代(17世紀)。鉢。口縁を立ち上げた反鉢で、茶人の好みが反映された独創的な形。表面には焼成中に薪の灰が降りかかってできる黄胡麻と、丸い小物を置いて重ね焼きをした跡である牡丹餅が浮かび上がる。

昭和時代(20世紀)。鉢。金重陶陽作。金重陶陽は、備前焼窯元の名門「六姓」のひとつに生まれた。室町・桃山期の古備前の作風復元に努め、窯変をもった芸術的作品の制作に成功。備前焼中興の祖といわれた。

信楽焼

滋賀県甲賀市信楽町一帯で作られる陶器。開窯は奈良時代の聖武天皇の時代まで遡るといわれる。日本六古窯の一つ。赤褐色に焼き締まった地肌と、焼成中にかかる緑色の自然釉が特徴。また、素地の中に長石粒が多く、それが表面に白くに現れるのも味わい深い。室町時代から桃山時代にかけて、武野紹鴎、千利休ら、わび茶の茶人に愛好されたことから、茶陶が盛んに作られた。

桃山時代(16世紀)。茶入。

江戸時代(17世紀)。茶壺。

江戸時代(17世紀)。茶碗。

江戸時代(17世紀)。茶碗。本阿弥光甫は光悦の孫にあたり、空中斎と号した。陶芸では信楽風の作風を得意としており、この茶碗は「空中信楽」の代表作。

室町時代(16世紀)。水指。初期の信楽水指。粘土紐巻き上げ成形で、胴はほぼまっすぐに立ち上がり、口に縁がつけられている。正面には黄緑色の自然釉が掛かり、総じて素直なつくり。

室町時代(15世紀)。壺(花入)。肩部に檜垣文がめぐらされた中世信楽の小壺。穀物などの貯蔵用として使われていたが、茶の湯の世界で花入として用いられた。

安土桃山~江戸時代(16~17世紀)。花入。筒形に成形したのち、前後からたわめられ、さらに胴部に凹線が施されている。自然釉が全面にわたって掛かり、土肌の色との違いがあらわれて片身替わりのような景色をなす。

伊賀焼

三重県伊賀市丸柱・槇山一帯で作られる陶器。滋賀県の信楽に近接するが、開窯の年代は不明。古く中世から窯業が行われていたと推測される。桃山時代には、古田織部と親交があり、数寄者であった筒井定次(さだつぐ)が伊賀国の領主になり、茶陶の焼成を推奨。以後、「織部好み」と伝わる、破格の美を象徴した力強い作風の水指や花入が焼かれた。

桃山時代(16世紀)。水指。16世紀末から17世紀初頭の伊賀・信楽で生産された「煎餅壺」の形態を土台としていると考えられる。川喜田半泥子旧蔵。

江戸時代(17世紀)。水指。底を三方からたわめ、頸部に左右非対称の耳を貼り付ける。豪快な作為に富む造形。

江戸時代(17世紀)。水指。胴部を力強く凹ませ、縦方向にヘラ目も施されている。耳の辺りから三段にわたって階段状に削られた肩には緑色のビードロ釉がとっぷりと溜まっている。

江戸時代(17世紀)。香合。寺院の大伽藍を支える礎石をかたどっている。伊賀において珍しい香合の名品。松平不昧が所持していたと伝えられている。

江戸時代(17世紀)。花入。胴に縦に箆目を入れて変化をつけており、器肌からは伊賀独特の長石粒が顔を出す。全体に自然釉が生じ、そこに暗褐色の釉が幾筋も流れて強いアクセントとなっている。

江戸時代(17世紀)。花入。伊賀には激しい歪みを施した表現がしばしばみられるが、この花入もその一つ。炎のあたり方の違いによる、前後の土肌の異なった景色も見どころ。

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参考文献

  1. 茶道資料館 編,淡交社
  2. 仁木正格 著,主婦の友社
  3. 陶工房編集部 編,誠文堂新光社