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勧進大相撲繁栄之図 / 国立国会図書館デジタルコレクション

相撲

土俵の上で力士同士が組み合って戦う日本古来の個人競技。その歴史は古く、古墳時代に力士の埴輪が作られ、奈良時代には宮中の農耕儀礼として行われ、江戸時代に隆盛をみた。

相撲の起源は古く、古墳時代の埴輪(はにわ)から当時すでに行われていたことが推測される。『日本書紀』に起源伝承として、土師氏の祖である野見宿禰(のみのすくね)が垂仁天皇(すいにんてんのう)の御前で当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取り、脇腹を蹴り折って殺害したという記事が見られる。

奈良時代になると宮中において相撲節会(すまいのせちえ)が始まる。これは7月7日の七夕の日、出身地によって東西に分けられた全国の力自慢が相撲を取り、東方が勝てば東国が、西方が勝てば西国が豊作になるという農耕儀礼の占いである。相撲は武芸であるとともに、五穀豊穣や大漁を願って神に奉納する神事としての側面がある。

その後も武家社会において武術の一環として奨励された相撲は、江戸時代の勧進相撲(かんじんずもう)によって隆盛を迎える。勧進相撲は神社・仏閣の建設・修繕の資金を集めるために見物人から寄付を募る興行。当初は戦乱の収束によって街にあふれた浪人たちが中心となった相撲集団が興行を行っていたが、次第に専門化を進めていった。元禄時代になると、力士の序列を示す番付が生まれ、寺社奉行の管轄の下、江戸時代中期にかけて相撲会所の制度が整えられていく。かくして天明・寛政期(1781-1801)に勧進相撲は最盛期を迎えた。

同時に力士の人気も高まり、大名お抱えの力士も登場。浮世絵にも頻繁に描かれるようになる。寛政3年(1791)には江戸城内にて初の上覧相撲が催され、谷風(たにかぜ)、小野川(おのがわ)、雷電(らいでん)らが活躍した。ただし、江戸時代は女性の見物は許されておらず、女性の観戦が許されるのは明治になってからのことである。

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タイトル主催者会場開始終了
相撲博物館2009/10/272009/12/24

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  • 東京都墨田区に所在する大相撲の興行施設。相撲博物館が併設されており、番付や化粧廻しなど相撲に関する資料を展示している。

  • 東京都墨田区に所在する回向院では、明和五年(1768)から境内で勧進相撲興行が行われた。歴代相撲年寄の慰霊のために建立された力塚がある。

  • 東京都江東区に所在する富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地といわれ、貞享元年(1684)春と秋の勧進相撲が幕府より許可された。境内には横綱力士碑や大関力士碑がある。

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  • 勧進相撲が誕生した経緯や、江戸時代の力士が庶民にとってどういう存在だったのかなどのコンテンツを掲載。

参考文献