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上代~中世の文学

日本文学のはじまりと発達。

日本に、中国の文字「漢字」が伝わったのは、1世紀頃であったと推定されている。その後、5世紀中頃から6世紀には、徐々に日本国内における漢字の運用が進められていたとみられ、6世紀から7世紀にかけて仏教が伝来し、大量の仏典がもたらされると、写経などを通じて漢字を読み書きできる人が増えはじめた。こうして、日本の文字文化がはじまったのである。但し、それ以前にも日本には、祭りの場で語られる神聖な詞章・歌謡・神話といった各地の口承文学があり、それらは口伝えによって人びとの間で脈々と受け継がれていた。これらの伝承を収集し、天武天皇の発案によって飛鳥時代から奈良時代にかけて編纂されたのが、『古事記』『日本書紀』である。また、この時代には、日本で発生した定型詩である「和歌」が発達し、最古の和歌集『万葉集』が成立した。平安時代には、漢字を簡略化した日本固有の音節文字「かな文字」が生まれ、『源氏物語』に代表される物語文学をはじめ、さまざまなジャンルの日本文学が花開いた。鎌倉時代以降、政治の実権が貴族から武家へ移ると政局は不安定化し、戦乱の世となった。このような社会的変化は、文学にも大きな影響を与え、合戦を主題とした軍記物語、隠遁者による隠者文学などが誕生した。

飛鳥時代・奈良時代の文学

現存日本最古の歴史書と和歌集の成立

飛鳥時代、天武2年(673)に即位した天武天皇は、兄・天智天皇が着手した律令制度にもとづく天皇を中心とした中央集権国家の完成に向け、さまざまな政策を推進した。その中で、天武10年(681)に律令の編纂とともに開始されたのが、歴史書の編纂事業である。これは、皇室や諸士族、民間に伝わる伝承を整理し、正しく後世に伝えることが目的とされたもので、また、天皇統治の正当性を歴史的に証明しようとする意図があったと考えられる。歴史書編纂事業は、天武天皇の崩御により中断されたが、後継者によって引き継がれ、奈良時代、和銅5年(712)に『古事記』、養老4年(720)に『日本書紀』として実を結んだ。この2つの書物はそれぞれに体裁は異なるが、いずれも神代から書き始められ、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇の時代までの神話・伝説・歌謡を含めた日本の歴史について記述されている。また、この時代、古代歌謡から派生した日本固有の定型詩「和歌」が発達し、現存日本最古の歌集『万葉集』が成立した。『万葉集』は、全20巻に約4500首の作品が収められ、編纂には大伴家持が関与したとみられている。漢字を表音文字として用い、日本語を表現する「万葉がな」で表記されており、収録作品の制作年代は、5世紀頃から天平宝字3年(759)までとされるが、舒明天皇(629年即位)以前の作は伝誦歌のため実際の年代は明らかではない。歌の作者は、皇族、貴族から庶民まで幅広く、収録地域も日本全国にわたる。

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古事記
日本書紀
万葉集
古事記
712年に成立

かきもとのひとまろ。7世紀後半に活躍した『万葉集』の代表的歌人。天武朝から文武朝にかけて宮廷に仕えた歌人であったと見られ、『万葉集』第一の歌人である。後世、「歌聖」として、さらには「歌神」としてあがめれられた。

日本の神話や歴史を伝える書物で、奈良時代に編纂された。

奈良時代に編纂された、現存する日本最古の歌集。約4500首に及ぶ幅広い地域・階層の作者の歌を収録。

おおとものやかもち。奈良時代の官人、歌人。地方、中央の諸官を歴任。『万葉集』末期の代表歌人で、『万葉集』編纂者の一人と言われる。『万葉集』への収録作品は長短歌合わせて約480首で最多。

平安時代の文学

かな文字の誕生と国文学の発達

平安時代初期は、奈良時代に引き続き唐風文化が積極的に摂取された時代であった。漢詩文が宮廷社会の公的な文学としての地位を確立し、『凌雲集』をはじめとした3つの勅撰漢詩集が編纂される。しかし、寛平6年(894)に遣唐使の派遣が廃止されると、大陸の文化の流入が途絶え、日本の風土や美意識に適った国風文化が醸成されようになった。言語の分野では、日本語をより正確かつ簡便に表記するため、中国の漢字を簡略化した音節文字「かな文字」が生み出され、急速な発展を遂げる。かな文字の普及によって、日常語による自由な表現が可能になると、日本の文学は飛躍的に発達。9世紀末から10世紀には、現存日本最古の物語『竹取物語』や和歌を中心に据えた歌物語『伊勢物語』などの物語文学、紀貫之が土佐から京までの旅を綴った『土佐日記』などの日記文学などが成立した。そして、摂関政治が最盛期を迎えた10世紀末から11世紀にかけて、後宮を中心とした女流文学が開花。11世紀初頭には、一条天皇の中宮(妃)彰子に仕えた女流作家、紫式部の手によって、日本古典文学の最高峰とされる『源氏物語』が執筆された。一方、詩歌の分野では、国風文化の高まりの中、日本古来の詩歌の形式である和歌が再興し、延喜5年(905)、醍醐天皇の勅命による、最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が誕生。計20巻に、8世紀末から10世紀初頭までの約1100首がおさめられており、代表的な歌人には、在原業平、小野小町ら「六歌仙」が挙げられる。

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源氏物語
伊勢物語
枕草子
竹取物語
古今和歌集
土佐日記
今昔物語
和漢朗詠集
狭衣物語
更級日記
源氏物語
11世紀初頭に成立か

自由奔放な美男子として語り継がれる平安時代の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一人。

六歌仙・三十六歌仙に数えられる、平安時代の女流歌人。歌才溢れる絶世の美女として伝説化された。

かぐや姫をめぐる奇譚。日本最古の物語とされる

歌人・在原業平をモデルとした主人公の一代記的構成をもつ、平安中期の歌物語

平安時代前期に成立した、日本最初の勅撰和歌集

承平5年(935)ごろ成立した、紀貫之作による日記文学。土佐守の任を終えた貫之が任地を出発し、京都へ帰着するまでの55日間の旅を記す。作者は自らを女性に仮託して、かな文で日記を綴る。かな文による散文文学の先駆的作品。

和歌の文学・芸術的価値を高めた、平安時代を代表する歌人

平安中期に書かれた日本で最初の随筆文学作品。作者は一条天皇の中宮定子に仕えた清少納言で、宮廷生活を活写した。

平安中期の女性文学者。生没年未詳。一条天皇の中宮・藤原定子に仕え、同時期に活躍した紫式部と並び称された。宮廷生活の体験や感想を記した随筆『枕草子』を執筆。家集に『清少納言集』。

いずみしきぶ。平安中期の女流歌人。生没年不詳。和泉守橘道貞と結婚し小式部内侍を産む。また、為尊親王、敦道親王と恋愛、藤原保昌と再婚。技法を駆使した情感溢れる歌を詠み、『拾遺和歌集』など勅撰集に多数収録されている。『和泉式部日記』『和泉式部集』がある。

平安時代の女性作家、紫式部が著した王朝物語。貴公子光源氏を主役とした華やかな物語は、絵画芸術にも影響を与えた。

日本最古の長編小説『源氏物語』を生み出した、平安時代の女流作家

長和2年(1013)ごろに成立した歌謡集。藤原公任撰。2巻。当時流行していた、和歌や漢詩に曲節をつけてうたう「朗詠」用として撰集された。勅撰和歌集や『白氏文集』などから、朗詠に適した和歌約220首、漢詩約590首を収録。

平安時代後期に成立した説話集。31巻に1000余の説話をおさめる。編者未詳。天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)の三部からなり、それぞれ仏法・世俗の2篇に分かれている。

平安後期に成立した歴史物語。作者不詳。藤原氏の栄華を中心とした、文徳天皇から後一条天皇の時代(850年~1025年)の歴史について、大宅世継と夏山繁樹という2人の老人が語るという対談形式で描く。

平安末期の歌人。武士を捨て、諸国を修行して独自の詠風を築いた

鎌倉時代の文学

戦乱の世、軍記物語・隠者文学の時代

源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、政治の実権は武士に移り、貴族政権はその力を失った。このような状況下で即位した後鳥羽天皇は、かつて栄華を極めた王朝文化へ強い思慕を抱き、その象徴ともいえる和歌の推進に尽力した。多くの歌会や歌合を催し、『古今和歌集』にならった勅撰和歌集『新古今和歌集』を自ら監修し、完成させている。『新古今和歌集』を代表する歌人として、同歌集の撰者の一人でもある、藤原定家が挙げられる。現代では、『小倉百人一首』(原形は『小倉山荘色紙形和歌』 の撰者としても知られる定家は、父・藤原俊成が主導した新しい和歌の動きを引き継いで、鎌倉初期の歌壇を牽引。また、『伊勢物語』『源氏物語』などの古典の校訂・研究にも取り組み、その功績は後世の日本文学に大きな影響を与えた。源平の争いから長く戦乱の世が続いた鎌倉時代、平安時代の雅な文学に代わって登場したのが勇壮な軍記物語である。軍記物語は、合戦を主題として、時代の変化を描いた叙事文学で、保元の乱・平治の乱を描いた、『保元物語』『平治物語』、平清盛を中心とする平家一門の興亡を描いた『平家物語』などがある。これらの作品は、いずれもその作者が明らかではなく、琵琶法師や物語僧らに語られることによって広く社会に流布した。また、激動する時代にあって、出家という形で社会から離脱して隠者となった者もいた。彼らによって紡がれた文学は隠者文学と呼ばれ、代表的な作品に、鴨長明『方丈記』、吉田兼好『徒然草』などがある。

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新古今和歌集
方丈記
宇治拾遺物語
徒然草
平家物語
新古今和歌集
1205年成立

元久2年(1205)に成立した、8番目の勅撰和歌集。20巻、約2000首。後鳥羽院の院宣により、源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経が撰者とされた。同時代、もしくはやや前の時代の歌人の歌を中心に収録。

鎌倉初期の文芸作品。方丈の庵(いおり)で無常の世と自らの生き方を問う

うじしゅういものがたり。鎌倉初期の説話集。15巻。編者不詳。承久3年(1221)ごろの成立と見られる。和文体で記され、仏教説話、民間説話などを197編を収める。『今昔物語集』と共通する話も多い。

ふじわらのとしなり。平安後期~鎌倉前期の歌人。藤原定家の父。後白河法皇の命を受け、7番目の勅撰和歌集『千載和歌集』を撰進。歌論書『古来風体抄』で「幽玄」の美を説き、子・定家ら『新古今和歌集』の歌人を育てた。

百人の歌人の秀歌を一首ずつ集めた歌集。特に『小倉百人一首』のこと

平安末期に起こった保元の乱・平治の乱の経緯を描いた軍記物語。いずれも作者は不詳だが、鎌倉初期に原型が成立したと考えられ、力強い和漢混交文で描写されている。

平家一門の栄枯盛衰を描いた軍記物語。

「枕草子」とならぶ日本古典随筆の双璧

和歌の美を追求し、中世最高の歌人と評される

鎌倉時代の文武両道の天皇。幕府に対抗して承久の乱を起こし、隠岐に配流

後鳥羽上皇による鎌倉前期の歌論書。心得7か条と15歌人の批評からなる

南北朝・室町・安土桃山時代の文学

能の大成と連歌の流行

南北朝時代以降も鎌倉時代に続き、合戦など歴史に取材した軍記物語や歴史物語が生まれている。代表的なものとして、南北朝の対立や足利幕府の成立などを描いた『太平記』、源義経の生涯を扱った『義経記』、後鳥羽天皇の生誕から後醍醐天皇の隠岐からの還幸までの歴史をまとめた『増鏡』などがある。室町時代に入り、南北朝合一を果たした第3代将軍・足利義満は、応永元年(1394)将軍職を義持に譲ると、京都の北山に山荘を造営し、金閣寺(鹿苑寺)を建てた。この北山殿を中心に展開された文化を「北山文化」と呼ぶ。伝統的な公家文化と新興の武家文化を融合させると同時に、中国の禅宗の影響を受けた北山文化は、水墨画・五山文学・立花などさまざまな芸術を発達させた。芸能面では、義満の同朋衆、観阿弥・世阿弥が猿楽に曲舞などの要素を加えた能を大成。能の脚本は謡曲と呼ばれ、民間伝承や古典文学などを素材にしたものが多く、和歌や漢詩文を引用し、縁語・掛詞を駆使した流麗な七五調で、幻想的かつドラマティックな物語世界を構築している。その文学的な価値は高く、近世以降の日本の文学や芸能に多大な影響を与えた。また、この時代、和歌から派生した詩歌の一形態である「連歌」が貴族から庶民まで大きな流行を見せた。連歌は和歌の上の句と下の句を一人または数人で交互に詠み連ねる形式で、院政期頃に発生し、鎌倉時代には基本型が成立、南北朝時代に文学として確立され、室町時代には全盛期を迎えた。また、室町末期にはここからさらに俳諧連歌が興り、江戸時代の俳諧のもととなった。

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太平記
増鏡
義経記
太平記
14世紀半ば頃の成立か

動乱の南北朝時代、太平の世を求めて書き継がれた軍記物語

ますかがみ。南北朝時代の歴史物語。後鳥羽天皇の生誕から後醍醐天皇の隠岐からの還幸までの約150年の歴史を擬古文で編年に記す。作者は二条良基説が有力だが、定かではない。『大鏡』『今鏡』『水鏡』とともに四鏡といわれる。

ぎけいき。室町時代に成立した軍記物語。前半は源義経の幼少期が描かれ、後半は平家討伐後、兄・源頼朝の圧迫を逃れ転々とし、平泉で自害するまでを記す義経の一代記的物語。義経伝説の源となり、浄瑠璃・歌舞伎・読本など後世の文学に影響を与えた。

室町初期の能役者・作者・理論家。「幽玄」の美を追求した

反骨精神に富んだ破天荒(はてんこう)な室町時代の禅僧

いちじょうかねら。室町中期の公卿・古典学者。関白太政大臣。歴史や有職故実に明るく、古典研究・和歌に優れ、当代随一の学者といわれた。主著に、『花鳥余情』『公事根源』『日本書紀纂疏 』など。本資料は、『源氏物語』の注釈書『花鳥余情』。

さんじょうにしさねたか。室町後期の公家・歌人・学者。博識で知られ、有職故実の大家として三代の天皇に仕えた。主著に、『源氏物語』の注釈書『細流抄』、有職に関する『装束抄』、日記『実隆公記』など。本資料は中院通秀に宛てた書状。

参考文献

  1. 榎本隆司 編著,ミネルヴァ書房
  2. 秋山虔, 三好行雄 編著,文英堂
  3. 日立デジタル平凡社,平凡社