Japanese literature from antiquity through the middle ages
Birth and development of Japanese literature
Table of Contents
It is assumed that Chinese characters (kanji) were introduced into Japan sometime around the first century. The utilization of Chinese characters gradually advanced from the mid-fifth century through the sixth century. Buddhism was introduced from the sixth through the seventh century, and the large volume of Buddhist scriptures brought to Japan led to an increase in the number of people who learned to read and write Chinese characters through the process of copying sutras. This is how Japanese written culture was born.
Even before that, however, Japan had diverse local oral traditions in the form of holy poetry and prose, songs, and myths performed at festivals. This was spread and preserved by word of mouth. These oral traditions were collected and, upon a proposal by Emperor Tenmu, compiled into Kojiki (“Records of Ancient Matters”) and Nihonshoki (“The Chronicles of Japan”), a process that spanned the Asuka period (592–710) and the Nara period (710–794). Moreover, this era saw the development of waka, a type of poetry structured in a set form that originated in Japan, and the creation of the Manyoshu (“Collection of Ten Thousand Leaves”), the oldest existing anthology of Japanese waka.
During the Heian period (794–1185), an original phonetic kana script was created using a process of simplification of Chinese characters, and a variety of Japanese literary genres flourished, including the monogatari (narrative) genre best represented by the novel Genji Monogatari (“Tale of Genji”). From the Kamakura period (1185–1333) onward, political power started shifting from the aristocracy to the warrior class. This destabilized the political situation, plunging Japan into war. This social upheaval had enormous impact on literature, leading to the birth of gunki monogatari (war tales), a genre focused on the subject of war, and hermit literature, written by Buddhist monks.
Literature of the Asuka period (592-710) and Nara period (710-794)
現存日本最古の歴史書と和歌集の成立
飛鳥時代、天武2年(673)に即位した天武天皇は、兄・天智天皇が着手した律令制度にもとづく天皇を中心とした中央集権国家の完成に向け、さまざまな政策を推進した。その中で、天武10年(681)に律令の編纂とともに開始されたのが、歴史書の編纂事業である。これは、皇室や諸士族、民間に伝わる伝承を整理し、正しく後世に伝えることが目的とされたもので、また、天皇統治の正当性を歴史的に証明しようとする意図があったと考えられる。歴史書編纂事業は、天武天皇の崩御により中断されたが、後継者によって引き継がれ、奈良時代、和銅5年(712)に『古事記』、養老4年(720)に『日本書紀』として実を結んだ。この2つの書物はそれぞれに体裁は異なるが、いずれも神代から書き始められ、『古事記』は推古天皇、『日本書紀』は持統天皇の時代までの神話・伝説・歌謡を含めた日本の歴史について記述されている。また、この時代、古代歌謡から派生した日本固有の定型詩「和歌」が発達し、現存日本最古の歌集『万葉集』が成立した。『万葉集』は、全20巻に約4500首の作品が収められ、編纂には大伴家持が関与したとみられている。漢字を表音文字として用い、日本語を表現する「万葉がな」で表記されており、収録作品の制作年代は、5世紀頃から天平宝字3年(759)までとされるが、舒明天皇(629年即位)以前の作は伝誦歌のため実際の年代は明らかではない。歌の作者は、皇族、貴族から庶民まで幅広く、収録地域も日本全国にわたる。
Literature of the Heian period (794-1185)
かな文字の誕生と国文学の発達
平安時代初期は、奈良時代に引き続き唐風文化が積極的に摂取された時代であった。漢詩文が宮廷社会の公的な文学としての地位を確立し、『凌雲集』をはじめとした3つの勅撰漢詩集が編纂される。しかし、寛平6年(894)に遣唐使の派遣が廃止されると、大陸の文化の流入が途絶え、日本の風土や美意識に適った国風文化が醸成されようになった。言語の分野では、日本語をより正確かつ簡便に表記するため、中国の漢字を簡略化した音節文字「かな文字」が生み出され、急速な発展を遂げる。かな文字の普及によって、日常語による自由な表現が可能になると、日本の文学は飛躍的に発達。9世紀末から10世紀には、現存日本最古の物語『竹取物語』や和歌を中心に据えた歌物語『伊勢物語』などの物語文学、紀貫之が土佐から京までの旅を綴った『土佐日記』などの日記文学などが成立した。そして、摂関政治が最盛期を迎えた10世紀末から11世紀にかけて、後宮を中心とした女流文学が開花。11世紀初頭には、一条天皇の中宮(妃)彰子に仕えた女流作家、紫式部の手によって、日本古典文学の最高峰とされる『源氏物語』が執筆された。一方、詩歌の分野では、国風文化の高まりの中、日本古来の詩歌の形式である和歌が再興し、延喜5年(905)、醍醐天皇の勅命による、最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が誕生。計20巻に、8世紀末から10世紀初頭までの約1100首がおさめられており、代表的な歌人には、在原業平、小野小町ら「六歌仙」が挙げられる。
Literature of the Kamakura period (1185-1333)
戦乱の世、軍記物語・隠者文学の時代
源頼朝が鎌倉に幕府を開くと、政治の実権は武士に移り、貴族政権はその力を失った。このような状況下で即位した後鳥羽天皇は、かつて栄華を極めた王朝文化へ強い思慕を抱き、その象徴ともいえる和歌の推進に尽力した。多くの歌会や歌合を催し、『古今和歌集』にならった勅撰和歌集『新古今和歌集』を自ら監修し、完成させている。『新古今和歌集』を代表する歌人として、同歌集の撰者の一人でもある、藤原定家が挙げられる。現代では、『小倉百人一首』(原形は『小倉山荘色紙形和歌』 ) の撰者としても知られる定家は、父・藤原俊成が主導した新しい和歌の動きを引き継いで、鎌倉初期の歌壇を牽引。また、『伊勢物語』『源氏物語』などの古典の校訂・研究にも取り組み、その功績は後世の日本文学に大きな影響を与えた。源平の争いから長く戦乱の世が続いた鎌倉時代、平安時代の雅な文学に代わって登場したのが勇壮な軍記物語である。軍記物語は、合戦を主題として、時代の変化を描いた叙事文学で、保元の乱・平治の乱を描いた、『保元物語』『平治物語』、平清盛を中心とする平家一門の興亡を描いた『平家物語』などがある。これらの作品は、いずれもその作者が明らかではなく、琵琶法師や物語僧らに語られることによって広く社会に流布した。また、激動する時代にあって、出家という形で社会から離脱して隠者となった者もいた。彼らによって紡がれた文学は隠者文学と呼ばれ、代表的な作品に、鴨長明『方丈記』、吉田兼好『徒然草』などがある。
Literature of the Nanboku-cho period (1337-1392), the Muromachi period (1336-1573), and the Azuchi-Momoyama period (1573-1603)
能の大成と連歌の流行
南北朝時代以降も鎌倉時代に続き、合戦など歴史に取材した軍記物語や歴史物語が生まれている。代表的なものとして、南北朝の対立や足利幕府の成立などを描いた『太平記』、源義経の生涯を扱った『義経記』、後鳥羽天皇の生誕から後醍醐天皇の隠岐からの還幸までの歴史をまとめた『増鏡』などがある。室町時代に入り、南北朝合一を果たした第3代将軍・足利義満は、応永元年(1394)将軍職を義持に譲ると、京都の北山に山荘を造営し、金閣寺(鹿苑寺)を建てた。この北山殿を中心に展開された文化を「北山文化」と呼ぶ。伝統的な公家文化と新興の武家文化を融合させると同時に、中国の禅宗の影響を受けた北山文化は、水墨画・五山文学・立花などさまざまな芸術を発達させた。芸能面では、義満の同朋衆、観阿弥・世阿弥が猿楽に曲舞などの要素を加えた能を大成。能の脚本は謡曲と呼ばれ、民間伝承や古典文学などを素材にしたものが多く、和歌や漢詩文を引用し、縁語・掛詞を駆使した流麗な七五調で、幻想的かつドラマティックな物語世界を構築している。その文学的な価値は高く、近世以降の日本の文学や芸能に多大な影響を与えた。また、この時代、和歌から派生した詩歌の一形態である「連歌」が貴族から庶民まで大きな流行を見せた。連歌は和歌の上の句と下の句を一人または数人で交互に詠み連ねる形式で、院政期頃に発生し、鎌倉時代には基本型が成立、南北朝時代に文学として確立され、室町時代には全盛期を迎えた。また、室町末期にはここからさらに俳諧連歌が興り、江戸時代の俳諧のもととなった。
References
- 榎本隆司 編著,ミネルヴァ書房
- 秋山虔, 三好行雄 編著,文英堂
- 日立デジタル平凡社,平凡社
