
漆で塗装や接着をし、実用かつ装飾的に仕立てられた器具や道具。広くアジア地域でつくられるが、とりわけ近世に日本の漆器が西欧に輸出されて愛されたことから、ヨーロッパでは漆器を「japan」と表し、日本を代表する工芸品として考えられている。日本では、縄文時代から漆が利用されており、縄文時代の遺跡から土器に漆をほどこしたものが多数発見されている。中でも北海道の垣ノ島B遺跡で発掘された約9000年前の漆副葬品は、装飾品としては世界最古のものと考えられている。用明天皇2年(587)に漆部造兄(ぬりべのみやつこあに)が物部守屋(もののべのもりや)の使で蘇我馬子(そがのうまこ)のもとへ行ったとの記述が『日本書紀』にあることから、この時代には、すでに漆器の製作者集団である漆部とその管理者がいたことを見て取ることができる。
素地には竹や紙、布など多様な素材が使われるが、多くは木材が利用される。漆を施したものに加飾されることも多く、金、銀、錫などの金属粉などで模様や絵を描く蒔絵(まきえ)、貝の真珠質を文様に切り、貼ったり嵌めたりする螺鈿(らでん)などさまざまな技法が見られ、美術的価値も高い。
関連するひと・もの・こと
金銀などの細かい粒子を使い、漆器の表面に装飾をほどこす日本を代表する漆芸技法
古代から続く日本の染物と織物。江戸時代にその文化が開花した。
刀剣や装飾品から仏像鋳造まで。日本の工芸の一大分野
茶の湯で使用する道具。茶席では鑑賞の対象となり、「用」と「美」の両方の要素が求められる
主に縄文時代に使われた土器を指す。北海道から沖縄にかけて分布し、地域や時代ごとに多様な様式があった。
本で知る
[舎人親王] [編]
用明天皇2年(517)に漆器の製作集団である漆部(ぬりべ)氏の造兄 (みやつこあに) が、物部守屋 (もののべのもりや) の使で蘇我馬子 (そがのうまこ) のもとへ行ったとある。右ページ最終行に「漆部造兄」の字がみえる。
日本における漆塗りの祖は、『本朝事始』に床石足尼 (とこばえのすくね) が漆部 (ぬりべ) 官になったとある。
[惟宗直本] [著],中原職忠 寫
養老2(718)年に制定された律令政治の基本法「養老令」の注釈を集大成したもの。漆部司の漆細工の実務に従事した漆部が20人いたことが記されている。
貞観 (じょうがん。859~877)から延喜 (えんぎ。901~923)までの間に成立したと考えらている『竹取物語』に、「かぐや姫すゑむには、例の様には見にくし、とのたまひて、うるはしき屋を造り給ひて、漆を塗り、蒔絵をして壁し給ひて、屋の上には糸を染めて色々に葺かせて、内々のしつらひには、言ふべくもあらぬ綾織物に絵を描きて、間ごとに張りたり」と漆塗りや蒔絵についての記載がある。
延長5(927)年に完成した『延喜式』24巻には、全国への庸、調、中男作物の割り当て等が書かれている。中男作物として漆があげられているのは、上野、越前、能登、越中、越後、丹波、丹後、但馬、因幡、備中、備後、筑前、筑後、豊後の一四国におよぶ。
中国、宋の史書で正史の一つ。496巻あり、491巻で日本の記述がある。永延2年(977) に東大寺の僧・商然が弟子の嘉因を遣わして宋室に蒔絵や螺鈿の品々を贈ったと記録がのこる。
藤原隆能 著,徳川美術館 編,徳川美術館
平安後期の貴族で絵師の藤原隆能によって描かれたとされる国宝「源氏物語絵巻」を図録化したもの。平安時代の邸内に置かれた棚や厨子、脇息、台盤などの調度は漆が使われた。
板橋貫雄//〔模写〕,写
延慶2(1309)年3月、左大臣西園寺公衡 (さいおんじきんひら) が春日権現の宝前に納めたもので、藤原氏の氏神である春日明神に関する霊験奇瑞の数々を描いている。懸盤、鉢などの朱漆器が描かれ、朱漆器が一般化してきたことがわかる。
永井如雲(模)
西本願寺3世覚如上人(かくにょしょうにん)の伝記を叙した南北朝時代の絵巻。日常生活の描写が随所にみられるため、当時の生活を知るうえの資料としても貴重とされる。朱漆器が多数描かれている。
風俗絵巻図書刊行会 編,[風俗絵巻図書刊行会]
蒔絵と塗の名工の経歴をまとめた書。室町時代中期、8代将軍足利義政の近習 (きんじゅう) として仕え、調度品の製作を担った幸阿弥道長 (こうあみみちなが) と五十嵐信斎 (いがらししんさい) らが紹介されている。
沢口悟一 述,帝国工芸会 編,三省堂
漆芸研究家・澤口悟一による漆工の解説書。
石井吉次郎, 一戸清方 著,博文館
明治時代の漆工の手引書。
もっと知りたい
原始(縄文・弥生・古墳)時代の漆器
低湿地の捨て場からみつかった赤色漆が塗られた竪櫛。漆が塗られていない櫛の歯まで欠けずに出土した。
低湿地の捨て場からみつかった赤色漆が塗られた木製容器。地上に現れた直後は鮮やかな赤色をしていた。
縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡・三内丸山遺跡から発見された土器。漆塗が施された土器の他、漆にベンガラを混ぜた朱漆で塗られた腕輪なども発見されている。
亀ヶ岡石器時代遺跡で出土した縄文時代晩期の漆液を漉す際に用いた布。漆漉し布等の出土から、土器や籃胎漆器に塗布された漆についても、遺跡周辺で採取された可能性が考えられる。
大阪・平石塚廻古墳調査会寄贈,Gift of Research Association of Hiraishi Tsukamawari Tumulus, Osaka,東京国立博物館,Tokyo National Museum
古墳に納められた棺の破片です。植物質の素材を箱形に編み、漆で固めて作ることから漆塗籠棺(うるしぬりかごかん)といいます。黒漆を潤沢に用い、人が入る内面には赤漆を塗ります。当時、漆は貴重品であるため、被葬者は高貴な人であったと想定されます。
古代(飛鳥・奈良・平安時代)の漆器
東京国立博物館,Tokyo National Museum
奈良時代の漆皮箱の典型的遺品の一つ。素地は一枚革で成形し、縁回りに撚麻紐を四周薄くつけ、黒漆を厚く塗り、粗い刷毛目が残る。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
奈良時代に、金銀泥をもって蓋の表面に藻文を措いた重厚なもの。箱の素地(きじ)は、牛、鹿、猪などの皮を鞣してから木製の型にあて、強く展張して造られている。漆皮箱の製法は唐から伝わり、奈良時代を通じて盛んに造られたが、形崩れしやすいこともあって、次第に木製素地に移行していったようである。今日では、まとまった作例としては、正倉院宝物と献納宝物を遺すのみであり、わが国漆芸の歴史を辿る上で貴重な資料となっている。
帝室博物館
正倉院には瓶が三口伝わっている。漆胡瓶、白瑠璃瓶、二彩の磁瓶が各一口ずつである。そのうちこの漆胡瓶と白瑠璃瓶は、ともに注ぎ口を鳥の頭にかたどり、把手をつけてある。胡瓶というのは、ペルシャ風の瓶と言う意味であり、この瓶もペルシャ風にデザインしたものを唐で作ったというふうに推測されている。 薄い板を巻き重ねて本体を形作り、その上に漆を塗り、そこへ平脱の技法を用いて草花や動物の文様を施してある。平脱とは、文様の形にあわせた金や銀の薄板を張りつけるというもので、ここでは銀が用いられている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
平安後期の工芸を代表する蒔絵の名品。金・青金の研出(とぎだし)蒔絵と螺鈿を用いて流水に半ば浸された無数の車輪を描き、内面には金・銀の研出蒔絵で草花や飛鳥を散らす。この作品は、今日では手箱とよばれているが、装飾経を収める経箱(きょうばこ)として造られた可能性が高い。手箱(てばこ)とは身の回りの小物を納める箱ですが、この作品は、もともとは巻物のお経を入れる経箱(きょうばこ)だったと考えられています。外側の文様は、余白を埋め尽くすように水の流れをあらわし、所々に牛車(ぎっしゃ)で使われる車輪を数個ずつランダムに配置しています。木でできた車輪は乾いて割れるのを防ぐため水に漬けて使っていたとされ、この光景を文様としたものを「片輪車(かたわぐるま)」と呼んでいます。この手箱では、モチーフを漆で描いた後、乾かないうちに金粉を蒔きつける「蒔絵(まきえ)」という技法と、貝がらの内側を平らに加工したものを貼りつける「螺鈿(らでん)」という技法を用いて、にぎやかに片輪車の文様をあらわしています。蓋を開けた内側には、鳥や松、梅などの植物が間隔をとって蒔絵であらわされ、モチーフで埋め尽くされていた外側の文様とは対照的です。外側と内側の文様は、いずれも優雅で生き生きとあらわされ、当時の繊細な感覚を知ることができるでしょう。
奈良国立博物館,Nara National Museum
平安時代後半期における漆皮箱唯一の遺品とされる品。本品は長方形の被蓋造(かぶせぶたづくり)。蓋にはわずかに甲盛(こうもり)を持たせ、蓋表の稜線際(りょうせんぎわ)に小さな段を設ける塵居(ちりい)を作り出し、角を丸めて仕上げている。身には対葉花文(たいようかもん)をあしらった四弁宝相華形(しべんほうそうげがた)の金銅製紐金具(こんどうせいひもかなぐ)を取り付ける。蓋と身の外面は、中央と四隅を意識してバランスよく折枝文(せっしもん)風の蓮唐草文(はすからくさもん)を配置し、その間に軽妙に蝶を舞わせて、金粉をまばらに蒔く平塵地(へいじんじ)で仕上げている。身の内面は黒漆塗とするが、蓋裏はごく淡い塵地(ちりじ)に様々なパターンの羽を持つ蝶を不規則に散らしており、外面は奈良時代以来の古様な幾何学的配置であるのに対し、内面は散らし文という平安時代の工芸品の雰囲気を示し、内外面で異なる印象を与えている。また蓮華唐草文や蝶といった文様は、黄みのある金と、金と銀の合金から作る冷たく青みがかった発色の青金(あおきん)とを、効果的に蒔(ま)き分けて表している。平安時代、法華経信仰は貴族社会に浸透し、経典のみならずその容器にも意を尽くし、美麗をきわめた経箱を生み出すに至った。本品もその意匠と箱の大きさから、法華経八巻を納めていたと推測できる。もと福井県小浜市の神宮寺(じんぐうじ)に伝わったものである。
奈良国立博物館,Nara National Museum
平安時代の黒漆塗の作。側面に朱漆銘「第六十八樻/識身足論等 上帙 下帙/品類足論等 上帙 下帙/衆事分阿毗曇」をもつ。
奈良国立博物館,Nara National Museum
鞣(なめ)した獣皮を型に張り成形したのち漆で塗り固めて作る、漆皮(しっぴ)製の経箱。漆皮箱は正倉院宝物に四十点に及ぶ例が知られるように、奈良時代には盛行したものであるが、平安時代に至ると木胎(もくたい)が多くなり、漆皮は衰えたとみえる。本品が平安時代後半期における漆皮箱唯一の遺品であろう。本品は長方形の被蓋造(かぶせぶたづくり)。蓋にはわずかに甲盛(こうもり)を持たせ、蓋表の稜線際(りょうせんぎわ)に小さな段を設ける塵居(ちりい)を作り出し、角を丸めて仕上げている。身には対葉花文(たいようかもん)をあしらった四弁宝相華形(しべんほうそうげがた)の金銅製紐金具(こんどうせいひもかなぐ)を取り付ける。蓋と身の外面は、中央と四隅を意識してバランスよく折枝文(せっしもん)風の蓮唐草文(はすからくさもん)を配置し、その間に軽妙に蝶を舞わせて、金粉をまばらに蒔く平塵地(へいじんじ)で仕上げている。身の内面は黒漆塗とするが、蓋裏はごく淡い塵地(ちりじ)に様々なパターンの羽を持つ蝶を不規則に散らしており、外面は奈良時代以来の古様な幾何学的配置であるのに対し、内面は散らし文という平安時代の工芸品の雰囲気を示し、内外面で異なる印象を与えている。また蓮華唐草文や蝶といった文様は、黄みのある金と、金と銀の合金から作る冷たく青みがかった発色の青金(あおきん)とを、効果的に蒔(ま)き分けて表している。平安時代、法華経信仰は貴族社会に浸透し、経典のみならずその容器にも意を尽くし、美麗(びれい)をきわめた経箱を生み出すに至った。本品もその意匠と箱の大きさから、法華経八巻を納めていたと推測できる。もと福井県小浜市の神宮寺(じんぐうじ)に伝わったものである。
奈良国立博物館,Nara National Museum
大般若経1部600巻を2基に分納した黒漆塗円筒形厨子。京都・神光院(じんこういん)伝来で、現在、当館とクリーブランド美術館に1基づつ分蔵される。2基とも同形式で、八角二重蓮華座上に円形の十六弁蓮華座をのせ、その上に円筒形の軸部を置く。軸部内にも十六弁蓮華形の置台をのせ、軸部は前方半分を観音開き扉とする。屋蓋は八角形で、軒下に中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)のように葉と葉の間に三鈷杵を置く八葉蓮華を刻出し、頂に擬宝珠(ぎぼし)をのせる。扉にはそれぞれ四善神を描き、2基で大般若経の守護神の十六善神が表される。彩色は鮮やかで截金(きりかね)をふんだんに用いている。平安仏画の趣到とも通ずるが、像容は同時期の十六善神の図像とは異なり、異国風の着甲から見て唐本によった可能性もあろう。軸部奥壁に阿弥陀と釈迦の種子を表し、天井には天蓋(てんがい)を飾っている。奥壁の痕跡から各厨子とも経巻300巻を100巻ずつ3段に安置したものと推測される。円筒形の軸部に擬宝珠のある屋蓋をのせた姿は平安時代の経筒に近似しており、平安時代の経荘厳のありかたを伝えており興味深い。なお、当館所蔵の厨子には大般若経166巻が付属している。
石川県寄贈,Gift of Ishikawa Prefecture,東京国立博物館,Tokyo National Museum
胴の中央に鳥、その周りに蔓をのばす唐草を蹴彫で表わす。石川県白山山頂から出土したもので、肩に細い注口、蓋の左右に提手を付けている。このふっくらとした形の水滴は、源氏物語絵巻の夕霧の段に描かれる黒漆塗硯箱に納められるものとよく似ている。ルビ:けりぼり
東京国立博物館,Tokyo National Museum
低い高台をつけた、六弁の花形にくり込みをつけた皿である。内面に鍍金(金メッキ)をほどこし、内底には透漆を塗り、高台は蝋付けしている。『御宝物図絵追編』にはこの皿に火取水取玉を入れ、三脚付きの蓮華座に載せた図が掲載されている。
早川芳太郎氏寄贈,東京国立博物館,Tokyo National Museum
高台から口縁にかけてゆるやかに湾曲し、胴部下方に隆線が横位に一条めぐる漆塗りの椀。金鶏山は平泉遺跡のほぼ中央に位置し、北西に中尊寺、南に毛越寺、東に藤原氏の居館である柳之御所遺跡など見渡すことができる。山麓や山頂に20基程度の経塚が存在したとされる。
中世(鎌倉・室町・安土桃山時代)の漆器
白石村治氏寄贈,Gift of Mr. Shiraishi Muraji,東京国立博物館,Tokyo National Museum
天目(てんもく)の形を模した椀。中世の朱漆器では例の少ない器形で、高台内とその周りに朱漆で「眉間寺 廿五之内明徳二年辛未六月日 網維春明」と記しています。施主や奉納年が知られ、奈良の眉間寺(みけんじ)へ25口寄進された内の一つであることが知られます。
広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
黒漆塗の中棗(ちゅうなつめ)で、蓋裏に千利休の花押がある。黒漆は中の鉄分が酸化して褐色化しており、相当の使用を経たものと想像される。中箱に山田宗徧(やまだそうへん)が、利休所持の町棗(まちなつめ)と箱書しており、制作当初は市場で流通していた、消耗品として量産された棗とも考えられる。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
鳥羽法皇の発願により文治元年(一一八五)に後白河法皇が神護寺に奉納した一切経をかつて納めていた経櫃。同寺には同様の櫃が四十五合現存し、経巻、経帙とともに国の重要文化財に指定されている。被せ蓋造りで微かに胴を張った姿は平安時代後期の特色である。左右両側面の朱漆銘により、本作品が第二十一合めの櫃で、華厳経八十巻本のうち六十巻を収納していたことがわかる。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
表面は全体を平目地に仕立て、金薄肉高蒔絵を主体に平蒔絵・研出蒔絵・銀切金などを交えて流水に土坡、松、椿を描いている。対角線の下方に重心をおいた文様構成や、饅頭形の水滴や懸子2枚を収める形式に、室町時代の硯箱の特色がよく表われている。
伝本阿弥光悦作,Attributed to Hon'ami Koetsu (1558-1637),山本達郎氏寄贈,Gift of Mr. Yamamoto Tatsuro,東京国立博物館,Tokyo National Museum
『古今和歌集』の有名な和歌、「みちのくのしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれむと思ふ我ならなくに」を表現した硯箱。表面は金平(ひら)蒔絵による忍草で埋め尽くしており、蓋表中央に「たれゆえに」の文字を配している。文字をデザインの中心に据えた、伝統的な蒔絵にはない、斬新な意匠である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
蓋表には、高波寄せる浜辺に鳥居や松、遠山に月などを描いている。肉合研出(ししあいとぎだし)蒔絵に高(たか)蒔絵や平(ひら)蒔絵、付描(つけがき)・切金(きりかね)・平文(ひょうもん)など様々な技法を駆使した、複雑な表現である。遠山を淡路島とみれば、浜松に鳥居のあるこの風景は和歌の名所、住吉を表わしたものと考えられる。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
蓋の表裏の図様中に文字を隠して、「なほ照らせ代々にかはらず男山 仰ぐ峰より出る月影」(『続後撰和歌集』)の歌意を示している。古典文学に取材した意匠を、肉合研出(ししあいとぎだし)蒔絵をはじめ高(たか)蒔絵・平(ひら)蒔絵・平文(ひょうもん)などの高度な技巧で表現した、室町時代蒔絵の名品である。 筆記に用いる硯や筆などの道具を納めるための箱が「硯箱」です。こうした箱は、日本では10世紀ころより作られ始めたと考えられています。硯箱の多くは木製で、表面に漆を塗ったり、金粉で文様を表す「蒔絵」や、文様の形に切った貝を貼り付ける「螺鈿」で装飾した作品も登場しました。しだいに内容品の種類は整理されるとともに、箱の内外や内容品のデザインの統一が図られ、コンパクトにまとまった硯箱が作られるようになりました。やがて硯箱は、文房具では必須のアイテムとなり、貴族、僧侶、武家など文字を使う有力者の間では、洗練されたデザインと高度な装飾技法を用いた硯箱が好まれました。 では作品を見てみましょう。全体は木製で、表面に漆を塗り、金粉を蒔き付ける「蒔絵」の技法でデザインが表されています。硯の上には、瓜の実をかたどった銅製の水滴(すいてき)があります。水滴は、硯で墨をするさいに使う水を入れておく容器です。硯の左右には、取り外しの出来る底の浅い容器が2つ配置されています。もとはこの中に、筆や小刀(こがたな)などが置かれていたのでしょう。蓋の表は、遠景に山々と月、近景に菊・撫子(なでしこ)・桔梗(ききょう)など秋の草花が描かれます。これに対して蓋の裏から身の内側にかけては、流水のほとりに建つ建物が表されています。蒔絵は、部分に応じて、金粉を高く低く蒔き、あるいは線を描くなど、多彩な技法が駆使されています。大小の金属の板をはる「截金」(きりかね)や「平文」(ひょうもん)も見られます。蒔絵の技法がほぼ出そろい、またコンパクトで洗練された硯箱が多く制作された15世紀の制作と考えられています。 ところどころに、文字の形に切った銀の板がはられています。これは、11世紀後半から12世紀前半に活躍した貴族の源雅実(みなもとのまさざね)が、京都の男山を主題として読んだ和歌「なおてらせ よよにかわらず おとこやま あおぐみねより いずるつきかげ」から、いくつかをとったものです。このことから、蒔絵のデザインも和歌に基づいたものであることがわかります。このように、物語や和歌などの古典文学を題材として絵画化し、また文字自体をデザインの一部として取り込むやり方は、日本美術によくみられる特色です。
奈良国立博物館,Nara National Museum
室生寺(むろうじ)伝来とされる二重の箱。被蓋造(かぶせぶたづくり)の内箱は身の側面に逆巻く波濤(はとう)を描き、蓋表には海中の岩礁(がんしょう)に立つ八体の鬼形(きぎょう)を、蓋裏には七体の鬼形と一体の童子形を描く。蓋側面には蓋表から続く岩礁や海景を描いている。内面は朱漆塗で塗り込められ、神秘な趣を有している。一方、唐櫃(からびつ)形式の外箱は、身の側面に鹿に乗る春日五所の神々と眷属(けんぞく)を描いている。正面は春日二宮(本地・薬師如来)と十二神将及び三宮(本地・地蔵)と十王・司命(しめい)・司録(しろく)、向かって左側面には春日一宮(本地・釈迦如来)と四天王・十天、向かって右側面には四宮及び若宮と十二宮(じゅうにきゅう)を描き、背面は無地としている。蓋側面には三箇ずつ宝珠(ほうじゅ)が配されるが、これは本品が宝珠を納めていたと考えられることとも符合する。蓋表には損傷が著しいが、宝珠を持した龍神が描かれていると推測されている。 さて、本品は宝珠を納めた箱と伝えられており、また表面に描かれた彩絵の画題から、春日信仰、龍神信仰と密接な関わりをもっていたことが推測される。春日をめぐる龍神信仰は複雑であるが、若宮神もそのはじめは小蛇の姿で顕現したとされており、龍神信仰が根底にあったことは疑いない。本品は若宮信仰と直接関わるものではないにしても、広範な春日龍神信仰の一端を示す貴重な例である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代の作。文様は、金の薄肉高蒔絵を主体に銀蒔絵を交えて描かれている。蓋の表から身の内に収められた懸子や金銅製の水滴にいたるまで、すべてに桜の意匠がとりいれられており、桜の花に寄せる日本人の愛着がそのまま形になってあらわれたような作品となっている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代の作。蓋表から蓋裏にかけて、秋の野に置かれた枕、板葺きの家の中で砧を打つ男女の姿などを描く。秋草や家屋、人物は、描割(かきわり)を駆使して精細に描き込まれている。画中の「しられ」「ぬる」の文字と合わせて、『千載和歌集』巻5の俊盛法師の歌「衣うつ音をきくにぞ知られぬる 里遠からぬ草枕とは」を表わしている。 筆記に用いる硯や筆などの道具を納めるための箱が「硯箱」です。この硯箱は木製で、表面に漆を塗り、金粉を蒔き付ける「蒔絵」の技法でデザインが表されています。蓋を開けると、身の内側には薄い容器が敷かれ、その上に硯(すずり)と水滴(すいてき)が置かれています。硯の上下に渡してある材は、筆や小刀を置くための台です。 蓋の表をみてみましょう。右上には月と雲を配し、左下には薄(すすき)・桔梗(ききょう)・女郎花(おみなえし)・藤袴(ふじばかま)など、日本で伝統的に好まれてきた秋の草花の中に、獅子をあらわした枕を置いています。これに対して蓋の裏側には、秋草に囲まれた家屋、その中で砧(きぬた)を打つ男女の姿があらわされます。砧は布をたたく道具で、たたくことによって柔らかくしたり、皺(しわ)をのばすために使われました。かつては秋の夜になると、家々から砧の音がしたといい、秋の夜を象徴するモチーフともなりました。 蒔絵は、部分に応じて、金粉を高く低く蒔き、あるいは線を描くなど、多彩な技法が駆使されています。ところどころに、実際の金銀の金属片を貼り付ける技法も効果的です。洗練された蒔絵の技法とスマートな硯箱の形が印象的な作品です。 蓋の表には秋草に紛れこませるように、「しられぬる」の文字が銀蒔絵で記されています。これは、平安時代12世紀の貴族、藤原俊盛(ふじわらのとしもり)が読んだ和歌「衣打つ音を聞くにぞ知られぬる里遠からぬ草枕とは ころもうつ おとをきくにぞ しられぬる さととおからぬ くさまくらとは」の一節です。蒔絵のデザインは、この和歌にもとづくものであることがわかります。このように、物語や和歌などの古典文学を題材としてデザイン化し、また文字自体をデザインの一部として取り込むやり方は、日本美術によくみられる特色です。それを理解するための教養が必要とされたことは、いうまでもありません。
坂本五郎氏寄贈,九州国立博物館
奈良・東大寺に伝来する練行衆盤(重要文化財、永仁六年(1298))は、二月堂の修二会において練行衆が食事をする際に用いた盤で、裏面に制作年月や漆工名を示す銘文を持つことから中世漆器の希少な基準作として大変重要な存在である。本品は、この東大寺練行衆盤と一連のものであり、民間に数枚現存するうちの貴重な一である。 黒漆塗の地に朱漆の上塗を施したいわゆる根来塗で、表面の朱漆と、経年により露出した黒漆のコントラストが雅味ある見所となっている。練行衆盤は根来塗の遺品においても、近代以降の数寄者にとりわけ人気で、朱色・円形であることから「日の丸盆」、紀年銘から「永仁盆」とも呼ばれ珍重された。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
沈金は、漆器の表面を線刻し、その彫り溝の中に金箔や金粉などを付着させて、文様を表わす技法。中国の鎗金という技法が日本に伝わり、沈金と呼ばれた。沈金には鎗金(そうきん)の文様を踏襲したものも見られるが、時代が降るにつれて和様化し、独特の素朴な表現が見られる。
根来塗,Negoro Style
根来塗は下地に黒漆の中塗を行い、さらに朱漆の上塗をほどこして仕上げた朱漆塗製品である。名称は紀州根来寺が中世期に自給自足していた漆器からきている。根来寺で根来塗の生産が行われたのは、正応元年(1288)以降、天正13年(1585)秀吉の根来攻略までの約300年間で、これ以降根来では漆器の生産は行われていない。この大振りの丸鉢は室町時代にさかのぼる優品である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代の作。素地に文様を彫り込みその上から漆を塗る、いわゆる鎌倉彫の技法は、中国の彫漆器を模して発達したとみられる。ここでは鶴亀に松竹、椿の日本の蓬莱文様を表わすが、椿の花には朱漆、葉には緑の漆が用いられ、「紅花緑葉」とよばれた中国彫漆の表現を踏襲している。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
東京国立博物館,Tokyo National Museum
檜扇を組み合わせた円文を、金の研出(とぎだし)蒔絵を用いて描いています。散らし文様を洲浜状にまとめた文様構成は、鎌倉時代に大いに流行しました。他にも菊枝蒔絵手箱(重要文化財・畠山記念館蔵)など同趣の作品がいくつか知られています。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
華籠は法会の際、僧がまき散らす散華(さんげ)(通常は華葩(かは)という花弁をかたどった紙)を納める。奈良時代8世紀の例に、竹を編んで作ったものがあり、その後は金銅製が多数を占める。この作品は、紙で成形し漆を塗って固め、彩色したという珍しい例である。 華籠は花を盛るための器で、仏教の儀式で使われる道具です。僧侶は華籠を持ち、花を手に取って散らし、仏を供養します。花はもとは生花(せいか)であったのが、やがて紙や布で花びらをかたどった代用品になったといいます。華籠と紙製彩色の花びらは、奈良時代8世紀の作品が今に伝わっており、その後も各時代において作られ続けました。現代でも、仏教の儀式で華籠や紙製の花びらが使われる場面を目にすることがあります。華籠の材質は竹、木、銅などがありますが、銅板を鍛造して成形したものがもっとも多く見られます。形は浅い皿状が一般的ですが、より深いものや、持ち手を付けた例もあります。 この作品はきわめて珍しい紙製の華籠です。木型に紙を貼り重ね、木型を抜いて浅い皿形に成形したのち、黒漆を厚く塗ってつくられています。さらに内面には、蓮華の花を上から見た文様と、仏具の一種である「三鈷杵」(さんこしょ)を描いています。蓮華の花や三鈷杵など、仏教になじみ深いモチーフが、緑、白、朱、金箔などの鮮やかな彩色であらわされた華籠です。紙製であるためか、驚くほどの軽さです。愛知県の万徳寺(まんとくじ)には、同じデザインとつくりの紙製の華籠が6面伝わっており、この作品ももとは一緒であったと考えられます。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>中央で地面を踏み正面を向く獅子は、強烈な存在感を示しています。技法は金の研出【とぎだし】蒔絵だけですが、輪郭線や細部を描き残す描割【かきわり】が駆使されており、粉【ふん】を蒔暈【まきぼか】して変化を生む工夫が凝らされています。獅子と牡丹の組み合わせは鎌倉時代から見られ、室町時代にはおおいに流行しました。<br /></p>
近世(江戸時代)の漆器
尾形光琳作,By Ogata Kōrin (1658–1716),東京国立博物館,Tokyo National Museum
本阿弥光悦の様式を継ぎながら独自の作風を確立した琳派の中心的芸術家、尾形光琳の手による硯箱。意匠は、光琳が好んで採り上げた『伊勢物語』第9段の「八橋」の場面による。表面には黒漆を塗り、蓋表と身の側面に燕子花(かきつばた)と板橋を描く。燕子花には厚手のアワビ貝を打ち欠いて用い、葉と茎は金の蒔絵で表現する。板橋は腐食させた鉛板で質感を出し、橋杭は銀板である。蓋表と側面には流水を表さず、内部の上下の箱の底に金の蒔絵で波文を描く。
本阿弥光悦作,By Hon'ami Koetsu (1558-1637),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>蓋(ふた)を山形に高く盛り上げた、本阿弥(ほんあみ)光悦(こうえつ)独特の形の硯箱。『後撰和歌集』の和歌「東路の佐野の(舟橋)かけてのみ 思ひ渡るを知る人ぞなき」の文字を散らし書きのように配す。豪華でありながら簡潔な印象を与える、光悦の蒔絵の中でも最も洗練された作行の名品である。<br /></p><br /><p> 硯(すずり)と水滴(すいてき)、筆やペーパーナイフを収めるための箱で、高く盛り上がった蓋のかたちと、大胆にクローズアップされた舟と橋の図柄が印象的です。蓋の表面は、漆を塗った後、金粉を隙間なく蒔きつけ、研ぎ上げて仕上げる「沃懸地(いかけじ)」で、さらに粘り気の強い漆で金粉を蒔きつけて線を表わす「付描(つけがき)」の技法によって波を描いています。並んだ舟の上に、斜めに大きく表された橋には鉛(なまり)の板を使い、ランダムに置かれた文字は銀の厚い板を用いています。文字は組み合わせると源等(みなもとのひとし)という平安時代の貴族が詠んだ和歌の歌詞となりますが、歌詞にある「舟橋」という文字は図柄で表されているので省略されているのです。作者の本阿弥光悦は、17世紀前半に活躍した京都の人で、刀剣の研師(とぎし)の家に生まれながらも、書や陶芸、そして漆工の分野で才能を発揮しました。この硯箱は、大胆な形状や図柄でありながらも、金・銀・鉛を巧みに使い分ける絶妙なバランス感覚や高度な技術によって、洗練された印象を与えています。</p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
画面を区切って異なる文様を組合わせるデザインや、平(ひら)蒔絵に絵梨子地(えなしじ)を交えるなど、桃山期に流行した高台寺蒔絵に連なる特色を示す。ただし針描(はりがき)を交えず、貝の部分は梨子地に高(たか)蒔絵で表わすなど、形骸化した様相も認められ、江戸時代に入ってからの作品と考えられる。
伝本阿弥光悦作,Attributed to Hon'ami Kōetsu (1558–1637),東京国立博物館,Tokyo National Museum
天板に筆返しをもうけた3段の棚で、それぞれ『源氏物語』の「初音」「夕顔」「関屋」の帖を象徴的に表わしている。観音開の扉から引戸にかけては垣を表わし、下段に扇子、収納部の内面や棚の側面・背面には、楓と松の葉を散らす。技法は金銀高蒔絵を主体にして、螺鈿、金銀切金、錫平文を併用している。重要文化財「舞楽蒔絵硯箱」(東京国立博物館)、重要文化財「扇面鳥兜蒔絵料紙箱」(滴翠美術館)とともに、徳島藩主蜂須加家に伝来した。
伝本阿弥光悦作,Attributed to Hon'ami Koetsu (1558-1637),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>金の薄肉高(うすにくたか)蒔絵と平(ひら)蒔絵で波や芦、千鳥を描き、鉛の板で舟を手前に大きく表わす。芦に舟の図柄は平安時代の料紙装飾にもみられる当時流行の意匠であり、光悦の蒔絵には王朝時代の美術や文学に主題を求めた例が多い。厚い鉛板を大胆に使うところも、光悦作品の特色の一つである。<br /></p>
伝本阿弥光悦作,Attributed to Hon'ami Kōetsu (1558–1637),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>蓋表には鉦鼓【しょうこ】・撞木【しゅもく】と鳥兜を被った舞人、蓋裏には扇と舞楽装束を表わし、舞楽にまつわるモチーフで統一しています。対象に近接した大胆な構図で、金高蒔絵に螺鈿、金棒や鉛板の象嵌、金鋲など多彩な技法と素材が駆使されています。徳島藩主蜂須賀家に伝来しました。<br /></p>
伝永田友治作,Attributed to Nagata Yūji,東京国立博物館,Tokyo National Museum
蓋表から身の側面にかけて、金の高蒔絵に螺鈿、鉛の厚い板などを用いて豆の葉と実を表わす。蓋裏には笹に菊をあしらい、兎を大きく描いている。大胆な装飾材料の用法や文様構成に、作者と伝える永田友治が私淑した光琳に連なる蒔絵の特色を看て取ることができる。
5代中村宗哲作,By Nakamura Sotetsu V (1767-1811),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>表千家六代原叟+げんそう+の好みによる懐石道具の一式。19世紀初めにまとめられた茶道書『茶道筌蹄+ちゃどうせんてい+』に「紀州侯より加州侯へ進ぜられし候節の好なり」と記されており、大名家のための懐石道具であった。このため折敷には足が付けられ、すべてが漆器という格を重んじた構成となっている。<br />(横山梓氏執筆)(170418_h14懐石のうつわ)<br /><br />折敷+おしき+に四つの椀(飯椀、汁椀、坪椀、平椀)が揃う「四つ椀」の形式をとる。今日の懐石では、飯椀と汁椀の組み合わせに向付が一般的であるが、この懐石具が作られた頃には、こうした形式を用いていたことがわかる貴重な例である。(横山梓氏執筆)(170418_h14懐石のうつわ)<br /></p>
東京国立博物館,Tokyo National Museum
表面は全体に鮫皮の粒を蒔き、螺鈿と平蒔絵で文様を表わしている。ただし「鮫皮」とは、実際にはエイの皮を呼び慣わしているもの。エイの皮は東南アジア産で、江戸時代に入ると大量に日本へ輸入されるようになった。エイの皮を用いた漆器は17世紀中葉、オランダ東インド会社を通じて盛んに輸出された。
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石川県輪島市にある、漆芸専門の美術館。様々な漆器が常時展示されている。
茶人中村栄俊氏が収集した美術品を中心とした所蔵品を持つ。年4~6回の展覧会あり。
主に漆工品を中心にしたカザールコレクションを持つ。本館陳列室ではコレクション展が随時開催されている。
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国立文化財機構の4つの国立博物館 (東京国立博物館、京都国立博物館、 奈良国立博物館、九州国立博物館)と研究所(奈良文化財研究所)が 所蔵する国宝・重要文化財の高精細画像をみられる。
日本の伝統工芸作品を紹介するサイト。漆芸の技法や産地、種類などを解説している。
日本工芸会は、重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)を中心に伝統工芸作家、技術者等で組織する団体。漆芸分野で人間国宝に指定された作家と作品を紹介している。
青森県の津軽塗や和歌山県の紀州漆器など、全国各地の漆器を見ることができる。それぞれの特徴、作業風景、作り方など各地の漆器の魅力を伝えている。
各地の漆器の紹介、手入れの仕方などのほか、漆自体の歴史や特徴も併せて載せている。
参考文献
- 四柳嘉章 著,岩波書店
- 山本勝巳 著,丸善
- 責任表示
- 国立国会図書館
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2026/01/05