千利休
安土桃山時代の茶人で、侘び茶を大成させた。
安土桃山時代の茶人。大永2年(1522)、当時日本最大の貿易港であった堺の町衆・千与兵衛の子として生まれ、当時流行していた茶の湯を武野紹鴎(たけのじょうおう)らに学んだ。天文9年(1540)、父の死を受けて家業を継ぐ一方、南宗寺に参禅して千宗易(せんそうえき)と名乗る。茶会を主宰するようになるのもこの時期で、以後、自身の創意工夫を盛り込みながら、侘び茶(わびちゃ)を大成させていった。
利休の師・紹鴎が基礎を築いた侘び茶は、室町時代の唐物を用いた従来のにぎやかに楽しむ茶の湯に対し、質素な仕上がりの日本の工芸品も使い、不足の美を追求する茶の湯であった。利休は師から受け継いだ侘び茶を更に深化させていく。こうして利休は主客の心の交流をもってもてなすことに特化して一切の無駄を削ぎ落とし、禅の思想を根底に据えた小座敷での侘び茶を完成させる。わずか2畳の茶室「待庵」(たいあん)はそうした利休の茶の湯を体現するものである。
天正13年(1585)、豊臣秀吉の関白就任報謝の茶会で正親町天皇(おおぎまちてんのう)に献茶を行い、利休居士の号を許される。天正19年(1591)、秀吉から切腹を命じられ、自害。切腹を命じられたのは、自分の木像を大徳寺山門に安置した、茶器に高価な値を付けて取引した、秀吉の弟秀長と利休の親密な関係を危険視した石田三成の策略、などといった説があるが、真相は判然としない。
関連するひと・もの・こと
本で知る
もっと知りたい
動画を探す
過去の展覧会を探す
| タイトル | 主催者 | 会場 | 開始 | 終了 |
|---|---|---|---|---|
見に行く
千利休の判のある「竹花生 銘一曲」、利休による書状などを始め、多数の茶道関係資料を収集・展示している。
日本・東洋の古美術コレクションを収蔵する三井文庫別館が日本橋に移転して平成17年(2005)10月に開設された私立美術館。三井家は家祖・三井高利の次の代に11家に分かれて各課が茶道具を中心とする美術品を収集した。美術館では伝千利休筆張紙墨書のある「黒楽茶碗(俊寛)」(国の重要文化財)を所蔵するほか、展示室では国宝茶室如庵を再現している。
日本と中国の絵画、書、工芸品などの東洋古美術を約11,000点所蔵・展示する美術館。大阪府和泉市が運営している。千利休が所持し、百会(千利休が催した百回の茶会)で使用したと伝えられる「黄瀬戸立鼓花生 銘旅枕」(国の重要文化財)を所蔵する。
大阪府泉北郡忠岡町にある私立美術館。国宝3件、重要文化財13件を含むを含む約1,300点を所蔵・展示しており、「絹本著色千利休像」(国の重要文化財)は、千利休の生前の姿を描いた画像として有名である。
ジャパンサーチの外で調べる
千利休を祖とする千家流茶道本家。「利休の茶の湯とその流れ」ほか、利休や茶の湯に関するさまざまなコンテンツが掲載されている。
