英一蝶
江戸時代前・中期の都市風俗を軽妙洒脱な筆致で描いた画家。英派の祖。
1652-1724(承応1-享保9)
江戸時代前期~中期の画家。京都生まれ。本姓は藤原・多賀氏、幼名は猪三郎、後に次右衛門・助之進と改名。名は信香・安雄。字は君受。はじめは多賀朝湖(たがちょうこ)の画名を使ったが、三宅島配流から江戸へ帰還した後、英一蝶に改めた。号は狩林散人(しゅりんさんじん)、翠蓑翁(すいさおう)、北窓翁など多数。俳号は暁雲(ぎょううん)。
寛文6年(1666)15歳で家族とともに江戸へ下り、幕府御用絵師の狩野安信(かのうやすのぶ)に入門。江戸狩野派の様式に習熟するが、やがて、岩佐又兵衛(いわさまたべえ)・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)らの浮世絵や風俗画の影響を受けて、都市風俗画を描き、人気を得る。俳諧にも親しみ、松尾芭蕉(まつおばしょう)やその門下の榎本(宝井)其角(えのもときかく)、服部嵐雪(はっとりらんせつ)らと交流し、当時出版された蕉門の俳諧句集に暁雲の俳号で句がみえる。また、吉原では名うての幇間(ほうかん、太鼓持ち)として知られ、元禄6年 (1693)、江戸幕府の忌諱に触れて入牢、46歳で三宅島に流罪。配流中は、阿古村に居住し、米や酒を販売する雑貨商を営むかたわら、三宅島や近隣の島の寺社や有力者の依頼を受けて、天神・布袋・観音などの絵を中心に描いた。三宅島時代の一蝶の作品は、「島一蝶」と呼ばれる。
宝永6年(1709)、将軍代替わりの恩赦により江戸へ帰還、英一蝶と改名し、以降精力的に画業に励む。また、一舟・一蜂・一水ら門弟を育成し、江戸時代後期まで続く日本画の一流派「英派」を形成した。享保9年(1724)永眠。
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日本と東洋の文化財を守り伝える中心拠点としての役割を担う我が国の総合的な博物館です。代表作「雨宿り図屏風」などの英一蝶の作品を所蔵。
愛知県名古屋市の中心部、栄に1955年に開館した「愛知県文化会館美術館」を前身とする愛知県美術館は、都市型の複合的な文化施設である愛知芸術文化センターの中の美術館として、1992年に開館しました。20世紀の美術を中心に、考古から現代美術にわたる約8,000件のコレクションを有し、また幅広いジャンルの展覧会を多数実現しています。地域の中核的な美術館として、より創造的で多様性に富む社会の実現に寄与すべく、美術・文化の発振地となることを目指しています。英一蝶の作品を所蔵。
江戸狩野派をはじめとする近世絵画、大正から昭和初期の前衛美術、板橋区ゆかりの作家の作品を中心に所蔵。「六歌仙図屏風」など、英一蝶の作品を所蔵する。
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参考文献
- 小林忠 , 文化庁
- 英一蝶 [画],板橋区立美術館
- 日立デジタル平凡社,平凡社





