足利尊氏
室町幕府の初代将軍。後醍醐天皇の建武政権樹立に貢献したが、その後叛旗を翻して室町幕府を開いた
1305-1358(嘉元3-延文3/正平13)
室町幕府の初代将軍。在職は暦応元年(1338、[延元3])-延文3年(1358、[正平13])。足利貞氏(さだうじ)の二男。母は上杉清子(うえすぎきよこ)。清和源氏の名門として鎌倉幕府に重んじられた足利氏の嫡流として生まれる。初名は高氏。妻は執権北条守時(ほうじょうもりとき)の妹・登子(とうし/なりこ)。
元弘元年(1331、[元徳3])後醍醐(ごだいご)天皇が鎌倉幕府打倒のため挙兵すると、幕府軍として上洛。同3年、後醍醐天皇の再挙兵でも出兵したが、一転、丹波で反幕府の旗を掲げ後醍醐に与(くみ)した。離反の理由は明らかでないが、北条氏打倒、源氏再興のためなどといわれる。同年5月、京都に侵攻、幕府方の拠点、六波羅探題(ろくはらたんだい)を滅ぼし奉行所を置いた(元弘の乱)。後醍醐天皇は高氏(尊氏)の戦功を賞し、また自身の諱(いみな)尊治(たかはる)の一字を与えたが、武士の信望が尊氏に集まるとともに、後醍醐天皇との対立が深まった。建武2年(1335)7月、北条時行(北条高時の子)が幕府復活を図って信濃で挙兵すると鎮圧のため東下したが(中先代の乱)、11月には建武政権に叛旗を翻す。新田義貞(にったよしさだ)軍を箱根で破り、建武3年(1336、[延元元])1月に入京するも、北畠顕家(きたばたけあきいえ)軍に敗れて九州に逃れた。やがて勢力を挽回し、同年5月には楠木正成(くすのきまさしげ)らを摂津の湊川(みなとがわ)に破って入京を果たし、8月に光明(こうみょう)天皇(北朝)を擁立した。11月には「建武式目(けんむしきもく)」を制定、室町幕府を開き、暦応元年(1338、[延元3])8月には征夷大将軍となる。一方、吉野に脱出した後醍醐天皇は、光明の皇位を認めず尊氏打倒を諸国に呼びかけ、南北朝分裂の時代となった。
室町幕府は開府以来、尊氏とその弟・直義(ただよし)の2頭政治で、尊氏の執事・高師直(こうのもろなお)と直義の対立が深まり、観応元年(1350、[正平5])10月に直義が師直誅伐のため挙兵した(観応の擾乱[じょうらん])。その後、直義と師直の対立は、尊氏・義詮(よしあきら、尊氏の子)派と、直義・直冬(ただふゆ、尊氏の庶子、直義の養子)派の対立となり、南朝勢力や諸国の守護も加わっての動乱となった。尊氏の軍は直義軍を降し、文和元年(1352、[正平7])には直義も急死したが、直冬らの抵抗は続いた。それに対処するなか、延文3年(1358、[正平13])に病のため死去。法名は等持院(とうじいん)、墓所は京都等持院。尊氏が帰依した夢窓疎石(むそうそせき)は、尊氏を勇気・慈悲・無欲を兼ね備えた将軍と評したという。戦没者供養のため、直義とともに諸国に安国寺と利生塔(りしょうとう)を、後醍醐天皇の菩提を弔うために天龍寺(てんりゅうじ)を建立した。
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京都亀岡保津川下り(保津川遊船企業組合)
元弘3年(1333)足利尊氏は篠村八幡宮で祈願後、京都・六波羅探題を攻撃した。
京都市右京区に所在。足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれた。
京都市北区にある臨済宗天龍寺派寺院
夢窓疎石を開山として足利尊氏が衣笠山の南麓に創建。のち等持寺をあわせ、足利将軍家歴代の菩提所となる。
神奈川県鎌倉市に所在。延文3年(1358)足利基氏が創建、古先印元を開山に迎えたという。同年足利尊氏が没しており、尊氏の菩提を弔うためといわれる。境内には足利尊氏墓と伝えられる五輪塔があり、寺宝としては木造古先印元坐像・同足利尊氏坐像などがある。毎年春と秋に限定公開されている。
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足利尊氏像と伝えられてきたが、近年疑問とされ、尊氏に仕えた高師直とする説がある。
足利尊氏の生涯と足利家に伝わった日本刀を紹介している。東建コーポレーション監修。
尊氏の自筆とされる柳原資明宛の書状を見ることができる。宮内庁書陵部所蔵の資料が検索できる。
参考文献
- サンプルページ「足利尊氏」の項。
- サンプルページ「足利尊氏」の項。
- サンプルページ「足利尊氏」の項。
- 日立デジタル平凡社,平凡社