河竹黙阿弥
幕末から明治前期にかけて活躍した歌舞伎作者。作品総数は約360に及び、江戸歌舞伎の集大成者とされる
1816-1893(文化13-明治26)
幕末-明治前期の歌舞伎作者。本名は吉村芳三郎(よしむらよしさぶろう)。俳名其水(きすい)。江戸日本橋の商家に生まれる。若くして放蕩の時期を過ごしたのち、5世鶴屋南北に入門、天保6年(1835)初世勝諺蔵(かつげんぞう)を名乗って市村(いちむら)座の作者部屋に入った。天保14年(1843)2世河竹新七(しんしち)を襲名し、座付き作者の筆頭である立作者(たてさくしゃ)となった。はじめ不遇であったが、安政元年(1854)4世市川小団次(いちかわこだんじ)の求めに応じて著した『都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)』(通称「忍の惣太」)が大入りとなる。以後、小団次とは『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』(通称「鼠小僧」)、『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』(通称「三人吉三」)など江戸末期の不穏な世情を反映させた白浪(しらなみ)狂言(盗賊物)を多数生み出す。二人は白浪役者、白浪作者と呼ばれるようになり、黙阿弥は江戸三座(中村座・市村座・森田座)を掛け持って活躍した。小団次没後は、遺児の初世市川左団次(いちかわさだんじ)を盛り立てている。
明治期には得意の世話物(せわもの)のほか、9世市川団十郎のための活歴物(かつれきもの)や5世尾上菊五郎のための散切物(ざんぎりもの)など多くの作品を残し、江戸歌舞伎の集大成者とされる。明治14年(1881)黙阿弥と改名、引退を宣言したが、スケ(助筆)の名目でその後も活躍。作品総数は約360に及び、洗練された七五調の台詞が特徴とされる。おもな作品に前出のほか、『蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)』『小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』『島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)』『高時(たかとき)』などがある。門人のために『狂言作者心得』を著している。
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三人吉三廓初買(三人吉三)
青砥稿花紅彩画(白浪五人男)
天衣紛上野初花(河内山と直侍)
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「エンパク」の名で親しまれる早稲田大学坪内博士記念演劇博物館は、1928(昭和3)年10月、坪内逍遥博士が古稀の齢(70歳)に達したのと、その半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が完成したのを記念して、各界有志の協賛により設立されました。以来、アジアで唯一の/世界で有数の演劇専門総合博物館として、日本国内のみならず、世界各地の演劇・映像関連資料の収集につとめてきました。およそ100万点にもおよぶ膨大なコレクションは、90年にわたり培われた”演劇の歴史”そのものといえるでしょう。演劇人・映画人ばかりでなく、文学・歴史・服飾・建築をはじめ、様々な分野の方々の研究に貢献しています。
東京都台東区にある。東京とりっぷサイト。
東京都中野区の源通寺に河竹黙阿弥の墓がある。中野区公式観光サイト。
国立国会図書館
伝統芸能の保存及び振興を行う独立行政法人日本芸術文化振興会が運営するサイト。河竹黙阿弥の生涯や関係する人々、主な演目などを紹介している。
「河竹黙阿弥」関連の演目情報・資料情報・人物情報を調べることができる。演目情報では出演者やスタッフなども載せている。
上演のつど発行される。「三人吉三巴白浪」「天衣紛上野初花」「新皿屋舗月雨暈」の上演年表を見ることができる。
歌舞伎 on the web
早稲田大学図書館が所蔵する古典籍の書誌情報と関連研究資料、さらには全文の画像を、学術研究に資する目的で広く全世界に公開するもの
参考文献
- 服部幸雄, 富田鉄之助, 廣末保 編,平凡社膨大な専門知識の蓄積を系統的に集大成した初の本格的専門事典。最新の研究成果を織り込み,伝承技術と知識と1500余項目で解説。(日本児童図書出版協会)
