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伝小野道風筆「古今和歌集断簡(本阿弥切)」/平安時代(12世紀) / ColBase(国立東京博物館所蔵)

日本の書

中国から伝わり、日本の風土で育まれた文字の造形芸術

日本の書は、古代から現代にいたるまで、さまざまな時代の中国書法の摂取を行ないながら、それと並行して、わが国固有の文化や美意識に適う、日本独自の書の様式を摸索・構築してきた。そのため、日本の書の潮流には、漢字のみを用いた中国風と、平安時代にそこから分化し発展した日本風(和様)の大きく二つの様式がある。日本における書の始まりは中国からの漢字の伝来とともに始まる。国内最古の文字の遺品は、1世紀半ばに中国・後漢の光武帝が倭の奴国の王に授けたという「漢委奴国王」の金印である。5世紀中頃から6世紀の古墳からは、漢字で日本語を表記した鏡や刀剣が出土しており、この頃既に日本における漢字の運用が進められていたと考えられる。飛鳥時代に、大陸から仏教が伝来すると、多くの仏教経典が日本にもたらされ、あわせて墨・紙・筆の製法も伝えられた。また、奈良時代には写経が盛んになり、政府機関の写経所が設置され、国家鎮護を目的とした大規模な写経事業が行なわれた。平安時代は、日本独特の国風文化が醸成された時代であり、言語の分野においても、日本語を適切に表記するための音節文字「仮名文字」が生み出された転換期であった。また、仮名文字の出現に伴い、それまでお手本とされてきた唐風の書とは趣の異なる、日本風の和様の書が誕生・確立された時代でもある。

平安時代の書

日本風の書風「和様」の書の誕生と確立

平安時代初期は、奈良時代に引き続き、朝廷が遣唐使を派遣し、唐文化の積極的な摂取が行っていた。この時代を代表する能筆として、今日「三筆」と称され、日本の書の基盤を築いた、空海・橘逸勢・嵯峨天皇が挙げられる。現在、橘逸勢の確実な真筆は確認されていないが、空海、そして空海に書を学んだ嵯峨天皇の書からは、唐風の書、特に、中国で「書聖」と呼ばれた東晋時代の能筆・王羲之の影響を見ることができる。平安時代中期に遣唐使が廃止され、大陸との国交が途絶えると、日本の風土や日本人の嗜好に叶った国風文化が育まれるようになる。漢字を簡略化した、平仮名(女手)が急速に発達。日本固有の詩歌である和歌が隆盛し、初の勅撰和歌集『古今和歌集』が成立する。この時代に活躍したのが小野道風、藤原佐理、藤原行成の「三蹟」である。この3人の手によって、日本風の流麗な和様の書が完成し、以後、日本の書は和様の書を中心に展開する。11世紀半ばには、仮名書の最高水準として古来より名高い「高野切本古今和歌集」が生まれ、以後、「古筆」として珍重される仮名の名品が次々と出現した。

平安初期の高僧。天台宗の開祖。伝教大師。12歳で出家し、19歳から比叡山で修行。桓武天皇の勅命を受け、空海らと唐へ渡り、天台・密教・禅・戒を学ぶ。帰国後、天台宗を開宗。比叡山に延暦寺をつくった。本資料は最澄筆による書状。

平安初期の3人の書道の達人。空海、嵯峨天皇、橘逸勢。

真言密教を確立し、日本文化全般にも多大な功績を残す平安初期の僧

平安時代中期の悲運の学者・政治家。天神様として知られる

和歌の文学・芸術的価値を高めた、平安時代を代表する歌人

平安時代中期の3人の書道の達人、小野道風、藤原佐理、藤原行成。またはその書。

ふじわらのゆきなり。平安時代中期の公卿・能書家。三蹟の一人。和様の書の完成者で、世尊寺流の祖。筆跡は「権蹟(ごんせき)」ともよばれる。

ふじわらのさだのぶ。平安時代後期の能筆家。藤原行成を祖とする能書の家系・世尊寺家の五代目当主で、一切経を一人で書写したことでも知られる。

ふじわらのただみち。平安時代後期の貴族で、摂政・関白もつとめた。書に秀でていて、和様の書風に粘り強さを与えた彼の書は、法性寺流として鎌倉時代にかけて流行した。

ふじわらのとしなり。平安時代末期の歌人。歌学者としても著名で、勅撰和歌集『千載和歌集』の撰者でもあった。本資料は、俊成が書写した『古今和歌集』の断簡。後世「俊成風」と呼ばれる奇癖の強い書風が特徴的。

平安末期の歌人。武士を捨て、諸国を修行して独自の詠風を築いた

平安時代から鎌倉時代に書かれた和様書の名品。安土桃山時代以降、茶席の掛物「茶掛」として愛好され、掛幅に仕立てるため、巻物や冊子が切断されて古筆切ができた。

絵と詞書(ことばがき)を用いて物語を展開する巻物形式の絵画作品

鎌倉・南北朝時代の書

流儀書道の盛行と墨蹟の影響

鎌倉時代は、流儀書道(書流)が確立されていった時代である。鎌倉時代に盛行した代表的な流派に、「三蹟」の一人、藤原行成を始祖とする「世尊寺流」や、平安末期の関白、藤原忠通が創始した「法性寺流」などが挙げられる。忠通の法性寺流は、伝統的な和様の書に力強さを加えた書風で、武家文化が台頭する世情に合致し、鎌倉時代に貴族や武士の間で大きな流行をみせた。また、鎌倉時代には大陸との交流が復活し、中国から禅宗とともに禅宗僧侶の書「墨蹟」がもたらされた。墨蹟は、禅僧を中心に日本の書に大きな影響を与え、その影響は皇室にも及んだ。この時代、歴代の天皇によって、和様の書風や宋・元の書を踏まえた格調高い書が多く遺されており、それらは「宸翰」と呼ばれている。続く南北朝時代には、青蓮院の門跡・尊円親王が青蓮院流を創始する。尊円親王は、世尊寺流の書を学んだ後、上代様の書、さらに宋の書風をも取り入れて独自の書風「青蓮院流」を完成。以後、この青蓮院流は日本の書の主流となった。

和歌の美を追求し、中世最高の歌人と評される

浄土真宗を開いた鎌倉時代の宗教家

鎌倉時代の文武両道の天皇。幕府に対抗して承久の乱を起こし、隠岐に配流

後鳥羽上皇が熊野詣の折に開催した歌会に用いられた懐紙。鎌倉初期の和歌、書道の優品

ふじわらのためいえ。鎌倉時代中期の歌人。父は藤原定家。『続後撰和歌集』の単独撰者となり、また、『続古今和歌集』の撰者の一人となった。家集に『大納言為家集』、歌学書に『詠歌一体』がある。

第92代天皇。後深草天皇第二皇子。和歌、書に優れ、鎌倉時代後期を代表する書家の一人。本資料は、伏見天皇の和歌を歌集としてまとめるために書き留められた『伏見天皇御集』の断簡。世に「広沢切」と称され仮名の名筆として珍重されている。

鎌倉末期から南北朝期の禅僧。大徳寺を開山し、臨済宗大徳寺派の始祖となる。花園天皇の帰依を受けて、興禅大灯国師の号を贈られた。また、唐様の書にも優れていた。

第96代天皇。鎌倉幕府を倒して建武新政を樹立したが、南北朝分裂の時代を招く結果となった

せっそんゆうばい。鎌倉時代後期の僧。越後の人で、建仁寺の住持。一山一寧に参禅。18歳で入元し、留まること23年に及んだが、その途次投獄。流謫の難に遭った。五山文学者としても名高く、詩集語録等を残している。正平元年(1346)57歳で没した。

そんえんしんのう。伏見天皇の第6皇子。南北朝時代の能書家。1310年に親王となり、翌年剃髪、17世青蓮院門跡となった。世尊寺流の書を学んだ後、小野道風や藤原行成らの上代様や宋の書風も取り入れ、青蓮院流を確立。後代に大きな影響を与えた。

禅宗の僧侶の書を「墨蹟」と呼ぶ。禅の思想は茶道とも結びついたことから、墨蹟は茶室に掛ける「茶掛け」として欠かせないものとなった。

室町・安土桃山時代の書

戦乱の時代の書

戦乱が続いた室町時代から安土桃山時代は、日本の書が停滞し、定型化した時期であったといわれるが、動乱の最中にも、歌人・飛鳥井雅親、後柏原天皇ら能書による新しい流派が生まれるなど、書の潮流が絶えることはなかった。この乱世の時代を代表する書家の一人に、室町時代中期の臨済宗の僧・一休宗純がいる。当時の禅宗の形骸化を厳しく批判した一休の書は、日本風と中国風の書法を融合しながらも、その反骨精神を反映した極めて個性的な書で、近世禅僧の書の先駆となった。わび茶の祖として知られる村田珠光は、この一休宗純から受け取った宋の禅僧・圜悟克勤の墨蹟を床の間に掛けたといわれ、これが茶席における墨蹟使用のはじまりであったと伝わる。室町時代から安土桃山時代にかけて大成された茶の湯の世界では、茶席の床の間に書を飾るという慣習ができ、中でも禅僧の墨蹟や古筆切は古来珍重された。これらの名品は茶席の掛物として愛好され、数々の茶人たちの手を経て、今日に受け継がれている。

反骨精神に富んだ破天荒(はてんこう)な室町時代の禅僧

あすかいまさちか。室町時代中期の貴族。飛鳥井家は室町時代に歌道の家柄として台頭し、飛鳥井雅親(1417~1490)も歌を得意とした。また、雅親は能書としても著名で、出家して「栄雅」を名乗ったため、栄雅流(飛鳥井流)という書流を生み出した。上代様をもとにした滑らかな筆致である。

ごかしわばらてんのう。第104代天皇。後土御門天皇の第一皇子。名は勝仁(かつひと)。詩歌をよくした天皇として知られる。特に和歌は三条西実隆に学び、家集に『柏玉集』がある。また、能筆として名高く、その書風は後世、後柏原院流の名で呼ばれた。漢字・仮名ともに豊潤な筆使いに特徴がある。

安土桃山時代の茶人で、侘び茶を大成させた。

ごようぜいてんのう。第107代天皇。正親町天皇の王子誠仁親王の第一皇子。父が早世したため、祖父正親町天皇の跡をついで天皇となった。その宸翰は気品あふれるなかにも筆鋒鋭く、独自の境地を示す。和歌は細川幽斎に師事したと伝える。

江戸時代の書

幕府の公用書体「御家流」と唐様の流行

江戸時代に入ると、「寛永の三筆」といわれる本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗が活躍した。彼らは中世の流儀書道の源流である平安時代の古筆を基調にしながらも、自らの斬新な表現に挑戦し、定型化していた日本の書に新風を吹き込んだ。また、尊円親王に端を発する青蓮院流の書体が江戸幕府の公用書体「御家流」として採用され、これが広く庶民にまで浸透し、寺子屋教育の隆盛や識字率の向上をもたらす。一方で、幕府の儒学奨励策や、17世紀半ばに、明から黄檗宗(禅宗の一派)がもたらされたことによって、新様式の中国書法「唐様」の書が流行。初期は儒者や漢学者などに限定されていた唐様であったが、徐々に裾野を広げ、幕末には御家流を凌ぐまでとなった。このような和様と唐様の二つの潮流のはざまで、松尾芭蕉・与謝蕪村・池大雅・良寛など、文人や僧侶による個性豊かな書も生み出されている。

江戸初期を代表する能筆家。近衛信尹(号は三藐院。さんみゃくいん)本阿弥光悦、松花堂昭乗。

安土桃山時代の公家。能書家として知られ、本阿弥光悦 、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」とも称される

江戸初期の僧侶、文人。能筆で知られ、「寛永の三筆」の一人に数えられる

書画、漆芸、陶芸に通じた桃山・江戸初期を代表する芸術家

近世初期の公卿で歌人。文章も巧みで、能書家としても知られた

江戸初期の茶人。遠州流の祖。江戸幕府の奉行として建築、土木、造園にも優れた手腕を発揮し、能書家としても知られた

いしかわじょうざん。江戸時代初期の漢詩人・書家。徳川家康に仕え、大坂夏の陣で活躍するが、軍令に背いたかどで罰せられ出家。近世儒学の祖・藤原惺窩(せいか)に儒学を学ぶ。後、京都一乗寺に「詩仙堂」を構え隠遁、文化人との交友を楽しみ、生涯詩作を行なった。

江戸時代前期の俳人。蕉風を確立して後世に大きな影響を与えた

このえいえひろ。江戸中期の公卿。関白、摂政、太政大臣、准三宮を歴任。近衛家の歴代は、近衛流の祖信尹をはじめとして能書で知られるが、家煕も平安朝の名筆を範とした上代様の能書として名高い。

江戸中期の俳人・画家。書画、俳諧ともに優れ、文人画の大成者の一人とされる

江戸中期の文人画家。与謝蕪村とともに南画を大成した

『古事記』を研究し、国学を大成した18世紀最大の古典研究家。

かとうちかげ。江戸時代後期の国学者・書家。加藤枝直の三男。父の跡を継いで江戸町奉行所の与力を務めた。賀茂真淵に師事し、村田春海とともに江戸の歌壇の指導者の一人となった。和歌の研究にも取り組み、著書『万葉集略解』は『万葉集』の解説書として普及した。

りょうかん。江戸後期の禅僧。越後国出雲崎の名主の子に生まれたが、家を継ぐことができず禅僧になり、悟りをひらいて帰郷すると、寺に属さず、寄付によって清貧に生きた。平安時代の草仮名を好み、独自の書風を築いた。

生涯に約2万句の俳句をのこした、江戸時代後期を代表する俳人。

らいさんよう。江戸時代後期の儒学者、歴史家、漢詩人。菅茶山の廉塾の塾頭を経て、京都で開塾。国史を研究し、尊王思想の影響のもと、源平両氏から徳川氏までの武家の興亡を漢文体で記した『日本外史』22巻を執筆。松平定信に献呈した。

参考文献

  1. 『日本書道史年表』名児耶明 編,二玄社
  2. 『説き語り日本書史』石川九楊 著,新潮社
  3. 『別冊太陽 日本の書ー古代から江戸時代までー』名児耶明 監修,平凡社
  4. 『すぐわかる日本の書 : 飛鳥時代~昭和初期の名筆』可成屋 編,東京美術
  5. 『世界大百科事典』(japanknowledge)
  6. 『日本大百科全書』(japanknowledge)
  7. 『国史大事典』(japanknowledge)
  8. マルチメディアマイペディア 百科事典CD-ROM日立デジタル平凡社,平凡社
  9. JapanKnowledge・コトバンク所収コンテンツの最終アクセス日は、いずれも2021/12/20。