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五稜郭の歴史

館長からの挨拶

この展示では五稜郭の歴史に浸しみながら五稜郭の以外の側面などを知ってもらえることを目指して作ったものです。今では観光地となっている五稜郭のガイドなども一緒にできたらいいなと思っています。

この展示について

この展示はあいさつで取り扱った通り歴史や意外な側面が記された展示品を展示しており、そのことについて理解を深めてもらえればいいなと思っています。

五稜郭の歴史と関連しているもの

  • 福沢諭吉書簡 榎本武揚宛

    福沢諭吉

    (館長からの一言)これは福澤諭吉が榎本武揚に宛てて送った書物で内容は主に『瘠我慢の説』という著作の草稿に対する意見を求めたものです。明治初期に幕臣として戦いながら新政府に転じた榎本に対し、「一度徳川について戦いながら降参して、新政府に協力した」点に「瘠我慢」がなかったと、批判的な内容で、世に公にする前に事実確認を求めていたと言われています。

    参考文献 青空文庫『瘠我慢の説』(https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/46827_24773.html) 

  • 五稜郭平面図

    安政4年(1857)着工、7年後の元治元年(1864)竣工の五稜郭(箱館御役所)築造に関わる最終計画図面と考えられます。図面に描かれる五稜郭全体の形状や規模等に関しては、現代の実測図面と重ね合わせても差異は少なく、精度が高いです。奉行所庁舎はもとより、附属建物の形状及び建物規模等が詳細に記述されており、そのほとんどが発掘調査の結果と符号しています。

    (館長からの一言)この平面図は元治元年か書かれた最終設計図とも言われています。この絵図は武田斐三郎によって書かれたもので五稜郭平面図にはいくつもの種類があると言われています。特にこの平面図には今現在の五稜郭と同じ形のものが描かれていますが、他のものには星型の周りにもう一重の星形があるものも残されています。

    五稜郭初度設計図は小島家によって保管されていたためこれも小島毛によって保管されていたと考えられる。

    参考文献 市立函館博物館『五稜郭平面図』(https://hakohaku-archives.c.fun.ac.jp/records/500311)

  • 土方歳三愛刀「越前康継」

    越前康継

    佐藤彦五郎は、甲州勝沼の戦いに、「春日隊」を結成して臨んだが、新政府軍に敗れる。このとき彦五郎の長男・源之助は一時捕縛され、刀をすべて没収されてしまう。これを気の毒がった歳三が1868年に源之助に送った刀が、葵紋の入った越前康継。歳三にとって源之助は、姉のぶの最初の男子で、よく面倒を見ていた。歳三はこの刀を、京都守護職でもあった松平容保から拝領したと伝わる。背負太刀作りの康継は長さ二尺三寸五分。表銘には「以南蛮鉄於武州江戸越前康継」、裏銘には「安政六年六月十一日於伝馬町雁金土壇払山田在吉試之」「同年十一月廿三日於千住府ト太々土壇払山田吉豊試之」とある。山田在吉、吉豊は、吉田松陰や頼三樹三郎らを処刑したことで知られる七代目山田浅右衛門吉利の子どもである。

    (館長の一言)この越前康継は土方歳三の愛刀として広く知られています。この刀の鍔には独特な模様が入っています。この刀にはいくつもの種類があり徳川の家臣の鍛冶屋が打ったものが代表的に扱われています。この刀は元は佐藤彦五郎が甲州勝沼の戦いに、「春日隊」を結成して臨んだが、新政府軍に敗れた時、刀や銃を没収された。それが土方歳三に渡ったと言われています。

    参考文献 TRC-ADEAC株式会社-ADEACアーカイブ『土方歳三愛刀「越前康継」(目録)』(https://adeac.jp/adeac-arch/catalog/002-mp020100-200030)

  • 五稜郭タワー

    (館長からの一言)五稜郭タワーは観光地として五稜郭の中にあるタワーです。このタワーからは五稜郭の全体が見下ろせることが有名です。桜が満開に咲いたときに行ってみるといいと思います。

  • 五稜郭跡

    五稜郭は、1857年から7年かけて箱館(今の北海道函館市)にきずかれました。  江戸幕府は、約200年にわたり鎖国をしていましたが、アメリカのペリー艦隊来航の翌1854年、日米和親条約をむすび、箱館と下田(静岡県下田市)の2港を開きました。さらに、諸国とも同様の条約をむすんだため、箱館には外国船が頻繁に出入りするようになります。そこで、外国からの脅威にそなえるためにつくられたのが、五稜郭でした。 五稜郭は上から見ると星形をしています。5つの外に突きだした部分は稜堡とよばれるもので、稜保に大砲を置き、死角をつくらないよう設計されていました。設計したのは、洋学者の武田斐三郎で、フランスの築城書を参考にしたといわれます。現在も、オランダのブールタング要塞など、ヨーロッパには五稜郭のような城が数多く残されています。 また、城郭内には、かつてこの地を統治するために置かれていた箱館奉行所の建物も復元されています。近くにある五稜郭タワーは高さ107メートルで、展望台から五稜郭の全景をながめることができます。

    (館長からの一言)五稜郭跡は幕末の1864年に江戸幕府が北方防備と蝦夷地統治を目的に建造した日本初の西洋式星形要塞です。1868年の箱館戦争では旧幕府軍の拠点となり、土方歳三らと新政府が戦った舞台として知られています。1952年に国の特別史跡に指定され、現在は桜の名所として親しまれています。西洋各国では五稜郭跡のような城がいくつも建てられています。

    参考文献 五稜郭タワー『五稜郭の歴史』(https://www.goryokaku-tower.co.jp/history/)

この度はこの展示に目を止めてもらい誠にありがとうございます。この展示などを通して五稜郭に観光に行ったり、調べたり、興味を持っていただければ良いなと思っています。ご観覧いただきありがとうございます。