東海道五十三次 原(甍富士) Fifty-three Stations of the Tokaido: Hara (Moonlit Mt. Fuji Reflected on Tiled Roof)とうかいどうごじゅうさんつぎ はら(いらかふじ)
解説
東海道五十三次の十三番目の宿場として知られる原宿は、現在の静岡県沼津市にあたる。原の地名は、湿地帯だったこのあたりを「浮島ヶ原」と呼んでいたことに由来し、ここから眺める雄大な富士の偉容は街道一とも評され、歌川広重をはじめ多くの絵師たちによって描かれてきた。昭和33年(1958)、関野準一郎はアメリカの日米交流団体、ジャパン・ソサエティの招きでアメリカ各地を訪問し、帰路はヨーロッパ各地を旅行して見聞を広めた。この一年間に渡る欧米訪問の体験から、帰国後はそれまで銅版画で行っていた風景画制作を木版画でも手掛けるようになり、色彩も明るく鮮やかなものとなった。関野はこの欧米訪問を契機として、東海道をはじめとする街道シリーズを制作することを胸中密かに決意し、帰国後の同35年(1960)から「東海道五十三次」の制作を開始した。「原(甍富士)」は、関野が展覧会出品制作の合間を縫うようにして毎年数点ずつ制作していた「東海道五十三次」シリーズの一枚である。本作を制作した同39年(1964)には、他に「沼津(なまこ壁)」、「桑名(句碑)」、「亀山(武家屋敷)」が完成している。本作の制作について関野自身が次のようなエピソードを語っている。「富士を描いて、苦心惨憺、描きかけ失敗作が部屋に散乱している画室に、泥酔した駒井哲郎が乱入して、それを見て言った。「関野君も、とうとう富士を描くようになったか」。富士は通俗な売り絵になるばかりだ。まだ富士を描ける齢ではないぞと、慨嘆したのであろう。確かに蒼空いっぱいにひろがる崇高な富士は苦手だ。「原」では美しい富士山に、かぶとをぬいで写生を投げ、宿に帰って、一杯やることにした。夜中に手洗いに起きた。青白い月の光が、キラキラと甍に降っている。その向こうのウルトラマリンの大空に凄艶な富士山。「甍富士」——これを版画に作ろう。甍に投影した富士の画題を得、興奮して、小時、眠れなかった。」(『街道行旅―関野凖一郎画文集』、美術出版社、昭和58年)夜の甍に、月の光に照らし出された富士が映り込むという詩情あふれる光景が、幾何学的な構図と単純な色彩で見事に表現されている。甍と富士という斬新な画題であるが、画家は同34年(1959)にはすでに甍をテーマにした作品「フレンツェの甍」を描き、国際版画展で高い評価を得ている。またその後も「甍12題」と題したシリーズを手がけるなど、「甍」は関野が終生追求したモチーフの一つでもあった。
収録されているデータベース
東京富士美術館収蔵品データベース
日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど様々なジャンルの作品約30,000点の内、約2,000点を掲載。
最終更新日
2026/01/09