解説
ユトリロはエコール・ド・パリの画家たちの中にあって、マリー・ローランサンとともに、ほとんど唯一の純粋なフランス人であった。他のエコール・ド・パリの画家はモンパルナスのカフェを中心に活動したが、ユトリロの活動拠点はモンマルトルの丘であった。彼は精神病院を転々とする重症のアルコール中毒患者で、1917年に母の画家シュザンヌ・ヴァラドンに「あなたの席はルーヴルにありますが、僕の席は病院にあります。僕は16歳のとき人生を投げ出したので、今となっては社会に馴染むには遅すぎます」と苦しい胸のうちを告白している。もっとも入院先の病院の医師の勧めで絵筆をとったのが、画家ユトリロの誕生であった。彼の作風は一般的に以下の4つの時期に分類されている。1903—06年の初期の時代、1906—07年の印象派時代、1907—13年の「白の時代」、1913年以降の「色彩の時代」がそれである。特に本作が描かれた1910年代後半は、それまでの白を中心としたパレットがさまざまな色彩の広がりを見せていくが、白はまだ主要な色として用いられている。ノルヴァン通りは、モンマルトルの丘の上に立つサクレ=クール寺院へと続く小路で、ユトリロはしばしばこの付近を描いた。人影もまばらな狭い道の両側には白い壁が続き、その先にはサクレ=クール寺院の白亜の円蓋がそびえている。哀愁を帯びた裏通りの淡い詩情をたたえた空間が印象的な本作は、ユトリロが傑作を最も多く生み出した1910年代の典型的な佳品のひとつといえるであろう。
収録されているデータベース
東京富士美術館収蔵品データベース
日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど様々なジャンルの作品約30,000点の内、約2,000点を掲載。
最終更新日
2026/01/09