解説
この愛くるしさに満ちた肖像画は、ナポレオン2世、つまりナポレオンがフランス帝国の第二の首都にしようと考えたローマの王の誕生間もない姿を表す。小品ながらコンスタンス・マイユールの表現を充分に嘆賞できる作品といえよう。楕円形の画面が、親密で愛くるしさの描写には効果的である。ナポレオンは子どもが生まれないという理由で皇后ジョゼフィーヌとの結婚を無効にし、新たな后としてオーストリア皇帝フランツ1世(神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世)の長女マリー=ルイーズと1810年3月に結婚した。翌年3月にチュイルリー宮で難産の末に男児が生まれ、ナポレオン・フランソワ・シャルル・ジョゼフ・ボナパルト(Napoléon François Charles Joseph Bonaparte)と名付けられた。男児ならローマ王の称号を与えようと考えていたナポレオンは、1813年に戴冠式を計画したが、教皇ピウス7世が出席を拒んだために実現しなかった。ナポレオンの退位に伴い母子はフランツ1世を頼ってウィーンに行き、マリー=ルイーズはパルマ公国の一代限りの統治権を与えられてパルマ女公として父のもとを離れたが、幼子は祖父の下にとどめられた。ナポレオンが歓喜した長男の誕生は、画家たちが肖像画に取り組む格好の機会になった。ローマ王と称号が与えられたことで、ローマ神話を引用した多くの作品が生まれた。マイユールの師ピエール=ポール・プリュードン(Pierre-Paul Prud'hon)は、ローマ建国の伝説の主人公ロムルスとレムスが狼の乳を飲む場面の上に新生児を描いたデッサンを残した。かれの《眠るローマ王、1811年》は、レア・シルウィアが軍神マルスとの子ロムルスとレムスを川に流す場面を想起させる構成になっている。幼児を守るように咲く皇帝の花、別名ヨウラクユリの2つの花はフランスとオーストリアの末裔を、ウェヌスの聖花ミルトは母を、月桂樹は父ナポレオンを、枝にかかる青の布と白のシーツと赤の覆い布はフランス国旗をなど、さまざまな象徴が散りばめられている。さらに左から射す光はあたかも天から射す光のようで、ルネサンス期に描かれた眠る幼いキリスト像を想起させる。ここには聖なるイメージも密かに重ねられているのである。フランソワ・ジェラール(François Gérard、1770-1837)の《ローマ王》は、楕円形の画面に観者の方を向く幼子を描く。マリー=ルイーズがひそかに注文して、モスクワの戦いに出向いたナポレオンに送ったという肖像画である。皇帝は、子どもながら思慮深げな表情、右手に持つおもちゃのガラガラは笏に似て、左手は権力を象徴する地球儀の上に置かれていること、レジオン・ドヌール最高勲章を胸にかけていることなどをあげて、描かれているのは皇位継承者だと述べて、作者を賞讃した。原作は失われ、フォンテーヌブロー宮殿にレプリカが所蔵されている。これらに対して、マイユールの半身の肖像は象徴物を描かず幼い子どもの純真なあどけなさを表現する。ふっくらとした頬、語りだしそうな柔らかな唇、穏やかにカールする髪の毛、聡明さを暗示する大きな双眸の輝き、これらが繊細な色彩と巧みな明暗法で表される。ただひとつ、雲の中に浮かんでいるような設定が、至高の存在を暗示するだけである。安易な想像は慎まねばならないが、ここにはマイユールのひそかな願望が隠されているようにも思われる。彼女は愛人の子を産むこともなく、悲劇的な自殺を遂げた。この小品はプリュードンが死ぬまで手元に置いていた。かれもまたこの作品に格別の思いをもっていたことの証だろう。
収録されているデータベース
東京富士美術館収蔵品データベース
日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど様々なジャンルの作品約30,000点の内、約2,000点を掲載。
最終更新日
2026/01/09