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解説

1804年5月8日に皇帝に即位したナポレオン・ボナパルトは、12月2日にパリのノートル=ダム大聖堂で壮麗な戴冠式を挙げた。革命後の混沌としたフランス社会で、経済の活気を取り戻し、治安を回復した立役者は、新たな栄光と没落の生涯を始めることになる。「私の権力は私の栄光によるものであり、私の栄光は私の勝利によるものである。栄光とあらたな勝利を権力の基盤にしないならば、私の権力は衰弱するであろう」と、秘書のブリエンヌは皇帝の言葉を記している。戦争は続けなくてはならないのである。ひとつは皇帝が権力を獲得維持するために、もうひとつは財政上の理由から。フランスは1798年の法制定によって義務兵法制を導入し、この徴兵制によって兵士の供給は進んだが、一方で、50万人ともいわれる大兵力を維持するための経費を賄うため、戦争に勝って賠償金を獲得し、軍を占領地の負担でそこに駐留させる必要があったのである。戴冠1周年記念の1805年12月2日、アウステルリッツの会戦でオーストリアとロシアの連合軍に勝利したナポレオンの帝国支配拡大戦略に対抗して、イギリスとプロイセンは1806年に第四次対仏大同盟を結成した。プロイセンを封じ込めるために遠征計画を進めていたナポレオンは、同年10月14日にドイツ中部東寄りのイエナと、そのわずか北に位置するアウエルシュタットで、プロイセン軍と戦って大勝利を収めた。オラース・ヴェルネはルイ・フィリップがヴェルサイユ宮殿に設けた歴史美術館のために、帝政時代の戦争と当時のアルジェリア戦役の巨大な画面の絵画の注文を受けた。叙事詩的な大作は、戦争画の機構を踏んだもので、絵画的魅力に欠ける恨みがある。《近衛兵を閲兵するナポレオン》(Napoléon 1er passe en revue la garde)は、ヴェルネがイエナの戦いをもとに、1836年完成させた縦が463センチメートル、横が543センチメートルという大作である。はるか遠方には硝煙があがる広大な戦場に、精鋭の近衛兵の一隊を馬上から閲兵するナポレオンの凛々しい姿があらわれる。背中を向けたミュラ元帥は奥に向かって走り出しそうな姿勢で、身体を捩るようにして兵士たちを見る。静的な皇帝に対して、画面に動きを呼び入れる表現は、ヴェルネと親交があったジェリコーを思い出させる。公的な記録画的な画面で、唯一生気を感じる造型である。ジョアシャン・ミュラ(Joachim Murat、1767-1815)はきわめて優秀な騎兵指揮官であり、エジプト遠征中の1799年のアブキールの戦いで評価を高めた。ナポレオンの末妹カロリーヌ・ボナパルト(1782-1839)は美男子のミュラに一目ぼれし、1800年に18歳で結婚している。1804年に元帥、1808年にはナポリ王になった。本作は、イエナの戦いのミュラ元帥の準備作品であろうか。軍服のデザインを除けばポーズなどほとんど完成作と変わらない。それ以上に、鋭い眼光の表情の描写や二角帽や軍服の飾りの表現などからすれば、公的戦争画より魅力的とさえいえよう。

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東京富士美術館収蔵品データベース

日本・東洋・西洋の各国、各時代の絵画・版画・写真・彫刻・陶磁・漆工・武具・刀剣・メダルなど様々なジャンルの作品約30,000点の内、約2,000点を掲載。

2026/01/09