解説
長久保宿は、中山道の難所であった笠取峠と和田峠との間にある宿場です。宿場の発展と共に町並みが横丁の先に広がり、カギ型に曲がった珍しい形の宿場町で、天保14年(1843年)の記録によれば、町並み7町52間( 860m)、旅籠屋43軒、家数は 187軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、宿内人口は 721人でした。現在は、17の区、 400戸ほどの集落ですが、集落最上部の松尾神社横とその上には、転用されているものが多くなっていますが、棚田もあります。標高が高く周囲を山に囲まれた地形のため、気候の変化が厳しく、冷害、凍霜害等自然災害を受けやすい条件にあり、また、年間を通しての気温差が大きく、特に1月~2月の寒さは厳しいといいます。 地区の人々は強い連帯感を持ち、地区の行事もたくさんあり、中学2年生が親方として活躍する昔ながらの子供の集まりの習慣も、現在まで続いています。
収録されているデータベース
信州デジタルコモンズ 映像記録
長野県の文化機関の所蔵資料のほか、信州の人々が営んできた身近な生活の記録を画像や映像で残し、「知の共有地」として活用するデジタルアーカイブ「信州デジタルコモンズ」で公開している資料のうち伝統芸能や祭などを収録した映像作品です。
最終更新日
6/02/09