解説
【佐敷尋常高等小学校が消失したため、明治43年から大正2年まで、津波古のタングラ(炭倉)を利用して授業がおこなわれた】 1910年(明治43)11月7日の夜、校舎が火災により消失。そのさい御真影、教育勅語も消失した。 11月25日、当日の宿直だった准訓導東恩納盛懋と本山萬吉校長に懲戒免職が言い渡された。村では二人の送別会を開いて、両氏のそれまでの功績を称えた。 消失以来、休校になっていた学校は津波古の海軍省の石炭倉庫(タングラ)や各字の事務所を使用して授業を再開した。 左の桟橋は海軍によっておもに明治期に使用されていた。
収録されているデータベース
なんじょうデジタルアーカイブ
2006年に佐敷町、知念村、玉城村、大里村の4町村が合併して誕生した南城市には、世界文化遺産に指定された斎場御嶽や、国指定の史跡である5つのグスクをはじめとした、有形・無形の文化財が数多くあります。こうした文化財は、観光や郷土教育にもひろく活用されていますが、それ以外にも、行政職員が作成・収集してきた資料や、地元の人びとが残してきたさまざまな記録など、南城市の歴史や文化を知るうえで貴重な資料は無数...
最終更新日
2026/05/29