解説
立花宗茂〈たちばなむねしげ・1569-1642〉は、江戸前期の武将。九州筑後国柳川を居城とした立花家の初代大名。筑前岩屋城主高橋紹運〈たかはしじょううん・?-1586〉の長男で、大友氏の一族立花道雪の養子となり、天正13年〈1585〉その遺領を継いだ。統虎(むねとら)・正成(まさしげ)・親成(ちかしげ)・尚政(なおまさ)などを名乗り、後年、宗茂を称した。豊臣秀吉の九州征伐に従い、薩摩島津氏との戦いに功績あって、柳川十三万石を安堵される。その後も、小田原征伐・朝鮮の役にも従軍、戦功をあげた。関ヶ原の戦では西軍に属したため、一時所領を没収されたが、江戸に赴き弁明、慶長8年〈1603〉陸奥国棚倉一万石を与えられ、元和6年〈1620〉には、柳川の旧領に復した。その後は、徳川秀忠の相伴衆(しょうばんしゅう)として陪従した。この書状は、家臣の一人と思しき谷田源介の右衛門出世の願い出の件につき、十分承知している旨伝達したもの。花押の筆意・墨色ともに本文と合致するところから、宗茂の自筆と考える。「右衛門作望(望みをかける)の由、存知有るべき者なり。九月八日宗茂谷田源介殿」
収録されているデータベース
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最終更新日
2022/07/03