解説
細川幽斎〈ほそかわゆうさい・1534-1610〉は、桃山時代の大名・茶人。三淵晴員(みぶちはるかず)の子で、本名は藤孝(ふじたか)。通称与一郎、幽斎・玄旨(げんし)と号した。細川元常の養子となり足利義晴に仕えたが、没後は義昭擁立を謀り、織田信長を頼って、洛西長岡、丹波の地を与えられた。本能寺の変に際しては、身の潔白を証せんと子息忠興とともに剃髪して静観、その後は豊臣秀吉に従い、さらには徳川家康の重臣として遇せられた。幽斎は和漢の学に精通、とくに和歌・連歌・茶道における活躍はめざましく、当時一流の文化人であった。家集『衆妙集』、歌学書『詠歌大概抄』など、多くの著作を残している。この手紙は、宇治の茶師上林(かんばやし)から、聞茶(ききちゃ・利茶とも。茶を味わい分けること。本茶とされる栂尾の茶とそれ以外の産地の非茶について、産地や精製した茶師名を飲み当てる、闘茶の一種)として送られた茶が、一段とすぐれていたことを報じている。宛名の「上林入道」は、当時宇治の茶師を統括支配していた上林掃部丞久茂〈ひさもち=法号久徳・1542-1606〉である。闊達な筆致に書道にも秀でていたことがわかる。「聞茶送り給い、賞翫、祝着の至りに候。茶の時分、罷り越し候間、万々、面を以って申すべく候間、具にせず候。恐々謹言。幽斎。尚々、茶一段の出来に候。三月十日玄旨。上林入道殿参る」
収録されているデータベース
Keio Object Hub
慶應義塾には、160年を越える歴史の中で集積された多様な領域にわたる文化財コレクションがあります。これらのコレクションは、図書館、研究所にとどまらず、学部や一貫教育校など学内のさまざまな場所で収蔵・活用され、専門性を反映した豊かなコレクション・データベースが編まれてきました。 Keio Object Hubは、これらのデータベースを連携させ、展覧会や講演会など、学内で展開する文化関連活動と結びつけ...
最終更新日
2022/07/03