解説
尊円入道親王〈そんえんにゅうどうしんのう・1298-1356〉は、歴朝屈指の能書帝伏見天皇〈ふしみてんのう・1265-1317〉の第六皇子。名は尊彦(たかひこ)。11歳で青蓮院(しょうれんいん)に入室、14歳で薙髪して、法名を尊円と改める。以来、59歳で没するまでに、天台座主を4度、青蓮院門跡を3度務めた。和漢兼学をもって鳴り、ことに書においては、わが国の書道史上、特筆すべき存在。幼帝後光厳天皇〈ごこうごんてんのう・1338-74〉のために『入木抄(じゅぼくしょう)』(一巻。書道指南書)を著した。その書流は青蓮院流(尊円流とも)と称されて後生に大きな影響を及ぼし、江戸時代の御家流(おいえりゅう)は、この流派を布衍したものである。この手紙は、尊円親王の甥にあたる光厳上皇〈こうごんじょうこう・1313-64。このとき35歳〉に宛てたもの。貞和3年〈1347〉4月19日、退位した光厳上皇は折柄の雨天の中、石清水八幡宮に社参の御幸を果たし、数十年も中絶していた宮廷行事を再興した。皇統の紛糾する世にあって、院の行幸は大きな意義があった。社の宝前において金光明最勝王経供養を行い、めでたくその儀式を終えたことに対して、尊円親王が祝意を申し送ったもの。親王50歳の、堂々たる筆跡である。「八幡御幸、無為に数十年中絶す。儼儀(げんぎ)、再興せらるるの条、冥感暗に以って察せられ候。降雨、幸路の煩いに候か。然して、度々、佳躅(かちょく)候哉。珍重に候。早に参賀、言上せしむべく候。日吉社、去年の小五月会(こさつきえ)已に遂行、此の上、式日の祭礼、定めて子細無く候か。旁、喜悦極まり無く候。近日、機嫌を伺い、参仕すべく候。且つは披露せしめ給うべし。 尊円上る(たてまつる)」
収録されているデータベース
Keio Object Hub
慶應義塾には、160年を越える歴史の中で集積された多様な領域にわたる文化財コレクションがあります。これらのコレクションは、図書館、研究所にとどまらず、学部や一貫教育校など学内のさまざまな場所で収蔵・活用され、専門性を反映した豊かなコレクション・データベースが編まれてきました。 Keio Object Hubは、これらのデータベースを連携させ、展覧会や講演会など、学内で展開する文化関連活動と結びつけ...
最終更新日
2022/07/05