解説
わが国では永承7年〈1052〉を末法元年と説く。じつに56億7000万年も続くという末法の世に経典が失われてしまうことを怖れた王朝貴族たちは、経巻を経塚の地下深く埋めて後の世にまで残さんとして経筒(金銅製・石製・陶製)に入れて埋納した。しかし紙は腐敗しやすく、土中の不朽を念じて、経文を銅板・瓦や滑石に刻むという工夫がなされた。滑石(含水珪酸マグネシウムを主成分とする鉱物)は石質が柔らかく、文字を彫りやすいという特質がある。遺品は、いずれも北九州出土のものに限る。この滑石経(8枚)は、表裏に「法華経普門品」(部分)と「般若心経」を鏤刻したもの。8枚中の1枚に、元永2年〈1119〉の年記と施入者の名が刻まれており、豊後国(大分県)の宇佐八幡宮の神人や社僧が発願したものと知る。稀有な遺品として、当時の末法思想の流布を考える上で、きわめて重要な位置を占めるものである。
収録されているデータベース
Keio Object Hub
慶應義塾には、160年を越える歴史の中で集積された多様な領域にわたる文化財コレクションがあります。これらのコレクションは、図書館、研究所にとどまらず、学部や一貫教育校など学内のさまざまな場所で収蔵・活用され、専門性を反映した豊かなコレクション・データベースが編まれてきました。 Keio Object Hubは、これらのデータベースを連携させ、展覧会や講演会など、学内で展開する文化関連活動と結びつけ...
最終更新日
2022/07/03