解説
戦国時代の武将・毛利元就〈もうりもとなり・1497-1571〉の肖像画。元就は、大永3年〈1523〉に父・弘元から家督を継承後、尼子氏から大内義隆の下に属し、大内氏の芸備制圧に尽力、功名を立てた。そこで元就は、2男元春を吉川氏に、三男隆景を小早川氏に養子に入れるという政略をもって芸備地方の実権を掌中にした。弘治元年〈1555〉、大内氏を倒した陶氏を攻略、周防・安芸両国を治め、つづいて備後・備中・石見、さらには出雲をも制圧して、中国10ケ国の覇者となった。さらには豊前・伊予まで勢力を拡げ、西国の大大名に成長した。が、元亀2年〈1571〉75歳で病没した。元就の画像は、永禄5年〈1562〉9月仁如集堯の賛をもつ元就66歳の寿像(山口・豊栄神社蔵)、天正19年〈1591〉2月凞春龍喜が賛をした画像(山口・毛利博物館蔵)、さらに無賛の画像(島根・鰐淵寺蔵)の3種(いずれも重要文化財)が知られる。本図は、その中の鰐淵寺蔵本の模写本である。直衣、侍烏帽子の姿で、左腰に腰刀を差し、右手には蝙蝠扇を持ち、上畳に坐す。左脇には太刀を置く。老練な戦国武将の風貌をよくあらわしている。模写したのは江戸時代後期の画家、田中訥言〈たなかとつげん・1767-1823〉である。訥言は、尾張の出身で、京都に出て土佐光貞に土佐派の画法を学ぶがあきたらず、みずから大和絵の古典を研究、模写を通じてその復興を志し、ついには復古大和絵の祖として、浮田一蕙や渡辺清など多くの門弟を育てた。本図も、その古典研究に明け暮れのころの作品であろう。上部に元就の人となりを伝える賛文が書写されるが、文の作者、筆者ともに不明である。ちなみに、鰐淵寺蔵本には賛語はない。
収録されているデータベース
Keio Object Hub
慶應義塾には、160年を越える歴史の中で集積された多様な領域にわたる文化財コレクションがあります。これらのコレクションは、図書館、研究所にとどまらず、学部や一貫教育校など学内のさまざまな場所で収蔵・活用され、専門性を反映した豊かなコレクション・データベースが編まれてきました。 Keio Object Hubは、これらのデータベースを連携させ、展覧会や講演会など、学内で展開する文化関連活動と結びつけ...
最終更新日
2022/10/04