解説
豊臣秀吉〈とよとみひでよし・1536-98〉は、尾張国の片田舎の小身から出世、はじめ木下藤吉郎を名乗る。織田信長〈おだのぶなが・1534-82〉に仕え、のち羽柴姓に改めた。「本能寺の変」の後、明智光秀〈あけちみつひで・1528?-82〉を討って、織田家臣団のなかで急速に擡頭、その破天荒の勢いを駆って、ついに天下一統を成し遂げた。未曾有の栄進を重ね、従一位をきわめ、関白・太政大臣に任じた。秀吉51歳、まさに位人臣をきわめた。この画像は、この絶頂期の秀吉を描かせたものではなかったか。今日に伝存する秀吉像の多くは、神殿が背景に描かれており、慶長3年〈1598〉8月18日、63歳をもって死去した後に、正一位豊国大明神を贈られて神格化された肖像である。が、この画像にはそれがなく、容貌もいくぶん若く見える。上畳を縁取る繧繝縁は、当時、天皇・院・東宮・諸親王・摂関家などの所用と定められていた。とすれば、これは天正14年〈1586〉12月19日、51歳で太政大臣に任じられた直後の画像、すなわち寿像(生存中に描く肖像画)であった。冠をいただき、雲形をあらわした束帯の袍、平緒を結び、腰には黄金造飾太刀を佩き、手には笏をとる。得意絶頂の秀吉の面貌が、見事に描き出されている。
収録されているデータベース
Keio Object Hub
慶應義塾には、160年を越える歴史の中で集積された多様な領域にわたる文化財コレクションがあります。これらのコレクションは、図書館、研究所にとどまらず、学部や一貫教育校など学内のさまざまな場所で収蔵・活用され、専門性を反映した豊かなコレクション・データベースが編まれてきました。 Keio Object Hubは、これらのデータベースを連携させ、展覧会や講演会など、学内で展開する文化関連活動と結びつけ...
最終更新日
2022/07/03