解説
端野町のハッカ栽培は、明治34年(1901年)に始まりました。ハッカは端野町の開拓とともに歩んできた基幹作物であり、農家もハッカにかける情熱と根強い耕作意欲を持っていました。明治の末期に107haしかなかったハッカの耕作は、世界経済の動向とともに推移し、昭和11年(1936年)の耕作面積は、1658haにも達しました。この当時世界で耕作されたハッカの80パーセントが日本で耕作され、さらに、その80パーセントが端野を含む北見地方を中心に耕作されたのです。ハッカは昭和51年頃まで端野で栽培されました。このころ端野町の各地域に、ハッカ蒸留釜が建設され、秋になると夜を徹しての蒸留作業が行われ、その芳香は端野のまちに漂ったのです。このハッカ蒸留釜は明治43年ごろから大正のはじめにかけて市内端野町豊実地区で使用されたものを復元したものです。
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最終更新日
2026/07/14