解説
明治24年野付牛に屯田兵を配置するため、旭川から網走までの「中央道路」が囚人1,000名によって作られました。このとき囚人の逃亡を防ぐために鎖と鉄の玉を身体につけて作業をしたものです。中央道路沿線には、犠牲となった囚人たちの痕跡が今も残されています。市内端野町緋牛内地区では3基の土まんじゅうが見つかったことから、鎖塚として手厚く供養するようになりました。鎖塚は平成4年に当時の端野町の文化財に指定され、北見市との合併後は市の文化財に指定されています。鎖のうち約1mは当時のものですが、鉄玉及び鎖の一部はレプリカです。
収録されているデータベース
北海道デジタルミュージアム
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最終更新日
2026/07/14