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聖徳太子立像 Prince Shōtokuしょうとくたいしりゅうぞう

解説

 6世紀半ばごろ、アジア大陸から朝鮮半島を経由して日本に仏教が伝えられました。その後、仏教を受け入れるのに大きな役割を果たした人物に、聖徳太子(しょうとくたいし)という人がいます。聖徳太子は飛鳥時代に天皇を助けて、当時の日本の国家の中心で活躍しました。また現在の奈良や大阪などの各地に寺院を建て、日本で仏教が発展する基礎をつくりました。この聖徳太子に対する信仰は、彼が亡くなってから間もなく起こりました。聖徳太子の生涯には数々の奇跡的なエピソードが伝わり、そのエピソードを描いた絵画や、そのときどきの年齢に応じた姿の彫刻が作られるようになります。とくに13世紀の鎌倉時代以降、信仰の高まりとともに作品の数も飛躍的に増えていきます。
 この像はそのなかの一つで、聖徳太子が2歳のときの姿です。2歳のとき、東の方角を向いて両手を合わせ、「南無仏」(なむぶつ)と唱えた、という伝承にもとづいています。「南無仏」とは、仏を信仰することを意味します。赤い袴(はかま)をはき、右の腰から袴を留めるベルトのような紐が垂れています。足は袴のなかに隠れ、裾(すそ)が後ろの方に引きずられている点も特徴です。
 頭は体全体に比べて大きく、体の肉付きはふっくらとしていて、幼い子どもの体の特徴をよくあらわしています。手やお腹に括(くく)り線を刻むことで、体の肉付きの良さがより強調されています。一方で、眉をややひそめて目尻をあげる表情には、利発(りはつ)さが感じられます。


ふっくらとした幼児らしい体つきながら、凛々+りり+しい表情で立つ聖徳太子像です。二歳の春、東方を向いて合掌し「南無仏+なむぶつ+」と唱え、手から釈迦+しゃか+の遺骨である仏舎利+ぶっしゃり+を出現させた伝承にちなむ姿で、南無仏太子と呼ばれます。鎌倉時代後期以降盛んに造像され、篤+あつ+く信仰されました。

メタデータ

教育

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収録されているデータベース

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2026/07/20