本文に飛ぶ

毘沙門天立像 The Guardian God Bishamontenびしゃもんてんりゅうぞう

解説

 仏が住む世界では、東西南北の方角をそれぞれ守っている四体の神がおり、それらをまとめて四天王(してんのう)といいます。いずれも鎧(よろい)をまとった武将の姿で、力強い姿をしています。そのうち、北の方角を守護する多聞天(たもんてん)は単独でも信仰され、毘沙門天(びしゃもんてん)という名前で呼ばれました。この像は持ち物を失っていますが、もともとは左手には小さな塔をのせ、右手には、長い棒の先端に刃を付けた武器を執っていたと考えられます。また、足元の邪鬼(じゃき)は、像と同じときにつくられた点が貴重です。
 この像は、複数の木材を接合して構成する「寄木造」(よせぎづくり)で作られています。内部は干割れを防ぐために削り取られ、空洞(くうどう)になっています。削られた内側に墨で文字が書かれています。そこには、この像が毘沙門天であること、文永(ぶんえい)8年(1271)に、慶算(けいさん)という仏師がつくったことなどが記されています。この慶算について詳しいことはわかりませんが、名前に「慶」(けい)の字がついていることから、平安時代末期から鎌倉時代初頭の12世紀末から13世紀初めにかけて活躍した、運慶(うんけい)の系統につらなる、慶派(けいは)という流派(りゅうは)の仏師であると考えられます。
 ただ、慶派の仏師がつくった四天王像の多くは、手や足の動きに富み、着ている衣や鎧の表現も装飾的です。それに対しこの像は、背筋を伸ばして正面を見据(みす)える姿勢で体の動きが少なく、着ているものの表現も落ち着いています。慶算は堅実(けんじつ)でおとなしい作風を重んじた仏師であったようです。


四天王のうち北方を守る多聞天+たもんてん+は、毘沙門天として単独でも信仰を集めました。左脇をしめ右肘を張って颯爽と立つ姿は、鎌倉時代を代表する仏師・運慶+うんけい+以来のスタイルです。一方、誇張した表情や躍動感をおさえた身体表現には、像内銘に名のみえる慶算+けいさん+の作風がうかがわれます。

メタデータ

教育

規約に従うことで制限なく利用できる

非商用

規約に従うことで制限なく利用できる

商用

規約に従うことで制限なく利用できる

収録されているデータベース

ColBase

ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システムは、国立文化財機構の4つの国立博物館(東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館)と一つの研究所(奈良文化財研究所)の所蔵品を、横断的に検索できるサービスです。

2026/06/15