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厳島御幸記並高倉院昇霞記(金沢文庫本) Account of Retired Emperor Takakura's Journey to Itsukushima Shrine and his Deathいつくしまごこうきならびにたかくらいんしょうかき(かなざわぶんこぼん)

解説

『厳島御幸記』は、治承4年(1180)、譲位直後の高倉天皇(1161~81)が、厳島神社(広島・宮島)に行幸した際の紀行文です。源通親(1149~1202)作。治承5年(1181)の高倉院の崩御を記す『高倉院昇霞記』と合冊されています。金沢文庫旧蔵本です。じょうい、たかくらてんのう、いつくしまじんじゃ、きこうぶん、みなもとのみちちか、ほうぎょ


 今も観光名所として名高い、広島県宮島にある厳島神社。そこに、平安時代末期、高倉天皇が位を譲り上皇となったのち、御幸(ごこう)、つまりおでましになったことについて仮名で記した紀行文です。お供として同行した貴族、源通親(みなもとのみちちか)の視点から書かれています。通親は土御門(つちみかど)内大臣(ないだいじん)とも呼ばれました。高倉上皇の厳島神社御幸は、『平家物語』巻第四の中の「厳島御幸」の題材にもなりました。
 今回ご紹介する作品は、高倉上皇がお亡くなりになったことついて記した「高倉院昇霞(しょうか)記」と合わせて一つにまとめられ、金沢文庫に伝来したものです。鎌倉時代中期の写本と考えられます。
 この作品の表紙は金銀箔を用いて華やかに表装されています。筆跡は、能書(のうしょ)と呼ばれる、書に優れた人の手によるものです。文字や行の中で線の強弱をつけてバランスを取り、力強くもどこかリズミカルに記されています。
 平安時代、貴族にとって日記をつけることは一般的でしたが、今回ご紹介する作品のように、能書によって書き写され、さらに美しく製本されるのは珍しいことでした。このことからこの作品は、調度手本(ちょうどてほん)と呼ばれる、鑑賞を目的としてあつらえられたものであったと考えられます。

メタデータ

教育

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収録されているデータベース

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ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システムは、国立文化財機構の4つの国立博物館(東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館)と一つの研究所(奈良文化財研究所)の所蔵品を、横断的に検索できるサービスです。

2026/07/20