賢愚経残巻(大聖武) Part of the "Sutra on the Wise and Foolish" (Called "Ōjōmu")けんぐきょうざんかん おおじょうむ
解説
『賢愚経』は、賢者と愚者に関する比喩的な69の物語を収めたお経です。この作品は「波斯匿王女金剛品(はしのくおうじょこんごうぼん)第八」、「金財品(こんざいぼん)第九」、「華天品(かてんぼん)第十」、「宝天品(ほうてんぼん)第十一」という4つの物語に「摩訶令奴縁品(まかれいぬえんぼん)第四十八」の末尾部分を足した構成となっています。もとは奈良の東大寺に伝来したことから「大和切(やまとぎれ)」と呼ばれ、また聖武天皇が記されたという伝承によって「大聖武(おおじょうむ)」という名前でも知られています。
紙を見てみると、点々と細かな粒が撒いたようにあります。この紙は「荼毘紙(だびし)」と呼ばれ、俗には「荼毘」、つまり火葬にふされた釈迦の遺骨を粉末状にして混ぜたものと言われてきました。ただ、実際には薫り高い香木の粉末をすき込んだ厚手の上質紙であり、そこに、貝の粉を焼いて作った胡粉(ごふん)が塗られ、白さが一層強調されています。
次に文字を見ていきましょう。一般に奈良時代の写経は1行に17字を規格としていますが、この『賢愚経』は1行に11字から14字で記されており、他に例のない大ぶりな文字に特徴があります。その書は量感ある力強いもので、端正な気迫に満ちています。8世紀の中国において、書家としても有名であった顔真卿(がんしんけい)に代表されるような、盛唐(せいとう)時代の書の影響を見て取ることができます。
意外に思えるのは、二度書きをした箇所が多くみられることで、墨の濃淡の重なりによって、それと見分けることができます。一般に書を記すにあたっては、筆の勢いが大切にされるため、二度書きは行われませんが、この作品においては文字の形が重視され、あるべき形に整える模索を見て取ることができます。写経という文字の書写を超えて、鑑賞に堪える作品としての書を目指しているとも言えるでしょう。
なお、我が国においては「手鑑(てかがみ)」と呼ばれる古筆(こひつ)の鑑賞を目的とした切り抜き帖がしばしば製作されましたが、裁断された賢愚経の一部は、その冒頭を飾る権威あるものとして鑑賞されてきた歴史があります。いかに古代の日本を代表する名筆として、この作品が尊ばれてきたかが分かる事例と言えるでしょう。
どうぞ、薫り高い奈良時代の雄渾な書の美しさをご堪能ください。
『賢愚経』は、仏教における賢人(けんじん)と愚人(ぐじん)、善悪の行いに対する報いを説く寓話(ぐうわ)を集めた経典です。この写経の筆者は聖武天皇と伝わり、1行12字前後の大きな文字に堂々とした書きぶりから「大聖武」と呼ばれます。もとは16巻か17巻に書写され、東大寺戒壇院(とうだいじかいだんいん)にあったと言われます。現在は東大寺などに数巻が伝わりますが、その他の多くは、断簡(だんかん)となって、書の名品を集めて折り帖(じょう)に仕立てた手鑑(てかがみ)の冒頭を飾る名筆として珍重され、各所に分かれて所蔵されています。
明治の頃まで加賀前田家が所蔵した本巻は、「波斯匿王女金剛品(はしのくおうにょ こんごうぼん)第八」の冒頭から「宝天品(ほうてんぼん)第十一」の途中までと、「摩訶令奴縁品(まかれいぬえんぼん)」の末尾を合わせた262行からなる残巻です。表面にある粒子を釈迦の遺灰に見立てた荼毘紙(だびし)という紙が用いられますが、これはマユミという植物の繊維を原料として、凝固した樹脂などが漉(す)き込まれたものであり 、奈良時代のごく短い期間にのみ漉かれた料紙(りょうし)だと考えられています。太く重厚な線で書写された揺るぎのない文字は、『始平公造像記(しへいこうぞうぞうき)』(498年)のような中国・北魏(ほくぎ)時代の楷書や、顔真卿(がんしんけい)(709~785)に代表される唐時代8世紀頃の書風と似ており、ときおり筆を補った跡も見られます。
仏教における賢人と愚人、善悪の行いに対する報いを説く寓話を集めた経典です。聖武天皇の書と伝わり、1行12字前後の大きく堂々とした字姿から「大聖武」と呼ばれます。もとは16巻か17巻に書写され、東大寺戒壇院にあったと言います。この残巻は262行を伝えます。
るび:寓話ぐうわ、聖武天皇しょうむてんのう、東大寺戒壇院とうだいじかいだんいん
収録されているデータベース
ColBase
ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システムは、国立文化財機構の4つの国立博物館(東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館)と一つの研究所(奈良文化財研究所)の所蔵品を、横断的に検索できるサービスです。
最終更新日
2026/05/18