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弱法師 Scene from the Noh Play Yoroboshiよろぼし

解説

再興第2回院展の出品作。盲目の弱法師俊徳丸が、梅の花の咲く四天王寺の庭で、彼岸の落日に向かって拝む謡曲『弱法師』の一場面。観山は三渓園内の臥龍梅の木に着想を得てこの絵を描いた。能面を思わせる面貌とともに能楽的情緒を漂わせている。


 向かって右から左の屏風にまたがり、大きく枝をのばす梅の木と可憐な白い花。散り敷く落花の中で、杖をたずさえ、背を丸め腰をかがめて手を合わせる男。髪は伸びてほつれ、結んだ目は落ちくぼんでいます。祈りを手向ける先には赤い落日があり、あたりには夕闇が迫ります。ドラマチックな舞台の中に感じられるのは、しみじみとした哀しみでしょうか。それとも、ひたむきな想いをささげる強い情念でしょうか。
 この作品は、日本の古典演劇である「能」でも演じられる、「弱法師」という物語に題材をとったものです。弱法師とは、「足腰の弱った乞食僧(こつじきそう)」というような意味です。左衛門尉通俊(さえもんのじょうみちとし)は、かつて我が子を捨てたことを後悔し、梅の花さく2月、大阪の天王寺で貧しい人々への施しを行います。そこに「弱法師」とあだ名される盲目の青年が、よろよろと杖を突きながらやってきます。日暮れを迎え、西の落日を阿弥陀如来と見立てて祈るその青年こそ、かつて捨てた我が子であると気づいた通俊は、ともに手を取り合い郷里へと帰っていくのでした。
 日本が明治維新以降、近代国家として歩みを始める中、絵画では西洋絵画のスタイルに学んだ「洋画」(ようが)が急速に盛んとなります。その一方で、紙や絹に墨や顔料で描く、掛け軸、巻物、屏風などの伝統的な絵画も引き続き行われて「日本画」と呼ばれ、新しい時代にふさわしい表現が模索されて発展し、現代に続いています。筆者の下村観山は、明治6年、1873年和歌山県に生まれ、昭和5年、1930年に没した画家です。伝統的な日本絵画の形式と技法をふまえながら、新しい表現に取り組んだ先駆者であり、多くの名作を残しました。

メタデータ

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収録されているデータベース

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2026/07/20