解説
檜の大樹が幹をうねらせ、大枝を振りかざす豪放な形態と濃密な色彩は、当時の美意識を余すところなく体現している。天正18年(1590)に落成した八条宮(後の桂宮家)邸を飾った襖絵であったとされ、永徳の最晩年作と考えられる。
豪壮な武家文化が花開いた安土桃山時代を代表する、華やかで力強い作品です。
金箔を貼った大地と雲を背景に、巨大な檜が幹をうねらせ、大枝を広げています。まるで蛇がのた打ち回っているような、生命力にあふれる表現に圧倒されます。描かれているモチーフは檜と岩、群青の水面のみ。色の数も少なく整理されていることで、檜はいっそう前へ前へと、力強く迫ってくるようです。よく見ると、絵の具がはがれたあとがあり、もとは緑の葉がもっとたくさん描かれていたことがわかります。描かれた当初は、さらに迫力があったのかもしれません。
現在は、屏風のかたちですが、もとは、京都の桂宮(もと八条宮)邸の襖絵でした。邸の主、智仁親王(としひとしんのう)は子どものいない豊臣秀吉の跡を継いで関白になる約束だったのですが、天正18年(1590)に秀吉に実の子どもが生まれたため、秀吉はその約束を解消して親王のために御殿を造りました。檜図は、その襖だったと考えられているのです。描いたのは、当時、画壇でもっとも力をもっていた狩野永徳。安土桃山時代を代表する絵師の最晩年の作品とされます。
もともと4枚の襖だったこの絵は、のちに8枚のパネルの屏風に仕立てなおされました。近年、傷みがはげしくなったため、平成25年(2013)に大規模な修理を行いましたが、その際、パネルとパネルの間に生じていた絵柄のズレを解消するため、また、保存上の観点から、2つの屏風に分けて仕立て直されました。
画面から突き抜けるほど大きく勢いよく描かれた檜の巨木。うねるように伸びる太い枝からも生命力が溢(あふ)れています。本作は、織田信長や豊臣秀吉といった戦国武将に寵愛(ちょうあい)された画壇の覇者、狩野永徳の手になる作品です。永徳は、力強くダイナミックな「大画(たいが)」と呼ばれた画風で多くの障壁画を制作しました。
本作は、桂宮家(かつらのみやけ)(もと八条宮家(はちじょうのみやけ))に伝来し、宮家廃絶により皇室の所蔵品となり、大正9年(1920)当館に引き継がれました。画面に襖(ふすま)の引手(ひきて)金具の跡があることなどから、もとは秀吉によって造営され、天正18年(1590)12月に落成(らくせい)した八条宮邸の襖であったと考えられています。同年9月に亡くなった永徳最晩年の画風を知るうえでも大変貴重な作品です。
色数を抑え、描くモチーフを限定しているのも特徴の一つです。その上で、濃い墨や金で荒々しく檜を描くことにより、巨木が屏風の枠を越えて見る人に迫りくるかのような、圧倒的な存在感をより強調する画面を作り出すことに成功しています。永徳が得意とした豪壮華麗な画面は、戦国武将たちが愛した当時の美意識を今に伝えています。
収録されているデータベース
ColBase
ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システムは、国立文化財機構の4つの国立博物館(東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館)と一つの研究所(奈良文化財研究所)の所蔵品を、横断的に検索できるサービスです。
最終更新日
2026/03/30