等目菩薩経 巻中(吉備由利願経) Volume 2 of the Tōmoku Bosatsu Sutra (Kibi no Yuri's Votive Sutra)とうもくぼさつきょうまきちゅう きびのゆりがんぎょう
解説
吉備真備(きびのまきび)の子の由利が、称徳天皇の恩に報いるために発願し書写させた一切経の一つ。当初は西大寺の四王堂に5282巻が納められていたという。黄蘗染(きはだぞめ)の楮紙(ちょし)に薄墨界を引き、大ぶりの堂々とした文字で書写した奈良時代後期を代表する写経である。(061121_h012)(150114_h012)(160809_h012)
奈良時代の称徳天皇(しょうとくてんのう)に使えた女官、吉備由利(きびのゆり)が、天皇のために書写させた一切経(いっさいきょう)のうちの一巻です。写経生とよばれる専門の僧が書き写したものです。大ぶりの堂々とした肉太の文字を、豊潤(ほうじゅん)な筆法(ひっぽう)で書写した、奈良時代後期を代表する写経です。
一切経とは、釈迦の教えを伝える一切の仏教聖典のことで、時代によって巻数が異なります。この一切経の場合、もとは5282巻あったとされています。同じく奈良時代に、光明皇后(こうみょうこうごう)が両親の菩提(ぼだい)を弔うためにつくらせた「五月一日経」とよばれる一切経の場合、4年間で4000巻を写したと伝えられています。由利の一切経も、完成までに少なくとも5年はかかったのではないでしょうか。
この経の巻末には、天平神護2年(766)の10月8日に、吉備由利が天皇のために発願(ほつがん)したことが記されています。
吉備由利は、奈良時代の学者で政治家の吉備真備(きびのまきび)の親族と思われます。真備については、遣唐使(けんとうし)として中国に渡ったときの不思議な説話を描いた絵巻『吉備大臣入唐絵詞』(きびだいじんにっとうえことば)がよく知られています。実は、天平神護2年とは、真備が右大臣になった年です。おそらく由利は、そのお礼に、一切経の書写を発願したものと思われます。
由利は称徳天皇の信任が特に厚く、宝亀元年(770)8月に天皇が亡くなる際には、百日余りにわたって、ただ一人天皇の近くに仕えていたということです。
収録されているデータベース
ColBase
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最終更新日
2026/07/20