解説
7世紀後半から奈良時代になると、日本の天皇や有力豪族などの支配層のお墓の形は大きな変化をとげました。それまでの古墳のような大規模なものが姿を消し、お墓そのものが小規模になっていくと同時に、仏教と一緒に伝わってきた火葬が始まり、土葬にかわっていきました。この作品は、火葬した遺骨をおさめる金属製の骨蔵器(こつぞうき)です。全体的に丸みを帯び、底が安定するように水平に彫りくぼめてあります。蓋をよく見ると、中心にむかっていくつかの筋状になった錆(さび)の跡が走っています。これは、もともと十文字に紐で縛られていた跡だと考えられます。また器の内部には、骨の成分であるカルシウムがわずかに付着していました。
この器は、墓誌(ぼし)としての役割も持っています。墓誌とは、埋葬されている被葬者(ひそうしゃ)の名前や地位、経歴などを刻み、お墓に埋められたものです。長方形の板に刻まれたものや、このように骨蔵器そのものに刻まれたものがあります。この作品の蓋には108字が16行にわたり放射線状に刻まれています。銘文から、被葬者は伊福吉部徳足比売(いほきべのとこたりひめ)という女性で、従七位下(じゅうしちいげ)という位を授けられて文武天皇に仕えたこと、和銅(わどう)元年(708)に死去し、二年後に火葬されたことなどがわかります。墓誌は、日本ではこれまでわずか15例ほどしか発見例がありません。そのうち、被葬者が明らかに女性と認められるのはこの作品を含め2例だけです。伊福吉部徳足比売が中央の政権に近い人物であり、当時の先進的な方法で手厚く葬られたことがわかります。
安永3年(1774)に現在の鳥取県国府町宮下で石櫃に納められた状態で発見されました。蓋に16行にわたり108字が刻まれています。蓋と身に十文字の錆(さび)跡があり、もともと十文字に紐で縛られていたと考えられます。伊福吉部氏は因幡国の豪族で、宇倍神社の祭祀を代々司っていました。
収録されているデータベース
ColBase
ColBase: 国立文化財機構所蔵品統合検索システムは、国立文化財機構の4つの国立博物館(東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館)と一つの研究所(奈良文化財研究所)の所蔵品を、横断的に検索できるサービスです。
最終更新日
2026/07/20