解説
黙阿弥が張弛館発行の少年向け雑誌『少年文武』「第一年 第一冊」へ寄せた序文。創刊者で編集長の中川霞城から、シラーの「ウィリアム・テル」の翻訳を載せるにあたって依頼され「再三辞退」しながらも「是非なく筆を」とったらしい。なお、この序文は「明治十九年霜月下旬」に書かれたが、『少年文武』の創刊は明治23年(1890)1月である。元々は子ども向けに翻訳したものではなかった「ウィリアム・テル」を、霞城が躊躇しつつも演劇改良会との関係から、しばらく時間を置いたのち、文武両道の教育路線と文学・武芸・理科・美術を四柱とする雑誌の理念に理由づけて掲載に踏み切った経緯がある。
収録されているデータベース
文化遺産オンライン
国や地方の有形・無形の文化遺産に関する情報を公開することなどを目的とした文化遺産のポータルサイト。文化庁と国立情報学研究所が、共同で運営しています。
最終更新日
2026/06/02