解説
1945年(昭和20)生。60才。安芸郡海田町出身。兼業農家の三男一女の三男として育つ。 生後3ヶ月の時に被爆。原爆投下の4日後、家族の身を案じた母親は、まだ赤子だった本人を背負い、市内を通り母親の実家(安古市町)まで出掛けた。その時、母親の背中で被爆した。母親の父と妹は原爆で亡くなっていた。 1963年(昭和38)海田高校卒業後、関西大学に進学する。そのころ被爆手帳を手にする。「迫害、差別を恐れ、また結婚にも差し障ると思い、手帳を取得するのが遅れた。保持することに抵抗はあったが、年を取るにつれ、今では大変有り難く思っている。」と語る。卒業後、大阪の信用金庫に入行。その後、広島に帰り、15年ほどサラリーマンをする。結婚後、二男をもうける。妻はその数年後、病死した。現在は不動産業をしている。 高校、大学でバレーボールに熱中し体を鍛えたお陰か、現在も元気に暮らしている。趣味はスポーツ観戦と50才から始めたピアノ。 「被爆を隠す人は多い。原爆に対して無知な人があまりにも多いからだ。」
収録されているデータベース
デジタルアーカイブシステムADEAC
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最終更新日
2026/07/20
