解説
代官所より日蓮宗悲田宗を禁止することを知らせ、宗旨を変えるように、村に命じた文書の写。寛文5年(1665)、幕府は日蓮宗不受不施派を禁止する方針を示し、朱印地(幕府の庇護)を受けるか否かの請状を出すように要求した。このとき請状を出さない僧侶は流罪となった。一方国主の慈悲によって与えられる寺領と解釈し請状を提出する悲田派が形成された。しかし元禄4年(1691)、幕府は悲田派を禁じ、改宗か受派への転向を要求した。当文書もこの頃に出されたものであろう。 須田家は下荻窪村の旧家で、江戸時代には同村の村役人をつとめ、近代以降も地租改正掛、井荻村村会議員などをつとめた。江戸時代の文書は山王領の村々の動向を知るうえで、また近代以降のものは、井荻村・井荻町の村政運営を理解するうえで貴重な史料である。
収録されているデータベース
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最終更新日
2026/10/05
