解説
風間神社が位置する裾花川扇状地は、裾花川の流路変更と用水堰の開削によって新田開発がすすみ、村切りと近世初期検地をうけて百姓だけの近世村が形づくられた。風間神社本殿の建築年代は、その村々の一村結集の精神的中核として産土社とその祭祀が成立していく時期と重なる。 建築年代については、棟木に墨書がある。棟木の下端に「奉御寄進 延宝弐歳寅之八月吉日 大工 千田村文左衛門 善光寺徳兵衛」とあり、棟上げが延宝2年(1674)で、大工は千田村(長野市稲葉)の文左衛門と善光寺の徳兵衛とわかる。作者も明らかであり、近隣の千田村と善光寺の大工であることは、越後に由来する大工や立川流に所縁のある大工との比較を検討する上でも、指標的価値を有する。 風間神社本殿は、一間社流造、柿葺の建築である。水引虹梁が肩の部分が盛り上がった幅広の力強い形式で、木鼻は拳鼻で、口の部分は刳り貫きの猪ノ目とし上に浅い彫の渦・若葉を彫刻している。側面上方の妻飾りが虹梁大瓶束で、大瓶束上部の拳鼻には上下に渦をつけ、虹梁の絵様は向拝の虹梁と同様で、彫りの浅い渦と若葉が施されるなど江戸時代前期の建築的特徴が随所にみられ、当時としては古式の様相を残す建物である。
収録されているデータベース
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最終更新日
2026/07/20
