解説
太平洋戦争の戦局化に伴い、西明寺や緑ケ丘本町・中町周辺に海軍航空隊の基地が建設された。昭和18年(1943)頃から着手され、昭和20年(1945)5月頃に滑走路の使用が開始された。滑走路は、現在の緑ヶ丘中学校、上野東小学校などが並ぶ一帯で、付近には航空機を爆撃から守る掩体壕が設けられた。その多くは名阪国道の工事で姿を消したが、伊賀国分寺跡には、掩体壕の一つが現在も残されている。基地の状況は、戦後に連合国軍に提出したとみられる位置図などが残されており、その詳細を把握することができる。
収録されているデータベース
デジタルアーカイブシステムADEAC
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最終更新日
2026/07/20
