解説
初代歌川広重の門人だった歌川重宣(しげのぶ)は初代死後、その養女の婿となり、二代を襲名した。中央奥が今戸橋と山谷堀、小高い丘が待乳山。頂上の待乳山聖天は正式には本龍院といい、浅草寺の支院のひとつ。山谷堀はかつて吉原の方まであり、吉原へ通う客は日本堤まで舟で行った。山谷堀は埋められたが今も土手通りの名前が残っている。「台東区の橋」:初代歌川広重の門人だった歌川重宣(しげのぶ)は、初代の没後その養女と結婚し、安政6年春頃に二代目を襲名した。この絵は二代広重を継ぐ前の年に発行され、中央に今戸橋と山谷堀、左手に待乳山聖天、手前の土手では満開の桜に興じる人々が描かれている。
収録されているデータベース
デジタルアーカイブシステムADEAC
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最終更新日
2026/06/15
