日本の画家
日本写真保存センター所蔵の原板から日本の画家のポートレートを集めました。世界を舞台にした画家から、日本画の大家、時代の寵児まで、幅広い記録が残っています。
岡本 太郎
岡本 太郎(おかもと たろう)
生年:1911年〈明治44年〉2月26日 、没年: 1996年〈平成8年〉1月7日)
1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごし、抽象美術運動やシュルレアリスム運動と交わる。
梅原 龍三郎
梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう)
生年:明治21年(1888年)3月9日、没年: 昭和61年(1986年)1月16日
作品発表初期は「龍三郎」、大正3年(1914年)までは「良三郎¥(りょうざぶろう)、後に「龍三郎」もどる。
現関西美術院(浅井忠主催)で学び、渡欧。油彩画に日本要素を取り入れた力強いタッチが特徴。昭和の一時代を通じ日本洋画界を牽引。
菅野 圭介
菅野 圭介(すがの けいすけ)
生年:1909年4月27日、没年: 1963年3月4日
渡仏しジュール・フランドランに師事(1935~1937)。戦前二回(1938、1941)日動画廊で個展開催。戦後は朝日新聞社の秀作美術展や毎日新聞社の国際美術展等にも出品している。昭和23年(1949年)画号を「圭哉」へと改め、昭和28年(1954年)以後には「恵介」を用いる。画風はデビュー時代よりほぼ一貫し、地味な色調とともに一種の東洋的なのびやかな味わいをかもしだしていた。
小倉 遊亀
小倉 遊亀(おぐら ゆき)
生年:明治28年(1895年)3月1日、没年:平成12年(2000年)7月23日
本名はひらがなで「ゆき」、旧姓は溝上。安田靫彦に師事し、女性初の日本美術院同人となる日本を代表する女性画家で、明治、大正、昭和、平成を生き105歳で逝去。昭和55年(1980年)文化勲章受章。
三岸 節子
三岸 節子(みぎし せつこ)
生年:明治38年(1905年)1月3日、没年:平成11年(1999年)4月18日
名古屋市の淑徳高等女学校(現・愛知淑徳高等学校)卒業後、上京し本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事、洋画を学ぶ。女子美術学校(現・女子美術大学)の2年次に編入学後、首席で卒業。昭和21年(1946年)、女流画家協会を創立。夫である黄太郎と共に昭和29年 (1954年)渡仏、カーニュ地方、ブルゴーニュ地方などを巡る。平成元年(1989年)に帰国、神奈川県、大磯の自宅兼アトリエにて制作を続けた。
池田 満寿夫
池田 満寿夫(いけだ ますお)
生年:昭和9年(1934年〉2月23日、没年:平成9年(1997年)3月8日
画家・版画家・挿絵画家・彫刻家・陶芸家・作家・映画監督などの従来の芸術の枠にとどまらず多彩に活躍した芸術家。エロスの作家といわれるように、官能的な作風が多い。多才ゆえメディアでの取り扱いも多岐わたった。
東山 魁夷
東山 魁夷(ひがしやま かいい)
生年:1908年(明治41年)7月8日、没年:1999年(平成11年)5月6日
画家、版画家、著述家で本名は東山 新吉(ひがしやま しんきち)、昭和を代表する日本画家。東京美術学校(現:東京芸術大学)の日本画科へ進学後、結城素明に師事。在学中に第10回帝展に『山国の秋』で初入選。日本画の特徴を生かした風景画を多く残し唐招提寺御影堂の障壁画は現在でも度々全国巡回展示される。昭和44年(1969年)文化勲章受章。
長谷川 路可
長谷川 路可(はせがわ ろか)
生年:明治30年(1897年)7月9日、没年:昭和42年(1967年)7月3日
本名は龍三。大正・昭和にかけて国内外で活躍した日本画家・フレスコ画家。 暁星中学校在学中から洋画家黒田清輝の研究所に通っていた。在学中に受洗しカトリックに入信、雅号の「ろか」は洗礼名のルカにちなむ。カトリック美術家としてキリスト教黎明期のキリシタンを題材にした宗教画制作に取り組むとともに、日本のフレスコ・モザイク壁画のパイオニアとして旧国立競技場などの公共施設に多くの作品を制作した。
川端 龍子
川端 龍子(かわばた りゅうし)
生年:明治18年(1885年)6月6日 、没年:昭和41年(1966年)4月10日
本名は川端 昇太郎。日本画家、俳人。大正2年(1913年)に渡米し西洋画を学ぶが帰国後、日本画に転向。独学で日本画を学び、大正6年(1917年)日本美術院同人となる。弟(異母弟)は『ホトトギス』の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も『ホトトギス』同人であった。昭和34年(1959年)、文化勲章受章。
