岩波写真文庫 250 青森県 ─新風土記─
岩波写真文庫は1950年から58年にかけて刊行された、自然、文化、地理、科学、風俗など、様々な対象を写真で捉えた、全286冊の写真叢書です。このギャラリーでは、1958年発行の『岩波写真文庫 250 青森県 ─新風土記─』に掲載された写真原板を、岩波写真文庫の本文に沿ってご紹介します。
本州の北の端にある青森県は、古くは文字通り「陸奥の国」であった。大和の勢力が最もおくれて入った土地であり、アイヌ人が最後まで残っていた土地であった。明治維新以後、鉄道の開通と北海道の開発、また八戸市を中心とする近代工業の発展は、日本の辺境としてのこの県の位置にかなり大きな変化をもたらしたが、下北、津軽の両半島は今の辺地のおもかげを濃く残し、石灰石、砂鉄など将来の開発をまつ資源が多い。現在は全国総生産高の六割を占めるリンゴで知られる農業県である。
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.1
目次
青森駅.青函連絡船の待合室に通ずる長さ日本一のプラットフォーム
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.1
東北地方の太平洋側を占める広義の陸奥国は明治元年さらに五カ国に分けられたが、青森県はほぼその狭義の陸奥国に当たっている。北は津軽、下北の二半島が陸奥湾を抱き、中央を奥羽山脈と那須火山脈が重走して十和田、八甲田の連邦を連ね、東の南部地方と西の津軽地方に分けている。東は岩手県から続く北上山地の末端が僅かに現われる他は諸川によって開析された洪積台地が海に迫る地形で、放牧と畑作が盛んであり、西の日本海岸には秋田県から出羽丘陵と鳥海火山脈が続いて、中央山脈との間を流れる岩木川流域の津軽平野は砂丘の海岸で囲まれ、リンゴと米作が盛んである。面積は九千六百三十平方粁、全国八位。人口は百三十八万、二十九位である。
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.3
岩木山,木造町より見る
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』pp.2-3
下北半島
ちょうど陸奥湾をかかえこむように斧形に張り出した下北半島は、地形の上からその斧の柄に当る半島頚部と刃に当る半島山地とに分けられる。
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.4 より
尻屋崎.石灰石の積出し港の近くに放牧の牛馬が群れる.
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.4
尻屋崎灯台
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.5
尻屋崎.石灰石の採掘場
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.5
休日を楽しむ泊の婦人会
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.7
澱粉を作る人.岩屋
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.8
仏ヶ浦,一ツ仏
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.11
田名部は県の乳業の一中心地.乳業会社の工場がある
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.12
田名部川と田名部の町.その向うに大湊湾
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.13
大湊港.旧海軍の遺物と入港した自衛隊艦艇
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.13
津軽半島
下北半島と共に陸奥湾を抱く津軽半島は、中央を八甲田山地から西北に伸びる海抜五百―六百米の梵珠山地が走り、その東に狭い海岸平野が続き、西側は岩木川下流の津軽平野が伸びている。
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.14 より
今別町袰月.津軽海峡に面する漁業の部落
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.14
三厩港.津軽海峡に面した小さな漁港
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.16
竜飛行きのバス運行のためにトンネルの拡張工事
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.17
十三の港.かつては日本海岸の要港であった
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.18
平滝沼の岸.草刈に来ていた一家
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.19
岩木川の河口付近.砂地の道を砂利運びの馬車が通う
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.19
平滝沼から'津軽富士'岩木山を見る
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.20
屏風山の東麓,西風を避けて建てられた家々
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.21
深浦町吾妻浜.鯵ヶ沢町から南,秋田県境までは海蝕地形の多い景勝地
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.22
大戸瀬崎の千畳敷
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.23
鯵ヶ沢の中心街.旧藩時代は青森と並ぶ港町であった
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.23
深浦港.艫作半島の北にある良港
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.24
五能線が海岸沿いに秋田県東能代へ通じている
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.25
「日本キャニオン」とよばれる深い谷
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.27
津軽平野
津軽平野は岩木川の流域、南北六十粁、東西二十粁にわたる肥沃な平野である。南西部には白神山地と岩木山、南と東には八甲田山地と津軽半島の梵珠山脈があり、これらの山地を削る大小多数の支流が緩やかな複合扇状地を作りながら岩木川に合流し、十三湖に注いでいる。この平野は地質時代、古津軽湾といわれた大きな陥没湾で、北部では深さ四、五百米にも達していた。それが、土地の隆起もあったが、主として岩木川の運ぶ土砂によって埋立てられた平野で、今もなお年平均五十米の割合で十三湖を狭めつつある。
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.28
津軽平野北部は広大な水田地帯.木造町
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.29
冬の積雪に備えたコミセ.石黒市
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.29
弘前市,岩木川の岸から岩木山を見る
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.30
明治の'文明開化'の名残り,弘前市役所
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.31
盛美苑.明治30年に完成した当時のモダン建築.尾上町
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』pp.31-32
津軽の民芸品
堅牢なことで知られる津軽塗
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.34
ハト笛も津軽みやげ
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.34
コギン.国際刺繍展に入賞したこともある
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.34
津軽の史蹟
弘前城天主閣.慶長16年に完成した国宝建造物
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.34
南朝の年号を刻んだ板碑.弘前市
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.36
浪岡城址.浪岡町
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.36
リンゴ
明治7年のクリスマスにアメリカ人の宣教師が信者達にリンゴを配った時,初めて人々はこの果実を知った.翌年,内務省勧業局から苗木30本が交付されたのがその栽培の始まりである.
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.39
県立リンゴ試験場
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.39
最近はリンゴ酒に加工される量がふえた
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.39
籠につめ,青森みやげとしても売出される
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.39
岩木山
津軽富士と呼ばれる岩木山は円錐形の二重式休火山だ.中央火口丘である岩木山(1625米)の周りに外輪山が残り,弘前市から眺めると山の字型の山頂がぽっかりと青空に浮ぶ.
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.40 より
岩木山は幼年期のコニーテ火山
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.40
岩木山の南西麓にある岳温泉
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.40
初秋になるとはじまる岩木高原の干し草つくり
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.41
岩木川上流,目屋渓ではダム工事が進んでいる
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.41
青森平野と夏泊半島
青森湾に沿う三日月形の青森平野は東から南へかけて奥羽山脈の末端、夏泊半島と八甲田の山地に、西を津軽半島の梵珠山脈に囲まれ、八甲田山地から発する荒川、駒込川の土砂によって埋立てられた沖積平野である。南側の山麓一帯ではリンゴが作られ、沖積地は水田地帯となっている。
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.42
青森市から北,八甲田連峰を見る
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.43
青森市のメイン・ストリート,新町大通り
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.43
駅前の市場.食料品を主にたいていのものはある
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.44
青森湾に面する合浦公園
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.44
浅虫温泉.旅館30軒余,東北地方有数の温泉郷
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.46
浅虫温泉の花火大会.前方は湯ノ島
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.47
東北本線野辺地駅.昔風な乗合馬車がまだ使われている
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.47
南部地方
南部地方とは県南部というのではない。下北半島を除く旧南部藩の領域を指している。下北半島南部から太平洋岸の一帯は中央山地の東に発達した洪積台地と、これを開析している馬渕川、五戸川、奥入瀬川、坪川などの細長い沖積平野とからなり、馬渕川南方、岩手県境には北上山脈末端の山地が僅かに頭を出している。
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p. 48
淋代の海岸.広い砂浜に砂鉄採取の小屋
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.48
青森県最大の湖沼.小川原沼
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.49
三本木原の中心,十和田町
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.50
新郷村戸来で
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.50
三本木原は県内最大の畑作地帯.耕馬の利用度が高い.大三沢町
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.51
昔の厩にこの頃では乳牛が入り,馬,牛,人間が同居している.新郷村
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.50
八戸
青森県最初の近代的大工場,磐城セメント八戸工場
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.53
砂鉄工場
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.53
近代的な合成酒工場,合成酒精八戸工場
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.53
八戸港.漁船,貨物船の入港は県内第一
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.54
イカ干し.シーズンは8月から12月
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.54
魚市場.県の水揚高の半ば近くを扱う
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.54
種差海岸.延長約4粁,太平洋に面した岩石海岸
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.55
南部の史蹟
南部氏の築城した根城址.八戸市
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.56
是川遺跡(八戸市)の出土品
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.56
三本木原開拓のために新渡戸伝のつくった稲生川
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.57
旧陸軍の軍馬補充部のあと.十和田市
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.57
上北地方の開発
上北地方の開発 新しく道路ができ,やがて家が建つ
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.58
上北地方の開発 トラクターで肥料を運ぶ
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.58
上北地方の開発 2年目,どうにか家財道具も揃った一家
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.59
八甲田・十和田
奥入瀬,雲井の滝
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.61
酸ヶ湯温泉.泉質は強酸性硫黄泉
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.62
奥入瀬渓流.石ヶ戸の巨石
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.62
十和田湖畔.高村光太郎の像がたっている
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.63
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.64
青森県には広大な未開拓の原野が残っている。戦争直後、開墾五万町歩の計画がたてられたが、いま上北、下北両地方を中心に、耕地一万七千余町歩の開拓と、入植農家五千余戸の創設計画が進められている。さまざまの援助があるとはいえ、寒冷な気候と慣れない土地のため、これら入植者の前途は決して楽ではない。
『岩波写真文庫 250 青森県 ―新風土記―』p.64 より
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