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旭町学術資料展示館完成の頃の新潟中心部

絵葉書資料を手掛かりに、旭町学術資料展示館が誕生した昭和初頭の新潟中心部の街並みを辿ってみましょう。

萬代橋と結ばれた目抜通り・柾谷小路では、明治期に建てられた木造洋風建築の公官庁や金融機関・商店が、次第に鉄筋コンクリート造の新たな建物に入れ替わろうとしていました。また、1937(昭和12)年には柾谷小路に2軒の百貨店が誕生し、大正期〜昭和初頭にかけての古町通沿いでは、映画館の開業が相次ぎます。当時の絵葉書からは、新たな都市文化に活気付く新潟の様子が伺えます。

昭和初頭の新潟市中心部

柾谷小路

昭和初頭の柾谷小路

2代目警察署 1909(明治42)年〜1933(昭和8)年

1910(明治43)年6月16日(年消印、月日書入) 新潟警察署庁舎の写真
1907(明治40)~1918(大正7)年の間と推定 新潟市中央区 警察署前から上方向

ドームが印象的な2代目警察署は、1908(明治41)年9月の大火後に建築された木造洋風建築でした。1933(昭和8)年に警察署は移転し、1937(昭和12)年には警察署跡地に鉄筋コンクリート造の小林百貨店(後の三越百貨店)が開業します。

2代目市役所 1910(明治43)年~1933(昭和8)年

1907(明治40)~1918(大正7)年の間と推定 新潟市中央区
1918(大正7)~1933(昭和8)年の間と推定 新潟市中央区 西堀、警察署
1918(大正7)~1933(昭和8)年の間と推定 新潟市中央区 市役所庁舎

1908(明治41)年9月の大火後に建築された木造洋風建築の2代目市役所のデザインは、新潟市歴史博物館「みなとぴあ」に引き継がれています。この地は長らく新潟市役所の立地地となっていましたが、1989(平成元)年に市役所が学校町に移転し、跡地には複合高層ビルNEXT 21が建設されました。NEXT21には2017(平成29)年より中央区役所が入居し、この地は再び行政機能の中心地となっています。

小出倉庫
1889(明治22)年竣工 柾谷小路と本町通の角にあった4階建の土蔵造りの特徴的な建物です。1908(明治41)年9月の大火にも耐えたこの建物には、一時は被災後の郵便局の仮局舎も入居していました。
新潟逓信管理局新潟郵便局局舎
1912(明治45)年竣工 現在の新潟中郵便局の所在地と同じ、柾谷小路と東堀通の角に建てられた西洋建築です。絵葉書左手奥には、瓦屋根の伝統建築時代の第四銀行の様子も写っています。
第四銀行
下の写真奥に、1928(昭和3)年に新築された第四銀行本店が写っています。現在も同地において、第四銀行の流れを汲む第四北越銀行本店が営業を続けています。

柾谷小路の拡幅と百貨店の登場

1933(昭和8)年に2代目市役所が火事で焼失すると、柾谷小路の拡幅・舗装化が行われ、これにあわせて警察署は移転します。1937(昭和12)年9月には、警察署跡地に小林百貨店が、その斜め向かいに万代百貨店が相次いで開業しました。

2軒の百貨店が並ぶ柾谷小路
拡幅・舗装化された柾谷小路は、2軒の百貨店が競い合う、新潟の中心的繁華街として栄えました。
小林百貨店(新潟三越)
警察署跡地に開業した小林百貨店は、その後1980(昭和55)年に新潟三越へと変わり、2020(令和2)年まで営業を続けました。現在その跡地の活用が課題となっています。
万代百貨店(大和百貨店)
絵葉書右の長方形の建物が万代百貨店です。万代百貨店は1943(昭和18)年に大和百貨店へと変わり、2010(平成22)年まで営業を続けました。跡地は現在古町ルフルとなっています。古町ルフルには新潟市役所ふるまち庁舎が置かれ、中央区役所の入居するNEXT21とともに、新たな行政機能の中心地となっています。

昭和初頭の古町通・本町通

古町通5番町
絵葉書右手には、1928(昭和3)年に開業した映画館・松竹館の幟が立ち並んでいます。
古町通6番町
白山神社側から下方向を写した絵葉書です。絵葉書右の尖塔を持つ洋風建築は、1914(大正3)年に開業した映画館「電気館」です。絵葉書手前右の天佑堂は、2026年現在も営業する老舗万年筆修理店です。
古町通6番町(新潟ビルディング)
柾谷小路側から上方向を写した絵葉書です。右手には、1931(昭和6)年に開業した4階建の新潟ビルディングが写っています。小林百貨店開業まで、前身となる小林呉服店は、この新潟ビルディングで営業していました。
古町通8番町
柾谷小路側から下方向を写した絵葉書です。絵葉書左手の大きな建物は、1914(大正3)年に開業した、新潟最初の常設映画館「大竹座」です。跡地に建つビルには、「大竹座」の名称が今も残されています。
本町通6番町
白山神社側から下方向を撮影した絵葉書です。朝市に賑わう様子が捉えられています。左手奥に見える建物は、柾谷小路にあった4階建の小出倉庫です。

旭町学術資料展示館と同時代に誕生した建築物・構造物

新潟カトリック教会
1908(明治41)年の大火で焼けた後、旭町から東大畑に移転して1927(昭和2)年に新築された教会です。建築設計は、ドイツ人技師ヒンデルが手掛けました。教会の隣には今はなき異人池があり、趣ある景観を作り出していました。教会の建物は、現在も同地に現存しています。
イタリア軒
イタリア軒は、1874(明治7)年に新潟初の西洋料理店として開業し、その後現在までホテルとして営業を続ける新潟の老舗です。絵葉書の建物は1931(昭和6)年に完成した3代目イタリア軒です。
3代目新潟県庁
1932(昭和7)年に完成した木子七郎設計の3代目県庁です。現在の跡地は、新潟市役所として利用されています。
報時塔
1924(大正13)年に建てられた鉄筋コンクリート製の報時塔です。かつて寄居浜にあった午砲所を引き継ぐ建物です。
白山公園(ラジオ塔)
日本放送協会(NHK)新潟放送局の開局1周年を記念して、1932(昭和7)年に建てられたラジオ塔です。一時休止を経て、2015年(平成27)年に修復・放送を再開したラジオ塔は、全国でも貴重な存在となっています。

近代化する新潟港

1914(大正3)年の新潟市・沼垂町の合併後、近代的大都市・新潟の発展を目指して、港の建設が始まりました。多大な資金と長期間に及ぶ工事期間を費やした築港事業は、1926(大正15)年3月に完成を迎えました。大型貨物線が入港可能となった新潟港は、日満航路を中心に、昭和前期の新潟の経済を支える港として繁栄しました。しかしその後の第二次大戦により、大正期に作られた新潟港は廃港寸前まで荒廃することになるのです。

近代化する新潟港

新潟築港記念博覧会 1926(大正15)年

新潟築港記念博覧会演芸館春調娘七草

1926(昭和1)年 新潟市中央区

新潟築港記念博覧会第一会場夜景

1926(大正15)年 新潟市中央区

新潟築港記念博覧会第一会場正門及側面

1926(大正15)年 新潟市中央区

新潟築港記念博覧会サークルリング、アイヌ館

1926(大正15)年 新潟市中央区

新潟築港博覧会は、築港完成を祝して、物産陳列所(旧新潟県議会)と白山公園を会場に開催された博覧会です。会場には、各地の産物を陳列した産業館、汽船会社や官庁が所蔵する名品が陳列されるとともに、日露教会によるロシアの風俗や産業紹介が行われていた参考館、水上飛行機や羨望鏡、動力機械などを展示する交通機械館、演芸館などが設けられました。会期中の入場者は18万6千人を超え、会場は活況を呈しました。

映像で見る約100年前の新潟②

『古い新潟』
1927年頃の新潟市中心部各所を撮影した9.5mm映像です。撮影者は、後に新潟大学放射線医学教室二代目教授を務めることになる野崎秀英と考えられます。映像の後半には、大正期に整備された新潟埠頭をはじめ、新潟港の様子も収められています。(動画はにいがた地域映像アーカイブのサイトより視聴いただけます)

【主な参考文献】

田村聡昭編(2007)『月刊ウインド205号記念 街の記憶 劇場のあかり 新潟県 映画館と観客の歴史』新潟・新潟市民映画館鑑賞会

新潟市(1996)『新潟市史 通史編3 近代(上)』新潟市

新潟市(1997)『新潟市史 通史編4 近代(下)』新潟市

新潟市歴史博物館(2004)『第1回企画展2004 にいがた街の記憶』新潟市歴史博物館

新潟市歴史博物館(2007)『平成19年度政令市移行記念展図録 古写真の中の新にいがた −明治・大正・昭和期の風景−』新潟市歴史博物館

星龍雄編(2025)『シネ・ウインド40周年記念 みる かたる つくる 新潟映画130年史』新潟・新潟市民映画館鑑賞会