東京駅
東京都千代田区丸の内にあるJRの代表駅。「近代建築の父」と呼ばれる建築家、辰野金吾らが設計した。
東京駅は東海道本線をはじめ中央、東北、総武各本線等の起点駅となっている JR の代表駅である。明治中期に決定された新橋~上野間を高架鉄道でつなぎ、皇居前に中央駅を建設するという東京の市区改正計画に基づき、大正3年(1914)12月に開業した。計画が遅れたのは明治37年(1904)に日露戦争が勃発したためである。
駅舎は開業と同じ大正3年(1914)12月の落成で、「近代建築の父」といわれる建築家、辰野金吾(たつのきんご)と弟子の葛西萬司(かさいまんじ)により設計された丸の内側の駅舎は、鉄骨赤れんが造3階建て、南北両端に丸ドームのある左右対称の建築で、ヨーロッパの中央駅をモデルとしたといわれる。開業当時は繁華街に近い八重洲側に乗降口が設けられず、皇居の存在を意識した国家的性格を有した駅であった。
昭和20年(1945)5月の空襲で損傷。戦後、3年をかけての応急修理により3階を削り、丸ドームを木造八角形に改められた。更に平成19年(2007)から平成26年(2014)まで復原工事が行われ建設当時の姿を取り戻した。
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東京駅が開業する前の八重洲付近を示した地図。明治16年(1883)作成。
大正時代
大正~昭和前期
昭和時代
明治後期~昭和初期
大正~昭和前期
昭和2年(1927年)
昭和6年(1931)。創作版画『新東京百景』は、8人の版画家、恩地孝四郎(1891-1955)、諏訪兼紀(1897-1932)、平塚運一(1895-1997)、川上澄生(1895-1972)、深沢索一(1896-1947)、藤森静雄(1891-1943)、逸見亨(1895-1944)、前川千帆(1888-1960)による100枚一組の版画集である。1929年から32年まで中島重太郎の主宰する創作版画倶楽部より4期にわたって会員頒布された。関東大震災後の復興から近代都市へと変貌をとげる東京の姿を後世に残すため企画された。根底にあるのは、北斎や広重ら江戸の名所風物を描いた浮世絵の書策より連なる風景版画の伝統であると同時に、刻一刻と変化する東京の姿を作家自らがあらたに見つめ、板の上に創作しようと協力し合った作家たちの強い意識であろう。
昭和11年(1936)11月
昭和20年(1945)12月。「東京回顧図会」は、日本版画協会同人作家らが、太平洋戦争時の空襲によって被害を受けた東京の戦前の姿を回顧して、各々の作品を持ち寄り版画集にまとめたもの。
昭和20年(1945)6月16日。織田信大(1888~1964)は、旧丹波柏原藩主織田家(子爵)に生まれ、東京美術学校洋画科を卒業、美術出版巧芸社の役員などを務めた。昭和20年5月の山の手空襲後における東京の焼け跡の風景を水彩で描いた連作
1975年
写真
1965年12月21日撮影。戦後20年に当たる年で、前年に東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された。人の往来が増えることを見込んでの改善だろう。
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