ボタン科の落葉低木。中国原産で、古く日本に渡来し観賞用として植栽され、花の王とよ呼ばれる。牡丹は漢名で、「ぼうた」「ぼうたん」のほか、二十日草(はつかぐさ)、深見草(ふかみぐさ)、名取草(なとりぐさ)、山橘(やまたちばな)などの異称がある。高さ1~3mほど、葉は大きく、春に径20cmほどの大形の花をつける。花は半八重咲き、万重咲き、獅子咲き、二段咲きなどがあり、その色も紅、紅紫、黒紫、桃、黄色、白色など変化に富む。寒牡丹は春の蕾を除き、夏に葉を切り取り、第2の蕾を育て、晩秋から冬に開く花を愛でる。根皮(牡丹皮)は強い臭いをもつが、頭痛、関節炎、リウマチ、打撲症、婦人病などの薬として用いられる。
平安時代には栽培されていたといわれ、藤原道綱母は山寺で「牡丹草どもいと情けなげにて花散りはてて立てる<牡丹がなんの風情もなく花びらを散らして立っている>」様子を見ている(『蜻蛉日記』)。『枕草子』には「台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと<台の上に植えれらた牡丹などのおもしろいこと>」とあり、前栽(せんざい)の花卉として植えられていたようだ。鎌倉時代・室町時代には寺院や庭園などに広く植えられ、江戸時代の元禄・宝永の頃には花の観賞が盛んとなり、与謝蕪村が「牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片<牡丹が散って花びらが二、三片重なっている>」と詠んでいる。紋所としては五摂家筆頭の近衛家の紋であったことから菊、桐、葵の紋に次いで権威があり、島津、伊達、津軽などの諸大名家が用いた。この近衛牡丹や津軽牡丹のほか、裏牡丹、杏葉牡丹などがある。よい組み合わせとされる唐獅子牡丹、幕末の怪談『牡丹灯籠』などもおなじみのもの。
江戸時代には白牡丹179品種、紅牡丹160品種、筑前牡丹138品種を数えたという(『花壇地錦抄』)。現在では新潟県・島根県などが主産地で、名所は宮城県岩沼市の金蛇水(かなへびすい)神社、福島県の須賀川牡丹園、埼玉県東松山市の箭弓稲荷神社(やきゅういなり)、静岡県袋井市の可睡斎(かすいさい)、奈良県桜井市の長谷(はせ)寺、葛城(かつらぎ)市の當麻(たいま)寺・石光(せっこう)寺など数多い。
関連するひと・もの・こと
日本の代表的な花。皇室の紋章に使用され、日本の国花ともされている。園芸品種として盛んに栽培され、品評会(菊合せ)が催された。
ヒルガオ科の一年草。代表的な園芸品種で、江戸時代には盛んに品評会(朝顔合)が開かれた。
日本原産の代表的な花木であり、園芸品種としても多彩。ヨーロッパでも「冬のバラ」として親しまれている。
古来よりバラとともに洋の東西を問わず親しまれてきた花。日本原産のものから多くの園芸種が作られている
日本で育成された園芸品種。梅雨時を象徴する植物で、各地に観賞の名所がある
春から夏にかけて赤、白などの花をつける低木。園芸品種として庭木に重用された。
武士が具足の上に着用した上衣。安土桃山時代になると斬新なデザインが花開いた。安土桃山~江戸時代の陣羽織に、牡丹の意匠が見られる
江戸時代は男女児と元服前の女性が着用し、現在は若い女性の晴着となっている。華やかで「富貴」や「幸福」の意味をもつ牡丹は、振袖の模様としても好まれる
琉球王国がアジア諸国との交易の中で各地の染織技術を取り入れた、沖縄を代表する伝統的な染色技法。中国文化の影響を受けた牡丹の模様が用いられている
「やちむん」は沖縄の言葉で「焼きもの」を意味する。代表的な「壺屋焼」は、300年以上の伝統を受け継ぐ。吉祥文様である牡丹は伝統的な文様の一つ
金銀などの細かい粒子を使い、漆器の表面に装飾をほどこす日本を代表する漆芸技法。牡丹の意匠が多く見られる
江戸時代に盛行した浮世絵の中でも、多色刷りの木版画の総称。美人画や役者絵、名所絵などさまざまなジャンルの錦絵に牡丹が描かれている
本で知る
狩野織染藤原重賢<狩野重賢>//〔画〕,写
本資料は優れた花木・草花図譜で、春上・春下・秋上・秋下の4巻から成り、夏と冬の巻はない。「秋下」末尾に「狩野織染藤原重賢画之」とあるので、狩野重賢が著者だが、狩野家の系図には見出せず、経歴などは不明。美濃の加納(かのう)での写生が多いので、加納藩と関係があったように思われるし、狩野は加納のもじりかもしれない。本資料の特徴は、1.図には写生年月日と写生地を記すことが多いが、注記は少ない、2.図を種類ごとにまとめている、3.写生地は大半が加納である、4.年代は、明暦3年(1657)から元禄12年(1699)に及ぶが、万治2年(1659)と同3年が非常に多く、ついで元禄5年(1692)が目立つなど、特定の年に集中している、5.大半が園芸植物で、野生品や農作物は計1割ほどに過ぎず、針葉樹や羊歯類、キノコ類はまったく含まれていない、など。所収種数は「春上」が29種、「春下」が54種、「秋上」が18種、「秋下」が30種、総計131種、品数にすれば284品。アサガオの赤花、アラセイトウ、ウコン(鬱金)、センダイハギの図はいずれも初出と思われる。(磯野直秀)
毛氏江元寿梅園直脚<毛利梅園>//書画并撰著,写
『梅園百花画譜(梅園草木花譜)』は幕臣毛利梅園(1798~1851)の著作で、春4・夏8・秋4・冬1の計17帖から成り、約1,300品を描く。江戸時代の植物図譜のうち写生数がもっとも多いものの一つで、正確さでは一二を争う江戸時代屈指の植物図譜。
岩崎常正,写
『本草図譜』は江戸時代の代表的な植物図譜。筆者岩崎灌園の実見した本草約2000種を写生・彩色して、山草・湿草・毒草などに分類したもの。全96巻のうち、文政13年(1830)に巻5から巻10までの6冊が出版されたが、印刷・刊行されたのはこの6冊のみで、以後は灌園の原本を画家に模写させて予約者に配布するかたちで続けられた。掲載の図は、国立国会図書館が所蔵する田安家旧蔵本のうちの1冊から。田安家旧蔵本は、『本草図譜』としては稀な完本で、優れた画家に模写させたと思われる良質な図が多いことで知られている。
写
紀州藩の藩医・画家であった坂本浩然(こうねん、1800-1853)による牡丹の花譜。浩然は、父坂本純庵に医術と本草学を学び、名は直大。浩然は通称で、字(あざな)は桜宇。また浩雪と号した。多数の写生画を残し、菌類を分類・図説した『菌譜』のほか、『菊譜』『躑躅譜』『百合譜』『牡丹真写』などの図譜を残している(いずれも未刊)が、これらは博物家・医師伊藤圭介 (1803-1901)と孫の伊藤篤太郎(とくたろう)の手を経て国会図書館に所蔵される。掲載本には、「田安/府芸/台印」という田安家の蔵書印があり、浩然が田安家の依頼で筆をとったものと推定される。
写
『牡丹花譜』と同じく、紀州藩の藩医・画家であった坂本浩然(こうねん、1800-1853)による著作。博物家・医師伊藤圭介 (1803-1901)と孫の伊藤篤太郎(とくたろう)の手を経て国会図書館に所蔵されたもの。
貝原篤信,永田調兵衛
江戸時代前期の代表的本草書。著者は江戸前期の儒学(朱子学)者・本草学者の貝原益軒。宝永6 年(1709)刊。本編16巻、付録2巻、図譜(諸品図)3巻。中国の『本草綱目』掲載品種を基礎に、和漢洋の動・植・鉱物1362種を独自の分類法で分類し、名称・起源・形状・紅葉などを解説。
寺島良安 編,秋田屋太右衛門 [ほか]
江戸時代中期の図入り百科事典。編者は大坂の医師・寺島良安。巻九十三の「芳草」に「牡丹(ぼたん、ふかみぐさ)」の項目が掲載されている。
『庶物類纂』は、加賀藩主前田綱紀が京都の本草学者稲生若水(1655 - 1715)を招いて編纂した博物書。延享4年(1747)完成。中国古典籍類などから動物植物鉱物の記事を集成、分類し、実物によって検証したもので、日本の博物学史上画期的な業績。若水は編纂中に没したが、その後は幕府の官撰事業として若水門下の官医丹羽正伯らが引き継ぎ、全1054巻をもって完成とした。全体を26属(草、花、鱗、介、羽、毛、水、火、土、石、金、玉、竹、穀、菽 、蔬 、海菜、水菜、菌、蓏 、造醸、虫、木、蛇、果、味)に分類。正伯が幕府に献上した浄書本465冊が江戸城紅葉山文庫に保存され、のち内閣文庫に伝来した。重要文化財。
橘保國 畫圖,芸艸堂
江戸中期の画業志望者用の絵手本、大坂の絵師橘保国(号、後素軒:1715-92)による『絵本野山草』に描かれた牡丹の図。図の脇に絵具の使用法が書かれている。原本は宝暦5年(1755)の刊行だが、掲出本は明治期の芸艸堂による複製。
岡山鳥 著,長谷川雪旦 画,刊
江戸の名所案内本。『江戸名所花暦』とも。岡山鳥(おかさんちょう)著。長谷川雪旦画。季節の花を中心に、四季折々の遊楽の名所を紹介する。春夏秋冬の四巻に分かれており、「牡丹」の項目は「夏」に収録。富岡八幡宮や花屋敷(向島百花園)などが名所として挙げられている。
楳嶺,大倉孫兵衛
『楳嶺花鳥画譜』は、江戸時代末期から明治初期の日本画家・幸野楳嶺(ばいれい、1844-95)の作。花と鳥が1種ずつ描かれた33点の花鳥画がまとめられている。
広重,豊国,平のや
「江戸自慢三十六興」は、江戸の名所風景に、名物や風俗を組み合わせて描いた36枚の揃物。人物を三代歌川豊国、風景を二代歌川広重二代が担当。本図は牡丹の名所であった深川八幡宮を描く。
三遊亭圓朝 演述,若林[カン]藏 筆記,文事堂
明治時代の落語家、三遊亭円朝作の人情噺。明治17年(1884)筆録、出版。江戸前期の仮名草子『御伽婢子(おとぎぼうこ)』からの翻案もので、元治(1861-1865)頃の成立とされるが、明治17年、東京稗史出版社が円朝の口演を速記して出版することを企画、日本最初の速記者若林玵蔵 (かんぞう、1857-1938)に依頼・筆録して毎週土曜に1編ずつを刊行し、13編をもって完結した。若林は実用速記の草分けで、落語の速記は未経験だったが、円朝を聞きに人形町の寄席末広亭に15日間通って速記したという。掲出は、東京稗史出版社のあとをうけて文事堂が刊行した一冊ものの口絵。浪人萩原新三郎と、幽霊となって新三郎のもとに通うお露と女中のお米が描かれる。牡丹の燈籠を手にするのがお米。春のやおぼろ(坪内逍遥)序。活版印刷の洋装本に速記術という新しさとうらはらに、序文や口絵・挿絵の体裁、1編を2回に分けた構成などは、江戸後期の人情本とほとんど変わっていない。
芳年
幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師、月岡芳年(1839-1892)による「牡丹燈籠」。 「新形三十六怪撰」のうちの一図。幽霊のお露と牡丹燈籠をさげたお米が描かれている。
杉浦非水 著,春陽堂
杉浦非水、春陽堂、大正10年(1921)、東京
望月玉泉 著・画,田中治兵衛
望月玉泉、田中治兵衛、明治24年(1891)、京都
宋歐陽修撰,附宋陸游撰
宋歐陽修撰、附宋陸游撰、江戸、写
写
史書・古典にみえる牡丹
神宅臣金太理 勘造,出雲臣廣嶋 [編],讀書室世龍 摸
天平5年(733年)に完成した地誌。『出雲国風土記』意宇郡条に「牡丹」とみえる。『本草和名』では和名を「布加美久佐」としている。この牡丹はキツネノボタン科のボタンという。この国立国会図書館所蔵本は寛政5年(1793)刊、京都。
深江輔仁 奉勅新撰,多紀元簡 [校],和泉屋庄次郎
第9巻にみえ、和名を「布加美久佐」とする。『本草和名』は『新修本草』所収品の漢名-和名辞書で、深江輔仁(すけひと、生没年未詳)が勅を奉じて延喜18年(918)頃に作成した。すでに散逸した古書からの引用が多いことでも知られる。長く存否不明の書だったが、寛政6年(1794)幕医多紀元簡(もとやす、のち幕府医学館主)が幕府の紅葉山文庫で古写本を発見、それを校訂して刊行。本資料は、考証学者小島尚質(なおかた)・尚真(なおざね)父子の旧蔵書で、諸書を用いて父子がさらに校注を進めたものである。一方、刊行に関連する多紀家の記録も写しており、それによって元簡が幕府の出版許可を得るために提出した文書が判明し、「享和二年(1802)壬戌秋八月廿七日初刷装釘」とあって、出版年が通説の寛政8年(1796)ではないことも明らかになる(『江戸出版書目』によると、出版・販売の許可を得たのは寛政12年12月)。なお、『日本古典全集』に所収されている森立之・約之父子旧蔵『本草和名』刊本への書き込みは、上記多紀家記録を含め、本資料の小島父子書き入れの転写が少なくない。
藤原道綱母,天王寺屋源右衛門
牡丹は平安時代には栽培されていたといわれ、『蜻蛉日記』の著者、藤原道綱母は山寺で「牡丹草どもいと情けなげにて花散りはてて立てる(牡丹がなんの風情もなく花びらを散らして立っている)」様子を見ている。掲出本は元禄10年(1697)大坂の天王寺屋源右衛門の刊行。契沖の手になる水戸中納言御本との校合が写されている。榊原芳野旧蔵。
清少納言 [著]
『枕草子』には、「台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと(台の上に植えれらた牡丹などのおもしろいこと)」とあり、牡丹は前栽(せんざい)の花卉として植えられていたようである。寛永年間(1624 - 44)刊と推定される平仮名交じり13行の古活字本。本文は、近世において流布本の位置にあった伝能因所持本系統。幕末・明治初期の国学者榊原芳野(1832 - 81)の旧蔵書。
『栄花物語』巻18「たまのうてな」に、阿弥陀堂の池の方に高欄を設けて、その下に薔薇、牡丹、唐撫子、紅蓮華の花を植えてあるとみえる。『栄花物語』は藤原道長の栄華を中心に記述した歴史物語。正続二編に分かれ、正編の編者は赤染衛門とされる。本書は元和・寛永年間(1615 - 44)の刊行と推定される古活字版。2巻ずつを1冊に合冊。もとの濃紺表紙には中央に題簽を貼付し、書名、巻数等を墨書。第1冊見返しに朱書識語があり、白文「入江」、朱文「昌憙」を捺す。全巻にわたる校合、頭注などの書入れも同筆で、大坂の国学者入江昌喜(1722 - 1800)のもの。第1冊首に印記「幽遠窟蔵書記」(入江昌喜)、「榊原家蔵」(榊原芳野)がある。当館には他に、同版を4点所蔵する。
不明
『新古今和歌集』巻第8哀傷歌に、藤原重家の、形見とて見れば嘆きのふかみ草なになかなかのにほひなるらん、の歌がみえる。六条の摂政(藤原基実)の形見である牡丹の咲いたのが贈られてきたことへの返礼の歌。深見草は牡丹の別称という。この東京大学総合図書館所蔵本は室町末期の写。2冊。
『太平記』巻17「義貞京都軍の事」に、五千余騎の軍勢が「牡丹の旗、扇の旗」を掲げて四条通を東に進んだとみえる。牡丹は関白家の近衛・鷹司の紋章。『太平記』は南北朝期の戦乱を主題にした軍記。慶長12年(1607)の古活字版。第1冊巻第一第2丁は補写。横転活字、脱字などの墨書訂正や上欄外の校合書入れがあり、訓点、送り仮名を付す。
塚本哲三 校,有朋堂書店
松尾芭蕉の『野ざらし紀行』に、牡丹蘂(しべ)深く分け出る蜂の名残哉、の句がみえる。
内藤鳴雪 等著,籾山書店
与謝蕪村の夏の句に、牡丹散て打かさなりぬ二三片、がある。
牡丹の栽培・園芸に関する本
水野元勝 著,松井頼母 増補,山本八兵衛[ほか1名]
『花壇綱目』は日本最初の総合園芸書。延宝9年 (1681) 刊 。牡丹の育て方が土の選び方、肥料、水、分植などについて簡単に記している。本書は刊本だが、著者の経歴などは未詳。花壇に植える草花、春35・夏81・秋57・冬5・雑6種の計184種について、花の色・花形・花期・栽培法などを短く記し、牡丹41・芍薬32・菊79・椿66・梅53・桃8・桜40・ツツジ147品種の花銘を挙げる。国立国会図書館は、刊本の元になった寛文4年(1764)序の草稿本(特1-45)とそれにやや手を入れた寛文5年序の草稿本(特1-46)も所蔵する。
水野元勝 著,松井頼母 増補,白井光太郎写
延宝9年(1681) 刊の『花壇綱目』の稿本(大正13年の写本)。寛文4年(1664)の序がある。刊本では異名・花の色・土質・肥料・分植の時期などについて記しているが、この稿本では、異名・花の色・分植の時期を記すのみである。
林正五郎
元禄11年(1698)に出版された牡丹の品種の解説本。全3巻。1巻は白色牡丹、2巻は紅牡丹、3巻はその他の色の牡丹を掲載。
杉岡梅陰軒,柳田好古堂[ほか1名]
杉岡宗閑、杉岡梅陰軒、柳田好古堂ほか。元禄12年(1699)跋 。
[伊藤]伊兵衛 [画],武陽染井之野夫 [編],須原茂兵衛
日本最初の総合的な園芸植物図説。元禄12年(1699)刊。著者は江戸染井の代表的な植木屋で、父三之丞の原画を息子の政武が編集・刊行したもの。園芸植物120品を取り上げている。
伊藤伊兵衞 撰,須原屋茂兵衞
『増補地錦抄』巻1の白牡丹の項。白牡丹、紅牡丹、筑前牡丹、芍薬の順に多数の牡丹の品種を紹介する。『増補は地錦抄』は、江戸・染井の植木屋伊藤伊兵衛三之丞・政武父子が執筆した『地錦抄』シリーズのうち一つ。同シリーズには、1.『花壇地錦抄』(三之丞著、5冊、1695年刊)、2.『増補地錦抄』(政武著、8冊、1710年刊)、3.『広益地錦抄』(政武著、8冊、1719年刊)、4.『地錦抄附録』(政武著、4冊、1733年刊)の4点が順次刊行されたもので、掲出本は、その2.~4.を揃い本として、おそらく享保18年(1733)に一括刊行されたもの。
延命院實圓 著,伊藤篤太郎 写
江戸時代の園芸書。伊藤篤太郎が昭和14年(1939)に作成した写本。巻末の伊藤の識語によれば、原本は元禄11年(1698)の写本で、清水寺の僧延命院実円の書という。
写
江戸時代の牡丹の品種の解説本。写本。著者不明。
井上正賀 著,大学館
井上正賀、大学館、明治45年(1912)、東京
もっと知りたい
絵画に描かれた牡丹(日本)
俵屋宗達
俵屋宗達は桃山から江戸時代初期の画家。琳派の祖。京都の上層町衆に属し、下絵や扇画面を描く「俵屋」を屋号とする工房を主宰していたと考えられている。烏丸光広・本阿弥光悦らと交際があり、独自の斬新な構図と意匠で大和絵を復興した。
桃山時代。花枝を折って瓶にさして愛でたり、草花を仏前に供えたりすることは古くから行われていたが、籠に生けた花が描かれるようになるのは、中国においては南宋、およそ12世紀頃からである。日本では、水墨画の雲渓永怡筆「花籠図」(常盤山文庫蔵。16世紀)が古作である。17世紀に入ると、狩野山雪(1590~1651)と同時代に生きた漲川永海(ちょうせんえいかい)筆「花籠図」(京都国立博物館蔵)、寛永3年(1626)完成の二条城黒書院廊下杉戸絵などに着色の「花籠図」がみられる。 勝興寺蔵の本作は着色の「花籠図」の古作として注目されてよい作である。落款、印章はなく、作者不詳であるが、描線は緊密であり、構図の安定性も含めて名手の作と言えよう。複雑に目のつんだ編み目の取手付きの籠の上に、もう一段透いた六つ目網の籠を重ねて全体として瓢箪型を為した中に、牡丹、芙蓉、菊、夾竹桃などを溢れんばかりに生けた様子を描いている。右扇はほぼ余白の金地である。裏面は「竹図」である。画面右端に3本、中央に2本の竹が垂直に立つ。その間には淡く水の流れが描かれている。左扇には点苔の打たれた岩の上に笹があり、右扇の竹の背後には一重の薔薇かと見える植物が描かれているため、季節としては夏だろう。 一点から下向きに五葉が出る竹の葉の形や垂直に立つ竹の形状は、宮内庁三の丸尚蔵館蔵「厩図屏風」(室町時代)背景の竹と似ている。表面の「花籠図」よりも若干古様に見える。竹の上部の金砂子は蒔き足しとみられ、形状変更の可能性、補筆補彩などを慎重に見極める必要があるが、元和寛永期(1615~44)以前の制作とみてよいだろう。(高田克宏)【参考文献】『浄土真宗と本願寺の名宝Ⅰ-受け継がれる美とこころ-』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成28年(2016)
筆者不詳,Artist unknown,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。絢爛に金で装飾された花車(花見の車とも)5輛それぞれに藤、牡丹、杜若(かきつばた)、紫陽花(あじさい)、菊など、四季の花々を載せている。花車図は江戸時代はじめ、大名家の間で人気のあったモティーフで、主に狩野派の絵師たちによって描かれた。
本阿弥光甫
春の藤、夏の紅白牡丹、秋の楓。光甫(ほんあみこうほ、1601 - 82)は本阿弥光悦の養子光瑳(こうさ)の子で、空中斎と号した。
湖龍斎
礒田湖龍斎(こりゅうさい、1735 -90?)は江戸時代中期の浮世絵師。
伝土方稲嶺筆,Attributed to Hijikata Torei (1741-1807),東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。寿老人(じゅろうじん)と唐子(からこ)、松竹梅、白鹿・鶴・霊芝(れいし)は長寿の象徴、牡丹や猫は富の象徴、という具合に吉祥尽くしの図様だ。地面や樹皮の揺れるような筆づかい、花や動物の写実味ある描写に、江戸中期に渡来した沈南蘋(しんなんぴん)風がしめされる。筆者は鳥取藩御用絵師の土方稲嶺(1741? - 1807)と伝えられる。
清長,永寿板
江戸時代中期に美人画で人気を博した浮世絵師・鳥居清長(1752 - 1815)の作。「江都花十景」は江戸の花の名所を描いた10枚の揃物で、本図の他に飛鳥山や亀戸、御殿山などの図がある。
鳥文斎栄之
三幅対の掛け軸。中央に楊貴妃、左右に夏と冬の牡丹が描かれている。鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし、1756 - 1829)は、江戸勘定奉行の長男として生まれたが、家督を子に譲り浮世絵師になる。美人画を多く手掛け、十二頭身と表現されるすらりとしたスタイルの美人画様式を作り上げた。寛政後期から享和~文化(1801~18)にかけては、肉筆の美人風俗画を多く手がけた。
栄之, 未詳
鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし、1756 - 1829)は江戸勘定奉行の長男として生まれたが、家督を子に譲り浮世絵師になる。美人画を多く手掛け、十二頭身と表現されるすらりとしたスタイルの美人画様式を作り上げた。
葛飾北斎
江戸後期の浮世絵師で、「富嶽三十六景」などの傑作を残した葛飾北斎(1760 - 1849)の作。牡丹の花と蝶が繊細に描かれている。「富嶽三十六景」の出版と同じ頃に出版されたと考えられる「北斎花鳥画集」(全10図)の一枚。
豊国〈3〉、広重〈1〉,(見立),てりふり丁 ゑひすや 恵比須屋 庄七 ,〈13〉市村 羽左衛門、〈4〉市川 小団次
美人画の名手、歌川国貞(三代目豊国、1786 - 1865)の役者絵。大輪の牡丹を背景に描かれるのは、十三代目市村羽左衛門と四代目市川小団次。
国貞
歌川国貞(初代国貞、三代目豊国、1786 - 1865)は江戸時代の浮世絵師。
春潮, 村田屋治郎兵衛
勝川春潮(生没年不詳)は江戸時代の浮世絵師。
広重〈1〉,-, -
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。はじめ役者絵、ついで美人画に手をそめ、文政11年(1828)頃から風景画を主と、天保1年(1830)頃から花鳥図を描くようになったとされる。
広重〈1〉, 藤岡屋彦太郎
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。天保1年(1830)頃から花鳥図を描くようになったとされる。
広重〈2〉(立祥), 蔦屋吉蔵
歌川広重(1797 - 1858)は江戸時代の浮世絵師。天保1年(1830)頃から花鳥図を描くようになったとされる。
広重〈1〉,芝神 有田屋 有田屋 清右衛門
「東海道五十三次」など風景画シリーズで人気を博した歌川広重(1797 - 1858)の作。
広重〈1〉,有永堂 有田屋清右衛門
「東海道五十三次」など風景画シリーズで人気を博した歌川広重(1797 - 1858)の作。
国芳, 丸屋清次郎
歌川国芳(くによし、1798 - 1861)は江戸時代末期の浮世絵師。武者絵の国芳とよばれるが、その作域は広範にわたり、風景画、美人画、役者絵、花鳥画、戯画、版本の挿絵、肉筆画に及び、また風刺画などにも力量を発揮した。
岡本秋暉
岡本秋暉(しゅうき、1807 - 1862)は江戸時代後期から末期に活躍した絵師。
酒井鴬浦
江戸後期の僧・画家、酒井鴬浦(おうほ、1808 - 41)の作。酒井鴬浦は琳派の酒井抱一の養子となり画法を学んだ。抱一の没後、二世となり、雨華庵をついだ。
椿椿山,Tsubaki Chinzan
弘化5年(1848)。牡丹は別名「富貴花」ともいい、画題にある「富貴」は牡丹のことを指す。椿椿山(ちんざん、1801 - 54)の描いた牡丹の代表作といえば、《玉堂富貴・遊蝶・藻魚図》の三幅対があるが、本作は同作に引けをとらないほどの大ぶりな赤・黄・白の3輪の牡丹が、椿山特有の没骨描法で端正なまでに描かれている。上には2羽の尾長鳥が戯れており、その周囲には木蓮と海棠が無数に咲き薫り、華やかさを演出している。
狩野派,Kano School
江戸時代。鳳凰は古来中国で尊ばれた想像上の瑞鳥で、種々の動物の特徴が組み合わされた姿に表され、五色絢爛で青桐に宿り、竹の実をついばみ、永遠の時を生きるといわれる。こうした中国画の伝統的画題が日本に移入され、やがて日本独自の鳳凰図が吉祥の表現として定着するようになった。本図は雌雄一対の鳳凰が、左隻では竹と牡丹の組み合わせで、右隻では桐との組み合わせで描かれ、狩野派らしい太く力強い筆跡は、この屏風を勇壮で男性的なものにしている。
国貞〈2〉, 相ト
二代目歌川国貞(四代目歌川豊国、1823 - 80)は江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。
房種
団扇絵は、江戸時代の夏(4~6月)に売り出され、切り取って団扇に貼って使用された。歌川房種(ふさたね、生没年不詳)は江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。
芳虎
歌川芳虎(よしとら、生没年不詳)は江戸時代末期から明治時代中期にかけての浮世絵師。
周延
幕末~明治時代の浮世絵師で美人画を得意とした楊洲周延(ようしゅうちかのぶ、1838 - 1912)による、3枚組の美人画。
周延,印刷兼発行者 東京市日本橋区吉川町二番地 松木平吉()
楊洲周延(ようしゅうちかのぶ、1838 - 1912)は江戸時代末期から明治時代にかけての浮世絵師。
酒井道一,Sakai Doitsu
明治時代。背景に水の流れを敷き扇面をバランスよく配置した精錬な雰囲気は、琳派に脈打つ粋の精神を感じさせる。扇面図は江戸の庶民の間で文化が熟すにつれ、その需要が増したという。本図に見られるような扇面図屏風もそうした進歩発展の中で大いにもてはやされた。俵屋は扇の製作でも有名であったと見られ、以来、宗達をはじめ酒井抱一を中心とした江戸琳派の中でも一種の伝統的な図案として定着した。扇面の図案としてはタンポポ、梅、竹、百合、牡丹、松、桔梗、水仙といった四季を代表する植物に加え、富士を背景とした山水図が1点見られる。
錦泉,大阪市西区新町通四丁目七番地 清水常蔵 清水 常蔵
鈴木錦泉(きんせん、1867‐1945)は明治期から昭和期にかけての画家、挿絵や口絵で知られる。
横山大観 YOKOYAMA Taikan,Peony,color on silk
大正10年(1921)頃。横山大観は明治~昭和時代の日本画家。東京美術学校の第1回生として入学し、岡倉天心・橋本雅邦に師事。日本美術院の創立に参加、その中心的存在となった。天心没後は再興日本美術院を主宰。明治から昭和の日本画壇を先導し、日本画の近代化に貢献した。
徳力富吉郎,内田美術書肆版
古くから牡丹の名所として知られる、長谷寺(奈良県桜井市)の登廊(のぼりろう)を描く。徳力富吉郎は昭和~平成時代の版画家。土田麦僊(ばくせん)に日本画を学び、日本画では国画創作協会展で樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞。自画・自刻・自摺りによる創作木版画を手がけた。
工芸品に描かれた牡丹(日本・染織)
東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 これは、舞楽の衣裳です。舞楽とは、舞をともなう雅楽のことで、雅楽とは平安時代以降、宮廷、寺社などで演奏された音楽のことです。この裲襠(りょうとう)は、首を通して着る長いベストのようなもので、舞楽の中でも、動きの激しい「走舞(はしりまい)」に用いられます。胴の部分は、繻子(しゅす)というつやのある地に金の糸で、牡丹と唐草の模様が織り出された金襴(きんらん)が使われています。これは、当時の日本にはない、中国・元時代のもの。また、裏地には永和4年(1378年)に奉納されたと書かれており、制作年代がはっきりしているという点でも、大変貴重なものです。この裲襠の周りの房に注目してください。これは絹糸の房ですが、根元は精練されており、毛先は生糸(きいと)そのままのごわごわとツヤのない状態を残しています。こうして、けものの毛のようなワイルドな質感が表現されているのです。日本の衣服には、動物の毛を用いる習慣がなかったため、毛の質感を工夫してあらわした、元祖フェイクファーといえるでしょう。この荒々しい雰囲気、走舞にぴったりではないでしょうか。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
安土桃山時代(16世紀)。陣羽織は、戦場にある武士が鎧の上に着用する羽織。
アンリー夫人寄贈,Gift of Mrs. Henry,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。表裂:中国・清時代(18~19世紀)。中世には実用性の高かった陣羽織であるが、江戸時代には合戦がほとんどなくなり、装飾性の強い陣羽織が製作されるようになった。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。中国において「牡丹」は富貴の花とされ、美女に喩えられた。日本においても「顔佳花」と称され、美人をして「立てば芍薬、座れば牡丹」とたたえられた。能装束では若い女性役を演じる際に用いる唐織にデザインされ、宮廷女性など高貴な女性役に用いられる。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。「松皮菱」は、文字通り、松の樹皮を菱形にデザイン化した日本独特の模様です。常緑である「松」は永遠の若さの象徴として日本では吉祥模様とされたことから、中世以降、松皮菱文は着物のデザインに好まれました。牡丹文は富貴を意味し美女の象徴です。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。全体に紅色を抑えた落ち着いた色調は意図的なもので、能面「曲見(しゃくみ)」「深井(ふかい)」といった中年女性を演じる際に着用する「紅無(いろなし)」の唐織である。「紅無」でありながら、富貴花と称され、美人に例えられる牡丹花を華麗に織り出した装束である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。松皮菱とは大きな菱の上下に小さな菱を合わせた文様を指す。唐織は中国産の織物という意味であるが、実際には公家の装束や能装束に用いられた日本独特の縫取織(あいとりおり)の一種である。鳳凰は羽が5色で、桐に留まり、竹の実を食べ、甘い特別な水を飲むという伝説があった。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。唐織とは「中国の織物」のことだが、実際は室町時代後期より織られ始めた日本の織物で、中国風の織物、という意味である。江戸時代中期には金糸を織り込んだ「金唐織」が主流となった。若い女性役が着用する唐織には紅色が多く用いられ「紅(いろ)入(いり)」と称された。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。名品である。経糸(たていと)を紺・紅・浅葱・淡茶・紫・白の6色に染め分け、隣り合う縦縞の色を1色ずつずらしながら短冊形に色を織り出し、しかも全体としては段替わりの意匠となっている。上紋には名物裂(めいぶつぎれ)の模様である二重蔓牡丹唐草紋が織り出される。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。狂言肩衣は大胆な染め模様。名物裂(めいぶつぎれ)でおなじみの造土文を波で象(かたど)りその中に兎文を配する。波のはねる様子を白兎に喩えたいわゆる「波に兎」文であるが、江戸時代の諸工芸に特徴的なずんぐり型の兎が滑稽である。牡丹唐草の造土文と笹文が吉祥性を添える。これは、狂言で主人に仕える召使・太郎冠者(たろうかじゃ)や次郎冠者(じろうかじゃ)が着用する装束です。肩衣(かたぎぬ)は、袖がなく麻製の室町時代の武士の略装で、もともとは袖の長い上衣である直垂(ひたたれ)が簡略化したものです。背中に、兎と牡丹の花が描かれた窓のような形がふたつ、配置されています。その下には入り組んだ浜辺の曲線のような州浜(すはま)形で区切られた、鮮やかな青。そして赤と緑、反対色が組み合わされた笹の葉模様がアクセントになっています。かまぼこのような窓形の中に、兎と花を描いた「花兎」という模様は、もともと茶人が好んだ中国伝来の織物、名物裂(めいぶつぎれ)に多くみられるものでした。ここでは花が波にかわり、日本風にアレンジされているようです。絹を素材にした能装束に対して、狂言装束は麻でできています。また、模様を織り出す重厚な能装束に対し、大胆なモチーフを染め出した狂言装束は、軽快なデザインが多いのが特徴です。幽玄味にあふれ静やかな歌舞劇である能の合間に演じられた喜劇・狂言ならではの軽やかさと楽しさがよくあらわれています。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。主として女性役が着用し、舞う際の軽やかさを狙って絽や紗といった薄手の絹で作られます。江戸時代には織物技術の発達とともに、金糸で草花を織り出した華麗な伊達紋が特色となりました。扇は「末広がり」であることから、日本では吉祥模様とされました。 長絹(ちょうけん)と呼ばれる能装束のひとつです。もともとは公家の少年が着るものでした。能では、舞を舞う女性役、あるいは男性役の鎧のかわりとして用いられました。この長絹は、紫の地色に女性的で優美な模様を織り出しており、女性役のものでしょう。着用すると、たっぷりとした袖は舞いの動きにつれてひるがえり、舞台の上で効果的に映えたことでしょう。 薄く軽やかな地に、左右に大きく織り出されているのは、扇です。扇はその末広がりの形から、どんどん良くなる、だんだん栄えるといったイメージで、おめでたい模様とされてきました。扇の上には、牡丹の折り枝が載せられています。牡丹は「富貴花(ふうきか)」とも言われ、やはりおめでたいモチーフ。周りには菊の折り枝が散りばめられています。菊は日本人が愛した花の模様の一つですが、元々は中国の吉祥模様でした。中国では、菊は竹、梅、蘭と共に四君子(しくんし)と称され、徳のある人のシンボルとされました。また、菊に宿した露を飲むと、長生きするとも言われてきました。いずれもおめでたい意味をもつモチーフが、金やさまざまな色の糸で表されており、華やかな印象です。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。もともとは宮廷貴族が狩猟や旅などに出かける際の外出着の形状であるが、能においては神々や天皇・大臣といった身分の高い人物の役に用いられる。通常は金襴や錦の袷(あわせ)仕立であるが、本品は朝鮮半島から舶載されたと考えられる優美な薄物の顕紋紗(けんもんしゃ)の単仕立。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)直垂とは武士の略盛装である。垂領(たりくび)で広袖の上衣に、同じ裂(きれ)で調製された白腰の袴との上下セットである。一方、鎧直垂とは、鎧の下に着用する直垂のことで、通常の直垂よりも袖丈や袴の長さが短く、動きやすいように括り緒で袖口や袴裾を絞って着用する。
野口眞造氏寄贈,Gift of Mr. Noguchi Shinzo,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。本来は低木である牡丹の樹木を裾から肩にかけてうねる様に細く高く立木模様とした振袖。肩や袖には「萬」「歳」「楽」の文字が金糸で刺繍されている。漢詩を思わせる文字散らし模様や立木模様は、江戸時代における武家女性の服飾に好まれたデザインである。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。幕末にヨーロッパから輸入されて流行した、プルシアンブルーが鮮やかな振袖。松葉や紅葉を細かくあらわした風景模様は、江戸時代後期に様式化された武家女性の小袖のデザインである。腰から下の模様は、百花の王・牡丹(ぼたん)と百鳥の王・孔雀(くじゃく)の組み合わせとなっている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。牡丹、藤、菊といった四季折々の花の折枝を散らし、その間に唐扇を配した、武家女性の様式的なデザイン。型摺による染と刺繡で模様を表わす。上質な麻地である上布で仕立てた夏の衣料。振袖であるから、結婚前の若い女性が着用したであろう。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。露がおりた牡丹花に蝶が飛び交い、小さな瀧を幾重も重ねて落ちて行く流水の模様を藍で染めた腰模様の帷子。玉子色と葡萄色を牡丹花や葉に部分的に挿す。五所紋には藍で三つ葉葵紋が染められる。振袖であるから成人前の女性が着用した夏の料である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。江戸時代後期における武家女性の夏の正装に用いる帷子。麻の単仕立で、刺繡と描絵(かきえ)、型紙による摺匹田(すりびった)で模様をあらわす。青海波や雲文のような図形的な模様と、藤や牡丹の花束模様とを交互に配する様式化されたデザインが、武家女性の正装の特徴である。
沖縄本島,Okinawa Main Island,東京国立博物館,Tokyo National Museum
第二尚氏時代(19世紀)。幅広の筒袖で、両脇に三角の襠(まち)がついた琉球衣装。尾長鳥(おながどり)に牡丹(ぼたん)唐草模様を紅型(びんがた)と呼ばれる大鎖模様の型染で表す。尾長鳥は王族の模様である。赤色の雲模様の内部には、糸絞(しぼ)りを思わせる模様が紅型で染められ、日本(本土)の模様の影響がうかがえる。
沖縄本島,Okinawa Main Island,東京国立博物館,Tokyo National Museum
第二尚氏時代(19世紀)。富貴や幸福を表す牡丹を鮮やかな赤で型染めした紅型。模様部分を残し、地を彫り落とす「白地型」(しらぢがた)とよばれる型紙を繰り返し並べて、模様を表現している。蕾や葉には、紫、緑、青が配されており、めりはりのきいた晴れやかな印象を与えている。
沖縄本島,Okinawa Main Island,東京国立博物館,Tokyo National Museum
第二尚氏時代(19世紀)。「藍型」とは、藍と墨の濃淡のみで模様を染めた紅型(びんがた)の技法の一種である。鳳凰と百花の王とされる牡丹の模様との組み合わせは、中国の影響を思わせる。中手(なかで)文様型を用いており、端袖(はたそで)には、日本の文様である松に枝垂桜文様をあらわした紅型を用いている。
野口眞造氏寄贈,Gift of Mr. Noguchi Shinzō,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。江戸時代前期の茶人・小堀遠州(こぼりえんしゅう)(1579~1647)が好んだ中国渡りの緞子(どんす)は「遠州緞子」と呼ばれ江戸時代の茶人に広く愛好された。その模様を刺繍と鹿(か)の子(こ)絞(しぼ)りで表わした粋な小袖。褄(つま)から裾(すそ)に沿うように模様を配するデザインは江戸時代後期に流行した。 小袖とは、袖口の開きが狭いという意味から来る名称で、今の着物の原型です。黒いつやのある絹地に、四角い枠をつなげた石畳模様を金糸で刺繍しています。まるで上からブロックが落ちてくるゲーム画面のような、不思議なデザインです。枠の中には、菊、椿、牡丹のような花々が、刺繍や鹿の子絞りで表わされています。「鹿の子絞り」では、粒つぶのつながりで線や形を表わします。ほんの少し布をつまんで糸でぐるぐる巻きに絞ってから染める技法です。 このデザインは、江戸時代前期の茶人、小堀遠州(こぼりえんしゅう)が好んだ、中国伝来の織物・いわゆる名物裂(めいぶつぎれ)と同じものです。遠州が好んだ名物裂は「遠州緞子(えんしゅうどんす)」と呼ばれ、当館にも所蔵されています。似たデザインの小袖を着た女性が描かれた浮世絵なども残っており、当時、名物裂の模様をモチーフにしたファッションが流行していたようです。粋でシックなこの小袖、どんな女性が着こなしていたのでしょうか。想像がふくらみます。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。「百花の王」と呼ばれ富貴の象徴である牡丹の折枝と、その露を飲めば長生きするといわれた菊の折枝を向かい合わせにし、それぞれに華やかな軍配を取り合わせた模様。武家としての気概も込めたデザインである。技法や模様は武家女性の服飾に共通する。
アンリー夫人寄贈,Gift of Mrs. Henry,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。腰巻姿に使われる提帯は主として錦で作られ帯の幅は通常より狭く8~10㎝あまりである。その両端に腕の太さくらいの芯が入るため、背中で結ぶと左右にピンと腕のようにのびる。そこに腰巻の両袖を通して腰に巻くため、まるで羽根を広げたような姿となる。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。付帯(つけおび)とも称する。腰巻を着用する際に腰に結ぶ細帯で、花鳥や吉祥模様を織り出した錦が用いられる。江戸時代後期には、結んだ両端に芯をいれて左右に伸ばし腰巻の両袖を通して、翼を広げたような独特の着装方法が武家女性の夏期の正装として定着した。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。提帯は「付帯(つけおび)」とも称し、武家女性が腰巻を着用する際に用いる錦(にしき)や刺繡(ししゅう)でできた細帯である。両端に腕の太さくらいの芯を入れ、後ろ腰で結ぶとまるで両腕を伸ばしたような形になる。そこへ腰巻の両袖を通し、羽を広げたように威儀を正すのである。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
東京国立博物館,Tokyo National Museum
東京国立博物館,Tokyo National Museum
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
福中幸三氏寄贈,東京国立博物館
京都国立博物館 Kyoto National Museum
工芸品に描かれた牡丹(日本・陶磁)
瀬戸,Seto ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 鎌倉時代(14世紀)。瀬戸窯は愛知県瀬戸市一帯に広がる大窯業地で、中世の製品を古瀬戸と称している。この広口壺の形態は、当時盛んに輸入されていた中国の龍泉窯(りゅうせんよう)青磁を写したもので、胴の牡丹唐草文もやはりこれに倣(なら)った。古瀬戸の最盛期となる十四世紀前半の作である。 土で形を作り、焼いて器にすることは、日本では縄文時代、およそ14,000年前から行われており、世界的に見ても長い歴史を有しています。低い温度で焼きあげた、柔らかく吸水性のある「陶器」を作る時代をへて、17世紀には、高い温度で焼きあげた、硬く吸水性のない「磁器」の製造が始まります。この間、陶磁器の材料や技術は、その時々で中国や朝鮮半島の影響を受けながら、着実な進化をとげてきました。 12世紀ころには、日本の各地に、陶器を専門に製造する地域が生まれていました。それらの地域は、陶器に適した良質な土があること、器を焼く窯(かま)を築くのに必要な斜面があること、窯で燃やす薪にする樹木が豊富なこと、製品を流通させるのに適した港や道などのルートが整っていることなど、さまざまな条件にかなったところでした。現在の愛知県瀬戸市一帯も、そうした地域の一つで、13世紀半ばころ窯が開かれました。瀬戸窯(せとよう)は、当時輸入されていた中国陶器を手本として器を作ることから始まります。特に中国から喫茶の風習とともにもたらされた茶碗や茶壺などを手本として器を作ることにより、技術はおおきな進歩を遂げました。 この壺は、全盛期の瀬戸窯が作り上げた代表作の一つといわれています。粘土紐(ねんどひも)を巻き上げて形を作り、胴には蓮華唐草の文様を彫り表し、全体に黄緑色(きみどりいろ)の釉薬(うわぐすり)を施しています。手本とされたのは、美しい青磁製品を製造したことで有名な、中国の龍泉窯(りゅうせんよう)で焼かれた、牡丹唐草文様の青磁の壺と考えられます。しかし中国青磁の、端正で硬質な印象とは対照的に、やや歪(ゆが)みのある器の輪郭や、大きくのびやかな牡丹唐草の彫り、濃淡のある釉薬など、開放的でおおらかな気分にあふれています。
伊万里(柿右衛門様式),Imari ware, Kakiemon style,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 江戸時代(17世紀)。やや青みを帯びた白色の磁製の器に、澄んだ赤・緑・黄・群青・黒のあざやかな色で、岩に羽根をやすめる2羽の鳥と、大輪の花をつける菊、牡丹の図様を描く。この鉢はもともとは輸出用に作られたとみられ、蓋をともなった類品がヨーロッパ各地に残る。
仁清、「仁清」印,Studio of Ninsei,東京国立博物館,Tokyo National Museum
【重要文化財】 江戸時代(17世紀)。側面に窓枠のような区画を4つ設け、牡丹の花や雲を描いている。
古九谷様式,Ko-kutani Style
江戸時代(17世紀)。牡丹に着彩された紺と青に、黄彩の2種の花小紋が対比され、緑の木目状の水文の縁がさらに効果を高めている。
伊万里,Imari ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。伊万里の色絵の中で、初期色絵から柿右衛門様式の転換期に位置付けられる作品。胴の三方には色絵によって獅子牡丹図、芭蕉図、山水図を描いている。当館蔵の速水御舟(はやみぎょしゅう)の代表作「京の舞妓」で舞妓の傍らに描かれているのが、まさしくこの壺である。
伊万里(柿右衛門様式),Imari ware, Kakiemon style,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。乳白色のいわゆる濁手(にごしで)の素地(きじ)の典型的な柿右衛門(かきえもん)様式の色絵磁器で、素地の白さ、色絵の艶やかさから最盛期の作品。中国渡来の窓絵の構図法をここでは珍しく丸皿に取り込んで、見込中央に双鳳を配し、周囲の四方の窓には松・竹・梅と牡丹を描いている。
伊万里,Imari ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)。造形は中国景徳鎮(けいとくちん)の作品を祖形に持ち、意匠も中国的な牡丹を主役とする。それでいて描かれた図柄は景徳鎮の作品をそのままではなく、日本的な意匠を配し、全体に和様の趣をたたえる。その濃厚な絵具から初期の柿右衛門様式と知ることのできる佳作である。
古伊万里様式,Ko-imari Style
江戸時代中期(18世紀)。素地に直接絵具で文様を描く下絵付と、その上から釉薬をかけて一度焼き上げた器に、さらに上絵具で図様を描き、再度窯に入れて焼き付ける手間をかけた染錦手の技法を用いた、金彩を加えた豪華な色絵伊万里の大壺。絵付は器面の全体に施されて、伊万里独特のきらびやかな作品である。胴部にはつややかな牡丹とともに、江戸前期の元禄年間(1688 - 1704)頃に婦女子たちの間で流行した島田髷の女性と下げ髪の愛らしい娘が、丁寧に描かれている。
鍋島,Nabeshima ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。鍋島藩が将軍家への献上品や大名への贈答品などを焼くために置いた藩窯で焼かれた色絵磁器。細密な青海波(せいかいは)文は、あらかじめ墨で線描きしておき、そのうえから濃(だ)み筆で塗りつぶし、軽く焼くことによって墨を飛ばす墨はじきの技法であらわされている。
鍋島,Nabeshima ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(18世紀)。鍋島(なべしま)焼は櫛葉状の模様で飾られた高い高台を持つ木盃(もくはい)形の皿が有名だが、この皿のように高台のかわりに三脚が付けられるものもある。通常の染付生地に青磁釉を掛けたもので、轆轤(ろくろ)成形の後の型打ちによって牡丹の意匠を浮かび上がらせている。
沖縄本島 壺屋焼,Okinawa Main Island; Tsuboya ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
第二尚氏時代(18世紀末~19世紀)。沖縄では皿のことを「セージャラ」「ケーウチ」「スールー」などというが、その呼び分けについては明瞭ではない。
伊万里,Imari ware,平野耕輔氏寄贈,Gift of Dr. Hirano Kosuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。型に当てて成形し、扇面と牡丹をレリーフ状に表現する技巧がこらされている。扇面には城郭と山水が描かれ、牡丹は地に濃(だみ)染(ぞ)めを施して白抜きであらわされている。底裏には中国清時代の年号である乾隆から一字とった「乾」銘が染付(そめつけ)で記されている。
梶佐太郎作,By Kaji Satarō (1859–1923),シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局寄贈,Gift of Japan Delegate Office for World's Columbian Exposition, Chicago,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治25年(1892)。梶佐太郎(かじさたろう)は、近代七宝の祖である梶常吉(かじつねきち)の直系の子孫(孫もしくは次男)で、尾張(愛知)七宝の名工。この作品は、明治26年(1893)のシカゴ・コロンブス博覧会に際してつくられたもので、本来は一対であり、同形のものが京都国立博物館に所蔵されている。
古伊万里様式,Ko-imari Style
江戸時代前期(17世紀)
伊万里,平野耕輔氏寄贈,東京国立博物館
江戸時代(18~19世紀)
伊万里,平野耕輔氏寄贈,東京国立博物館
天明年間(1781~89)
井田吉六作,東京国立博物館
江戸時代(19世紀)
工芸品に描かれた牡丹(日本・漆工/金工/その他)
奈良国立博物館,Nara National Museum
【重要文化財】 南北朝時代(14世紀)。岡山県の弘法寺より伝来した木製彩色透彫りの華鬘。透彫りの文様は一面を菊花、他面を牡丹とする。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
【重要文化財】 南北朝期。把は鍍銀磨地の板金で包み、そこに金銅枝牡丹を透彫りにした筒金をはめている。金具のうち鐺(こじり)は魚子地(ななこじ)に牡丹文を高彫りであらわして鍍金を施している。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
鎌倉時代(13世紀)。洲浜に咲きほこる大輪の牡丹を鏡背面いっぱいに表し、その上方に蝶、下に2羽の尾長鳥を配する。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
南北朝時代(14世紀)。図柄は金の研出(とぎだし)蒔絵だけで描かれており、輪郭や細部の表現には描割(かきわり)が駆使されている。また粉(ふん)の蒔き方に疎密をつけ、蒔暈(まきぼか)しの手法を用いるなど、色調に変化をもたらす工夫が凝らされている。獅子と牡丹の組み合わせは鎌倉時代から見られ、室町時代にはおおいに流行した。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代(16世紀)。表面は、素地に獅子牡丹の文様を彫り込み、朱漆を塗って仕上げている。いわゆる鎌倉彫による作品である。獅子と牡丹の組み合わせは、室町時代大いに流行したもの。特に鎌倉彫の作品には、このように獅子に比べて牡丹を大きく扱う例がよく見られる。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>寛文4年(1664)、鷹司教平【たかつかさのりひら】の女【むすめ】従姫が、当時館林藩主であった徳川綱吉のもとに嫁いだ際に調えられた駕籠。金の高蒔絵で竹を描いて両家の家紋を散らし、要所に金銅製の金具を打ち、内面には源氏絵を描いています。重厚かつ華麗な装飾は、その身分と格式を示しています。<br /></p>
順姫所用,Used by Mune Hime (Princess Mune)
江戸時代(18世紀)。宇和島伊達家の家紋である「竹に雀紋」と「竪三引両紋」が描かれた乗物。駕籠の中でも引き戸が付いている高級なものを乗物と呼ぶ。内装部分には、金地に風景と草花が極彩色で丁寧に描かれている。本作は仙台藩第7代藩主伊達重村の娘順姫が伊予宇和島藩第6代藩主伊達村壽に嫁いだ際に用いられた品と考えられている。大名家にふさわしい豪華な蒔絵、華やかな花鳥画が特徴的である。同種の乗物はわずかしか現存しておらず、文化的にも高い価値がある。
天璋院篤姫の婚礼調度,Marriage Furniture for Tenshoin Atsuhime
天璋院篤姫の婚礼調度の一部で、陶磁器製の茶碗をのせる台、および蓋である。篤姫の婚礼調度品はこれまで国内外で4件しか確認されていない希少なもので、東京富士美術館のほかアメリカのスミソニアン協会、徳川記念財団、大阪青山大学短期大学が所蔵する。薩摩に生まれた篤姫は、安政3年(1856)に右大臣近衛忠煕の養女となり、その年の11月に第13代将軍徳川家定の正室となった。近衛家の抱き牡丹紋、徳川家の三葉葵紋を配し、二葉葵唐草の意匠が施されている。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
江戸時代。伏籠は、衣服に香を薫きしめるための調度である。中に阿古陀形の香炉を置くのが一般的で、香炉で薫いた香りを、籠の上に被せた着物に巡らせる。髪や着物に香を薫きしめる習慣は、平安時代の貴族の生活には欠かせない身だしなみであった。伏籠はその後、雅びな生活を象徴する調度として、近世の大名婚礼調度にも採用された。本作品のような蝶番をつけた立方体の組み立て式は、近世以降の形である。本作品は、詰梨地に金銀の薄肉高蒔絵の技法により、牡丹唐草文を表し、菊花紋、桐紋、竹輪に九枚笹に対い雀紋を散らしている。蝶番や枠の四方の飾り金具にも同じ文様が施され、華やかな仕上りを見せている。金網は銀製。なお、黒塗りの枠と飾り金具のいくつかは後の補修である。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
元禄2年(1689)。燭台は香案の左右に配される。表面には金銀の象嵌で、雷文繋や牡丹唐草文を表わしている。蒔絵や象嵌などの工芸産業を奨励した加賀藩5代藩主・前田綱紀が元禄2年に献納したもので、象嵌文様の精緻さが際だっている。綱紀は同時に象嵌の爵も納めた。
底裏金蒔銘「安親作 古満休伯製」,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。金高蒔絵、据文。底裏金蒔銘「安親作 古満休伯製」。
底裏金蒔銘「稲川作 仲宥(朱漆描壺印)」,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)。金・銀研出蒔絵。底裏の金蒔銘に「稲川作 仲宥」と記す。
玉楮象谷作,By Tamakaji Zokoku,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治14年(1881)頃。玉楮象谷は、江戸時代後期~明治時代の漆工。讚岐国(香川県)生まれ。父の鞘塗師・藤川理右衛門から漆塗りと彫刻の技を学ぶ。のちに中国や東南アジアの漆芸技術の研究に励み、天保1年(1830)に高松藩主松平家のお抱えとなった。「象谷塗」「讃岐彫」とよばれた作品は、藩を代表する漆芸品として将軍や大名への進物に利用され、今日の香川漆器の源流となった。
川之辺一朝作,By Kawanobe Itchō (1830–1910),シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局,Gift of Japan Delegate Office for World's Columbian Exposition, Chicago,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明治25年(1892)。川之辺一朝(かわのべいっちょう)は、浅草に生まれ、幕末から明治にかけて活躍した蒔絵師。幕末期には将軍家の婚礼調度制作に携わり、維新後は、内外の博覧会に出品し、受賞を重ねた。明治期漆芸界における重鎮の一人であり、明治29年(1896)帝室技芸員に任ぜられている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
室町時代(15世紀)
玉木収蔵氏寄贈,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(17世紀)
Circular Incense Container, peony Design, red lacquer on carred molding,lacquer on wood,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
江戸時代(17世紀)
江戸~明治時代(19世紀)
Saddle, Paulownia Motif, Pattern of Arabesque with Peony, Mother-of-pearl Inlay on Black Lacquer,lacquer on wood,木村定三コレクション / Kimura Teizo Collection
江戸時代(17世紀-18世紀)
東京国立博物館
加納夏雄,By Kanō Natsuo (1828–98),クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸~明治時代(19世紀)
底裏線刻銘「道笑斎」,Inscribed Dōshōsai,クインシー・A.ショー氏寄贈,Gift of Mr. Quincy A. Shaw,東京国立博物館,Tokyo National Museum
江戸時代(19世紀)
富田幸七,Tomita Koshichi
明治時代(19-20世紀)
絵画・工芸品に描かれた牡丹(海外)
中国・磁州窯,Cizhou ware, China,横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
北宋時代(10~11世紀)。灰色の胎に白化粧を施し、大きな牡丹文を浮彫り風にのびやかにあらわしています。北宋期の磁州窯の優品の一つ。このような小ぶりの水注は金銀器を祖形とし、華北の青磁や白磁にもみられます。また、類例が11世紀前半に位置づけられる遼の古墓から出土しています。
中国・缸瓦窯,Gangwa ware, China,広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
遼時代(11世紀)。遼の三彩。肌色の柔らかい土に型押しで牡丹文をあらわし、そこに褐色と緑色の釉を塗り分けている。
磁州窯系,A Type of Ci-zhou Ware
北宋(11-12世紀)。白化粧を施し、見込みには、線刻で大きな牡丹文を表し、余白は櫛描きで埋める。周りには、蔓唐草らしき文様がまわり、透明釉を掛けて焼成する。白化粧を施し、まだ乾かぬうちに素早く先の尖った竹や木で文様を線刻する技法は、磁州窯でよく知られた装飾技法の一つである。当初は、線刻のみを用いたが、後に櫛状の工具を加えた技法が現れた。余白を櫛描きで埋めることで、主文様を際立たせる効果を生んでいる。見込み中央には、5箇所の目跡が残る。
磁州窯,Ci-zhou Ware
北宋(11-12世紀)。全面に塗った白化粧の上に鉄釉を掛け、6箇所に線刻で上向きの大振りな牡丹唐草文を配し、肩部と裾部にはそれぞれ花弁文を線刻する。余白部分は鉄釉を掻き落とし、白地に黒の牡丹文を表す。その後、鉄釉を掻き落とした部分にさらに白釉を補っている。白地黒掻落の技法は、磁州窯を代表する装飾技法であり、白と黒の対比が明確で美しく、技術力の高さを窺うことのできる作品である。
磁州窯系,A Type of Ci-zhou Ware
金(12世紀)。白地黒掻落の白と黒の視覚効果をより簡単に可能としたのが、金時代に登場する白地鉄絵の技法である。この作品は、白化粧の後、鉄絵で2面に牡丹折枝文を描き、花弁には櫛描きを、花の輪郭と葉脈には線刻を加えている。文様の細部を表現するために、鉄絵の上に線刻を施すことによって、より全体が引き立ち、軽快な仕上がりとなっている。梅瓶の下半分を切り落としたような形のこの瓶は、「太白尊(たいはくそん)」や「吐魯瓶(とろびん)」などとも呼称される。
中国・磁州窯,Cizhou ware, China,横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
金時代・泰和1年(1201)。白土を塗った上に透明釉をかけて焼き、さらに釉上に赤、緑、黄の上絵具で文様をあらわした五彩のやきもので、一般に「宋赤絵」と呼ばれています。高台の周囲に墨書で「泰和元年二月十一日記」と記されており、金・泰和1年もしくはその少し前につくられた碗であることがわかります。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
朝鮮(高麗)。同図様の牡丹唐草を五単位めぐらす。全く同じ文様で八花形の鏡が多数知られ、中には「西京僧精朔造」の鋳出銘や女真文字の作者名を線刻したものがあって、中国東北部の王朝、金で製作されたことが判る。ただ同型鏡は朝鮮半島にも多く分布するので、本品も含め個々の製作地を金・高麗のいずれとするかは判断が難しい。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
元時代(13~14世紀)。見込みいっぱいに牡丹の花枝と一対の尾長鳥を、堆黒で表現している。牡丹の花びらや葉が翻るさまを立体的かつ精緻に彫り表わしており、元時代の彫漆の特徴を示している。このような彫漆の盆は日本に盛んに舶載されたとみられる。
横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
元時代(13~14世紀)。薄茶色の陶胎に黒釉を掛けて、彫り文様と黒釉を搔き落とす手法でおおらかな牡丹文をあらわしている。宋から金、元時代にかけて、つやのある黒釉陶が隆盛するが、本作品もそうした流れのなか、磁州窯に連なる華北の窯において焼かれたものと考えられる。
景徳鎮窯,Jing-de-zhen Ware
明・洪武期(14世紀)。頸部が太くかつ短く、胴部下方の張りも強い玉壺春タイプの瓶。釉裏紅は、素地に銅を呈色剤とする顔料で文様を施文し、その上から透明釉を掛けて還元焔焼成し、文様を紅色に発色させた釉下彩。この作品は、不安定な銅の発色が紅色に美しく仕上がっている。口頸部に蕉葉文、雷帯、唐草文が配され、胴部に牡丹唐草文、裾部にラマ式蓮弁文が描かれ、高台に唐草文が配されている。頸上部は後補。
磁州窯,Ci-zhou Ware
明前期(14世紀)。白化粧を施した後、鉄絵で文様を3段に描いている。上段には菊唐草文を、中段には牡丹唐草文を施し、下段には唐草文を回す。透明釉を掛けて焼成した後、さらに翡翠釉を施し、青く澄んだ美しい器に仕上げている。翡翠釉は、中国でトルコ青釉を指す語で、孔雀釉ともいう。この釉は一種の低火度の釉で、西アジアで早くから発達した釉薬である。中国でこれが現れるのは、元時代のこととされ、モンゴルの西方進出によって、中国に伝わったものとされる。
広田松繁氏寄贈,Gift of Mr. Hirota Matsushige,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代(15世紀)。牡丹、椿などの四季の花が、的確な彫法で器面いっぱいにあらわされており、明時代前期の彫漆の技術水準をよく示している。このような堆朱の天目台は、15世紀前半にはすでに日本に数多く伝えられ、寺院や書院で用いられていた。
「大明宣徳年製」銘,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代・宣徳年間(1426~435) 。器体に厚く漆を塗って文様を彫り、そこへ別の色の漆を塗り込める填漆という技法によって、蓋面には松竹梅、側面には四季の花が表わされています。寒い冬に耐えて花を咲かせ、葉を繁らせる松竹梅は、歳寒三友といい、その高潔な様子が文人に好まれました。 漆の樹液を用いる工芸を漆工といいます。漆工はアジア各地で製作されましたが、製作地によって技法やデザインに特徴が認められます。中国の漆工の技法のひとつであるは、という技法があります。填漆とは、漆を塗り重ねて、その漆の層に文様を彫り、そこに別の色を充填(じゅうてん)する技法です。 この作品は、丸い形をした小箱の表面に朱漆を塗り、填漆によって装飾が施されています。蓋(ふた)の表には松・竹・梅の文様が、側面には牡丹の文様が表わされています。松・竹・梅の、いわゆる松竹梅は、雪が降り積もるような厳しい寒さのなかでも、葉っぱを青々と繁(しげ)らせ、花を咲かせます。そのような松竹梅の姿は、苦しい状況にあっても志(こころざし)を曲げない態度に見立てられて、中国の教養人のあいだで愛されたモチーフでした。この作品では、文様の輪郭を黄色い漆で縁取り、その内側に赤・緑・茶色などの色漆を充填して、華やかな文様を表現しています。梅の花のまわりには、蝶(ちょう)が飛んでいます。良く見ていただきたいのは、文様の背景に小さな粒々が表わされていますが、これらの粒の一つ一つにも黒い漆が埋められていることです。何とも、大変な仕事です。ところどころ、粒が無くなってしまい、穴が開いたままになっている部分があるのですが、見つけられるでしょうか?
東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代(15世紀)。編繍とは、模様の輪郭を金糸を芯にしたボタンスティッチでかがり、内部を上段から下段へループ状に、針で編みこんでいく特殊な刺繍技法。元代に始められ明代(1368-1644)に高度に発達したが、日本にはこの技法は伝わっていない。
飯田太一氏寄贈,Gift of Mr. Iida Taichi,東京国立博物館,Tokyo National Museum
ベトナムでは、15世紀から16世紀にかけて、輸出向けの青花磁器が量産された。この大皿は、細い線で陰影が施された牡丹の表現、たおやかな描線で切れ切れにあらわされた唐草文などに、ベトナム青花の特色がよくあらわれている。
東京国立博物館,Tokyo National Museum
ベトナム(15~16世紀)。染付で描かれた牡丹は見事、たわわに咲いて生命力を感じさせる。
中国・景徳鎮窯「大明万暦年製」銘,Jingdezhen ware, China,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代・万暦年間(1573~1620)に景徳鎮官窯で焼かれた五彩。下絵付けの青花は用いず、緑、赤、黄で龍と牡丹の文様を全面に配した尊形の花入。繁縟なまでに器面を覆う文様配置がこの時期の特徴だが、本作品の場合、黒の輪郭が全体を引き締め、落ち着いた典雅な雰囲気が漂っている。
中国・漳州窯,Zhangzhou ware, China,横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
明時代(17世紀)。大皿や鉢が多い呉州赤絵(ごすあかえ)には数少ない壺。まるで打ち上げ花火のように大胆にデフォルメされた牡丹の図が印象的。側面には対照的に涼やかな蓮花文が描かれている。呉州赤絵特有の濃厚な色彩、自由奔放な絵付けの魅力がよくあらわれた優品。
山本春子氏寄贈,Gift of Mrs. Yamamoto Haruko,東京国立博物館,Tokyo National Museum
朝鮮(17世紀)。毛利家伝来の重要文化財 螺鈿経箱とほぼ同寸の箱。素地がかなり厚手である点や、蓋の天面と身の側面に配された牡丹唐草や丸文など、螺鈿が大ぶりである点が際立っている。また、文様部分を囲むように配された真鍮の撚り線も太くざっくりとしている。
中国・景徳鎮窯,Jingdezhen ware, China,横河民輔氏寄贈,Gift of Dr. Yokogawa Tamisuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
清時代(18世紀)。大ぶりの牡丹の陽刻文と明代龍泉窯青磁を思わせる翠緑色の釉が印象的。清朝では歴代の青磁名窯の再現が行なわれた。底に青花で乾隆年間に王族級の貴人が作らせたことを示す堂銘「旭華堂」が記されている。横河による6回目(昭和15年3月)の寄贈品。
王岡筆,By Wang Gang (dates unknown),東京国立博物館,Tokyo National Museum
清時代(18世紀)。王岡(おうこう、字南石、号旅雲山人)、雲間(うんげん、上海)の人。花卉草虫の写生を得意としたと伝える。長大な画面に、華麗な色彩によって大輪の牡丹や百合、生き生きとした燕やカワセミなどが、ダイナミックに描かれていく。江戸時代の著名な書家・市河米庵(べいあん、1779 - 1858)の旧蔵品。
張莘筆,By Zhang Shen (1744-1817-?),林宗毅氏寄贈,Gift of Dr. Hayashi Munetake,東京国立博物館,Tokyo National Museum
清時代(18世紀)。張莘(字・秋穀)は、仁和(浙江省)の人。揚州八怪より一世代前の惲寿平(1633~90)に倣った花卉図を得意とした。濃厚な彩色には揚州八怪とは異なる趣がある。江戸時代の長崎にわたり、日本の画家に影響を与えたことでも知られている。
南啓宇筆,By Nam Gyeu (1811–88),小倉コレクション保存会寄贈,Gift of the Ogura Foundation,東京国立博物館,Tokyo National Museum
朝鮮(19世紀)。牡丹は富貴の花として知られる。猫と蝶はそれぞれ中国語の発音が「耄(もう、70歳)」「耋(てつ、80歳)」に共通し、長寿の象徴として親しまれている。
趙之謙筆,By Zhao Zhiqian (1829-84),高嶋泰二氏寄贈,Gift of Mr. Takashima Taiji,東京国立博物館,Tokyo National Museum
清時代(19世紀)。寿石に依り立ちながら、枝もたわわに咲き誇る牡丹を、艶やかに描いている。趙之謙は明時代の石涛(せきとう)に私淑し、輪郭線を描かない没骨の技法や、みずみずしい溌墨やたらし込みに、独特の境地を開いた。国色天香と称される牡丹は、富貴を象徴している。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
京都国立博物館 Kyoto National Museum
伊遵模,東京国立博物館
伊遵模。文政13年(1830)
春香,東京国立博物館
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550種1万株の牡丹や250種5万株のシャクヤクをはじめとした花々を観賞できる世界最大級の牡丹庭園。
上野公園内。約250種3,200株の牡丹が咲く。4月中旬からは「春のぼたん祭り」、1月からは「冬のぼた祭り」を開催。
毎年4月中旬から5月上旬にかけて、3,000坪の敷地内に約150種2,000株の色とりどりの牡丹が咲く。
約3500㎡の園内に1300余株の牡丹が咲く。毎年4月中旬頃より、つつじや藤の花と合わせて牡丹を楽しむことができる。
毎年4月中旬から5月上旬にかけて、境内の全山に150種7,000株が咲く。また、12月下旬から1月下旬には、藁の霜囲いをした冬の牡丹と寒牡丹が楽しめる。
さまざまな種類の牡丹を写真入りで紹介する。原種と、これまで開発・作出された既品種に大別され、既品種は日本系、アメリカ系、フランス系、中国系で分類されている。
植物、花の基本情報、育て方などを「趣味の園芸」講師陣が執筆する。園芸相談Q&Aや特集コーナーがある。
参考文献
- 「ボタン」の項
- 「ボタン」の項
- 日立デジタル平凡社,平凡社
- 「牡丹」の項
- 責任表示
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2024/03/01