
コイ科の淡水魚。ユーラシア大陸温帯部に広く分布し、北米、オーストラリアなどでは移殖されたものが野生化している。コイ属の化石がドイツと中国から出土するので、この両地域を原産地とする意見もあるが、現生種との関係から中国原産とする説が有力となっている。日本では野生のノゴイ(野鯉)、養殖品種のヤマトゴイ(大和鯉)を総称してマゴイ(真鯉)という。体長は80cmになるが、ふつう40cmほど。フナに似るが4本の口ひげがある。野生種(マゴイ)は体高が小さく体幅が大きく、背は緑褐色で体側は黄金色を帯びる。ヤマトゴイは体高が大きいが体幅は小さい。マゴイは池や沼、流れのゆるやかな川の中・下流などに棲み、雑食性。コイは淡水魚中、最も重要な食用魚の一つで、養殖も盛ん。鯉こく、あらいなどとし、中国料理に喜ばれる。
体色が黒以外のものをイロゴイ(色鯉)といい、赤色のものをヒゴイ(緋鯉)という。これらから鑑賞用に選抜育種したのがニシキゴイ(錦鯉)で、ハナゴイなどともいわれ、新潟県山古志地方で発達した。おもな品種に赤白・大正三色・昭和三色・浅黄系などがある。
中国では淡水魚の王者として珍重され、吉祥図や装身具にも用いられる。鯉は龍が身を変じたものと信じられ、鯉が黄河を遡って竜門を超えると龍となるという「登竜門」の説も生じた。『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』にはなますに料理された鯉が、暴風雨に乗じて胡蝶となって飛び去ったという話が載っている。日本でも古くから最も貴重な魚とされてきた。眼を塞いでおくと飛び跳ねないので、物おじしない生物として「俎(まないた)の鯉」という言葉も生まれた。勇気の象徴として5月の節句には「こいのぼり」が掲げられる。
『日本書記』に景行天皇が美濃で女性に求婚したが、彼女が恥じて隠れてしまったために鯉を放って、彼女が見に来るのを待ったとの記事があり、『徒然草』には鯉の吸物についての言及がある。
関連するひと・もの・こと
フナから飼育観賞用に品種改良された魚。絵画や文学作品にも登場する。
淡水や浅い海に住む魚で、古くから日本では地震を起こすと信じられていた。
クジラ目に属する海産の大形の哺乳動物。古くは魚類とみなされた
魚肥としても利用されて江戸期の日本の農業を支え、明治期にはニシン御殿もできた
硬骨魚綱条鰭亜綱ウナギ目ウナギ科ウナギ属の魚で、日本全国に分布している。
本で知る
中村惕斎 編,山形屋
本草学者としても著名な、江戸前期の朱子学者の中村惕斎(1629-1702)初の刊行物『訓蒙図彙』の鯉の項目。本書は、全20巻を天文・地理等から始まる17部に分け、見開き1丁に4つの事物の絵を配して、その名称を漢字・平仮名と簡注を加えて類書に仕立てた。「訓蒙」は唐の李瀚『蒙求』の序から採り、付録を除く本編の見出しは梁の周興嗣『千字文』に倣う1字の重複も無い4字句で区切られるよう構成されたのが特徴で、刊行後、『○○訓蒙図彙』を標榜する同趣の書を生んだ。『訓蒙図彙』の絵は、寺島良安著『和漢三才図会』にも採られたほか、ケンペル(1651-1716)が、ヨーロッパで初めて日本を体系的に記した『日本誌』にも本書からの図が引かれるなど、影響は大きい。
平瀬徹斎 編,長谷川光信 画,塩屋卯兵衛[ほか]
『日本山海名物図会』の「淀鯉(よどこい)」の項。「鯉は河魚(かはうを)の第一上品、神農本草に鯉を魚の王とすといへり、山城国淀の産を名物とす、中にも淀ノ城の水車(みつくるま)のあたりに住(すむ)鯉一しほ賞翫する也」とある。『日本山海名物図会』は、日本各地の名産物を挿絵付きで解説する案内書。5巻5冊。宝暦4年(1754)初版刊。以後何度も版を重ねる。著者は平瀬徹斎、画は長谷川光信。産業技術の資料としても貴重。
神田玄泉 撰著
『日東魚譜』の「鯉」。『日東魚譜』は、江戸時代中期の医師,本草家神田玄泉(1670頃~1746)による、わが国初の魚介図譜。享保4年 (1719)に成立後、三度の改訂を経て四種類のテキストがあるが、掲出本は、元文6年 (1741)序の最終改訂本で、魚介類338品を図説する。各巻に「白河」「楽亭文庫」「桑名」の蔵書印がある、松平定信(白河楽翁)旧蔵本。
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯,写
『梅園魚品図正』の鯉。本書は通称『梅園魚譜』の巻1と巻2であり、別項となっている『梅園魚譜』が巻3に当たる。所収されているのは巻1が97品、巻2が67品、巻3が84品、計248品である。クジラ・イルカ類は転写だが、それ以外は実写が大半を占める。注記によると、綾瀬川・戸田川・不忍池・飛鳥山下・大森辺の海岸などで自ら釣った魚が少なくないし、魚屋で入手した例もある。著者の毛利梅園 (1798~1851)は、幕臣で、御書院番。名は元寿 (もとひさ) 、号梅園・写生斎・華魁舎ほか。『梅園百花画譜』 (梅園草木花譜) 17冊のほか、『梅園菌譜』『梅園魚譜』『梅園介譜』『梅園禽譜』など、実写中心の優れた画譜を数多く残した。その大半は国会図書館が自筆本を所蔵している。
毛利大江元寿梅園白石瑛<毛利梅園>//撰輯,写
毛利梅園の『梅園魚譜』に「赤鯉魚 通名ヒゴイ」。
〔奥倉辰行//著〕,写
江戸神田多町の八百屋、奥倉魚仙 (?~1859)による自筆図譜『水族四帖』の鯉。同書は、683品を描いた大著です。魚仙、名は辰行、通称甲賀屋長右衛門。国学者狩谷棭斎(えきさい)に画才を認められ、魚の絵を描くのに徹した。刊本『水族写真鯛部』のほか、大著『水族四帖』、 『魚仙水族写真』などが残る。
渓斎,甘泉堂
江戸後期の浮世絵師・渓斎英泉による作品。縦に2枚続で配され、急流な滝を上る鯉の躍動感が表現される。
広重(三代),大倉孫兵衛
三代歌川広重による浮世絵。寒中に川底の鯉を捕らえる鯉抱き捕漁を描いたもの。
戸島光阿弥 著,芸艸堂
戸島光阿弥(1882~1956)の筆による、漆絵で描いた鯉の図集。戸島光阿弥は、1906(明治39)年に洋画家の浅井忠(1856~1907)が設立した若手漆芸家による漆芸研究団体「京漆園」に参加。パリ万国博覧会への出品や皇室への献上など、明治から昭和初期にかけて蒔絵師として第一線で活躍した。
黒板勝美 編,岩波書店
『日本書紀』の景行天皇について書かれた「大足彦忍代別天皇」のなかで、鯉を池にはなったという記述がみられる。
芳年,松木平吉
月岡芳年の妖怪画の連作、『新形三十六怪選』の一図。鬼若丸とは幼少時の武蔵坊弁慶のことで、巨大な鯉を退治したエピソードが描かれている。
芳年
子英は中国周代の舒郷の人。川で魚を獲っていたが、ある時、赤い鯉を捉えた。その鯉を気に入り、池で飼っていたらたちまち大きくなり角や翼が生えた。鯉は「私は私は仙界よりあなたを迎えにやってきたのです」と言い、子英は鯉に乗って仙界に飛んで行った。
金井紫雲 編,芸艸堂
大正から昭和期にかけて活動した美術記者の金井紫雲(1887~1954)がまとめた、鯉を題材にした美術作品をまとめた画集。松村呉春の「桜花双鯉」などが掲載されている。
長野県立農事試験場/編,ナガノケンリツ ノウジ シケンジョウ,長野県立農事試験場
明治43年(1910)2月、長野縣立農事試驗場より臨時に報告された稲田養鯉に関する調査報告書。発行は同年3月とある。稲田養鯉とは、田植えをした田に鯉の稚魚を放し、米を作りながら養魚する技法。本書では、飼育の大要・養鯉試驗概要・稲田放鯉ノ得失調査のほか、特殊事項として、放鯉尾数試驗・肥料ノ種類ト鯉兒トノ關係試驗・除草ト養鯉トノ關係試驗・水ノ深浅試驗など、全7種類の報告を掲載。このうち、第七「除蟲ト養鯉トノ關係試驗」は、駆虫剤(石油)注入が稲田養鯉に与える影響を、注入区と無注入区の比較で報告。無注入区の方が優れた成績を示す旨の試験結果(稚魚の発育、養鯉・稲作の収支)を表記し、石油注入は養鯉・稲作上不利益としながら、害虫発生の程度によっては石油注入が利益を上げる場合もあるなど補足し、結論としている。ほか6種類の報告においても、試験の目的や方法を記し、結果・収支などの表を掲げ、導いた結論を報告している。
朝倉文夫 著,日本電建出版部
1948(昭和23)年に彫塑家・彫刻家として初の文化勲章を受章し、日本の彫塑界を代表する存在として活躍した朝倉文夫(1883~1964)による随筆集。「クロ」「ヒガミヤ」などと名付けた愛鯉に「池の中を無心に泳ぎ廻つてゐる鯉の一尾一尾にもそれぞれ異なつた癖がある。又それぞれ特異な性質がある。」(p.244)と温かいまなざしを注ぐ「鯉の七癖」を収録。
寺尾捨次郎, 能勢頼俊 著,金港堂
1899(明治32)年に刊行された「高等女學校の第一、二學年にて理科を教ふべき教科用書」(「例言」より引用)。動植物を中心とする多彩な項目について、挿絵を交えて丁寧に解説する。「こひ(鯉)」の項では、特徴や生態とともに「鯉の肉は其味美なるにより、卵より孵化せしめて、養育する處多し、調理方は『いきづくり』、味噌煮等を最も賞美す。」(p.23)と「鯉ノ調理方」も記される。
宮島幹之助 等著,成美堂[ほか]
明治から昭和初期にかけて活動した寄生虫学者の宮島幹之助(1872~1944)による動物学の教科書。多彩な動物や昆虫について、挿絵を交えて端的に解説する。「鯉」の項の冒頭には「淡水に普通なる鯉は、其形左右に扁たく、兩端は尖りて、水中を游ぐに適せり。」(p.51)と記される。
金井紫雲 著,芸艸堂
大正から昭和期にかけて活動した美術記者の金井紫雲(1887~1954)による「魚類を主とし若干の軟體動物、甲殻類、貝類の中で、藝術的交渉の深いもの五十八種に就き(中略)、その藝術的方面の考察を試み」(p.1「自序」より引用)た書。「鯉」の項では、鯉の登場する文献や伝説のほか、正岡子規の「夕立に打たるゝ鯉の頭かな」などの鯉にまつわる俳句も紹介されている。
木下謙次郎 著,啓成社
美食家として知られる政治家、木下謙次郎(1869~1947)の代表作。日本初の食を主題にした随筆で、食通の原典と評されてベストセラーとなった。鯉の項では、鯉料理の紹介だけにとどまらず、鯉の習性から漁法、養殖法までが緻密に記される。
東亜書房編輯局 編,東亜書房
1936(昭和11)年に刊行された雑文集。「鯉の料理」の項では、「鯉の料理方」をはじめ「鯉こく」「鯉のあらひ」「鯉の甘煮」の作り方を紹介。
一橋閣
1921(大正10)年に刊行された「家々の爲にもなり、人々の爲にもなり、實際の役に立つて、且つ爲になる、古今の妙法秘傳を蒐めて」(「序」より引用)編集した書。「鯉と鰌の秘法」の項では、「鯉を遠方に送る場合に、若し死なんとする時には、韮の汁をしぼりて口に注げば、忽ち生きるものである。」(p.144)などの鯉にまつわる秘法を紹介。
徳久三種 著,明文堂
1934(昭和9)年に刊行された鯉の養殖についての指南書。鯉の分布、種類、生態、習性から養殖方法まで、詳細かつ具体的に解説される。
横井曹一 著,三友社
1937(昭和12)年に刊行された、折り紙・画用紙細工や粘土、竹細工などによる玩具の作り方。色紙細工の「池の鯉」、画用紙を切って作る「緋鯉と眞鯉」の鯉の玩具2点の作り方を収録。
鯉を題材にした文芸作品
[村田屋次郎兵衛]
黒本。画作者無記、版元は本文の商標により村田屋。所蔵は当館のみ。題簽が発見されず本来の題名は未確定。扉の墨記は「こいのたへま/たこの鳴神/海川水魚の交 上下が」。川魚と海魚の異類騒動を「鳴神」ものに擬した作品で、掲出は、淀川の鯉が雲の絶間姫のように女の姿となり、鮹入道に酒を飲ませ酔い臥させ、お家芸の滝登りで巌に登り注連縄を切って落とす、という場面。
石井直三郎 著,東京出版社
大正から昭和初期の歌人、石井直三郎(1890~1936)による『徒然草』の解説書。「第百十八段 鯉のあつものくひたる日は」の冒頭「鯉のあつものくひたる日は、髪をそゝげずとなむ。」の新釈として、「鯉の羹を食べた日は髪の毛が亂れないといふことである。」と記される。
村井弦斎 著,実業之日本社
新聞小説や実用的読み物『食道楽』で人気を博した小説家・ジャーナリストの村井弦斎(1863~1927)による少女向けの図書。1月から12月までの各月の風物詩や季節から想起される出来事について、父親と娘の対話形式で綴られた歳時記となっている。「五月の巻」では、「鯉の鱗」「鯉の瀧のぼり」「瀧をのぼる魚」の鯉にまつわる3編を収録。
大井冷光 著,富山房
明治から大正にかけて活動した童話作家の大井冷光(1885~1921)による童話集。大きな鯉のぼりをお化けだと思って怖がる燕の兄妹の様子を温かいまなざしで描く「燕と鯉幟」を収録。
小川未明 著,日本童話協会出版部
「日本のアンデルセン」と評される小説家、童話作家の小川未明(1882~1961)による作品集。実の父と継母から鯉を釣ってくるよう命じられて苦悩する、殺生の嫌いな心優しい少年の前に現れた不思議な老人を巡る童話「月の中へ消えた鯉」を収録。
少年用図書刊行会 編,榊原文盛堂等
1911(明治44)年に刊行された、少年向けの手紙の例文集。「鯉を贈られしお禮」の項には、「伯父さん、大きな鯉を有りがたう。鯉の瀧のぼりといつて、鯉は目出たい魚です。私は今から勉強して、鯉の瀧を登るやうに、ズン〱出世したいと思ひます。」(p.12)という例文が掲載される。
室生犀星 著,春陽堂
『愛の詩集』『抒情小曲集』などの抒情詩で知られる詩人、作家の室生犀星(1889~1962)による短編小説集。加賀の城主に仕える川師が、城主の所望に応えて短い期日で多くの鯉を手に入れようと苦悩する姿を描く「鯉」を収録。
石川安次郎 (呑海) 著,庚寅新誌社
明治から大正にかけてジャーナリスト、政治家として活動した石川安次郎(1872~1925)の小噺集。「呑海」は筆名。先祖伝来の「鯉の瀧のぼり」の掛け軸が「鮒が素麺を喰ふ圖」(p.64)と評されてしまう「鯉の瀧のぼり」を収録。
岡本一平 著,先進社
マンガに軽妙な文章を加えた「漫画漫文」スタイルで人気を博した岡本一平(1886~1948)の漫画漫文集。伊香保を訪れた著者が「熱い湯の中を平然と緋鯉や眞鯉が泳いでる【原文ママ】ので一驚を吃した」(p.292)エピソードを記した「湯の中の緋鯉」を収録。
宮武外骨 著,文武堂書房
明治から昭和にかけてジャーナリスト、著作家として活動した宮武外骨(1867~1955)の「妙案警句集」(著者による「凡例」より引用)。「魚偏に里」と書く鯉という字の由来を解説する「鯉といふ字に就て」(p.160)を収録。
前田夕暮 著,アルス
若山牧水(1885~1928)とともに自然主義を代表する歌人と評され、口語自由律短歌にも取り組んだ前田夕暮(1883~1951)の散文作品集。著者が「一尺五寸程もある白い鯉」(p.113)を釣り上げたときの情景と喜びの心情を綴った「鯉」を収録。
人文会出版部
美文家と評される詩人・随筆家の大町桂月(1869~1925)による随筆集。1911(昭和44)年に発表された「池の鯉」には「われ魚の泳ぐを見ることを好む。魚の中にても殊に鯉を好む。」(p.213)と記される。
沢田総清, 竜沢良芳 編,健文社
1933(昭和8)年に刊行された『雨月物語』の解説書。病床にある僧侶、興義が鯉になった夢を見る不思議な逸話「夢應の鯉魚」(p.97)を収録。
もっと知りたい
楫取魚彦,Katori Nahiko
江戸中期の歌人、国学者として知られる楫取魚彦による作品。画域は広くなかったとされるが、鯉を得意としたという。
中島来章筆,By Nakajima Raishō (1796–1871),東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> 暑い季節、床の間に掛ければ涼しくなりそうな一幅だ。夏は「鯉の季節」といえようか。わずかな曲線と透明感のある藍色のみで水を表わし、そこに遊泳する鯉を本物らしく描いて数尾配するのは、応挙以来の円山派のお家芸。来章も、この描き方を引き継いでいる。<br /></p>
田中幸穂氏寄贈,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p> 彦根藩士藤居重啓の編んだ『湖中産物図証』よりの摸写図。藤居は、藩主の命を受けて琵琶湖及び余呉湖の調査にあたり、『湖中産物図証』を執筆した。 (2004/09/01_h16) <br /></p>
歌川広重,Utagawa Hiroshige
本郷台地から神田川に架かる水道橋越しに駿河台の町を見下ろしている。駿河台の名は、徳川家康とともに駿河(現在の静岡市)より移住した家臣が居を構えたことに由来する。端午の節句の大きな鯉のぼりが手前にくの字に曲がって翻っている。奥に広がる屋敷の方々で吹き流しや幟旗、魔除けの鍾馗の幟が見られるが、これらは武家の習わしで、鯉のぼりを上げるのは町人の文化であった。遠景には5月の澄み切った富士の姿が見える。
溪斎英泉,Keisai Eisen
鯉の滝登りが描かれた打掛をはおる花魁を描く。縦に長い柱絵判に描かれた迫力のある作品。
鯉が描かれた陶器
亀山,Kameyama ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>丸々とした二尾の鯉には堂々とした存在感がある。高台内隅に「亀山製」の銘が染付で記されている。亀山焼は現在の長崎市伊良林(いらばやし)に開かれ、天草石(あまくさいし)を用いた精美な染付磁器を文化11年(1814)から慶応元年(1865)の閉窯まで焼いた。<br /></p>
亀山,Kameyama ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>亀山焼に特徴的な、なめらかで美しい白磁の素地に鯉を彫りつけてあらわし、これに重なるように染付でもう1匹を描いています。やや灰色を帯びた染付の濃淡が鯉の表情を豊かにし、彫りと染付が生み出す独特の空気と相まって典雅な作に仕上がっています。<br /></p>
伊万里,Imari ware,東京国立博物館,Tokyo National Museum
<p>伊万里焼では、元禄年間(1688~1703)はじめに、染付、色絵に金彩を組み合わせた金襴手を作り始め、絢爛の中に気品をもった作品が生み出されました。この鉢では、見込みに鯉の背に乗って水中から現れる琴高仙人(中国宋時代の琴の名手)があらわされています。</p>
景徳鎮窯,Jing-de-zhen Ware
胴部は上方で張り、頸部が短く直立する広口の壺。頸部に唐草文、肩部に蕉葉文、胴部に魚藻文、裾部に蓮弁文が配されている。魚藻文は、青花で水生植物が描かれ、黄地に紅彩を塗り重ねた鯉はオレンジがかっている。青花は蓮や菱・浮草などは濃く、水藻は淡く、と巧みに使い分けられている。底裏には、ニ重圏線内に3字2行の青花銘。
京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
19世紀につくられた旭焼。旭焼は、ドイツ出身のお雇い外国人のワグネルが創始した窯業の技法。
G.ワグネル,京都国立博物館 Kyoto National Museum,Kyoto National Museum
伊万里,Imari ware,平野耕輔氏寄贈,Gift of Dr. Hirano Kōsuke,東京国立博物館,Tokyo National Museum
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新潟県長岡市・山古志は、錦鯉発祥の地と言われます。江戸時代後期、食用として飼われていた真鯉(まごい)の中に、色や模様のある鯉がまれに出たため、掛け合わせて錦鯉を生みだしました。大正3年、東京の博覧会に出品したことで山古志の錦鯉は全国に知られます。棚田に作られた池は日当たりがよく、色つやよい錦鯉を育てるのに最適でしたが、2004年の新潟県中越地震により、多くの池に深い亀裂が入り壊滅的な被害を受けました。この危機を、雪国の忍耐力でなんとか乗り越え、200年続いてきた錦鯉の歴史を今も守っています。<br><br>(この動画は、2015年に放送したものです。)
秋から冬に旬を迎える鯉料理。鯉の養殖が盛んな長野県佐久市は、12月、出荷作業に追われます。桜井地区では、地域の人が用水路や池で鯉を育て、大切な日に鯉料理がふるまわれます。<br><br>(この動画は、2012年に放送したものです。)
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| タイトル | 主催者 | 会場 | 開始 | 終了 |
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錦鯉発祥の地である小千谷市にある展示施設。庭園の池や水槽展示で錦鯉を見られるほか、資料展示も用意される。
国立研究開発法人水産研究・教育機構の旧組織水産庁水産資料館所蔵の資料をデジタル化し公開。「さかなつくし」(歌川広重画、大黒屋版、明治44(1911)年)を閲覧できる。
国立科学博物館が管理する標本・資料データベースの一つ。閲覧画面から淡水魚名を選択し検索。国内での分布情報を知ることができる。
神奈川県内の川や湖でみられる淡水魚の写真入り図鑑。分布・生態・形態など解説は多岐に渡る。
佐久養殖漁業協同組合によるサイト。
国立環境研究所・琵琶湖分室によるサイト。
参考文献
- 日立デジタル平凡社,平凡社
- 責任表示
- 二次利用について
ただし、画像は個々の権利表示による
- 最終更新日
- 2024/03/04