砂糖
南蛮菓子の普及によって需要の増大した砂糖は、長崎街道や北前船によって各地に行きわたった
代表的な甘味料。純粋なものは化学上はショ糖(蔗糖)と呼ばれる。原料作物はサトウキビとテンサイ。サトウキビからの製糖は紀元前に記録があるほど古いが、テンサイからの製糖は比較的新しく、1747年にプロイセン(現在のドイツ)の化学者 A. S. マルクグラーフが道をひらいた。
サトウキビを圧搾機で圧搾するか、またはテンサイを浸出釜で浸出させて得た液を、加熱・濃縮して結晶化させ、遠心分離機で結晶(粗糖)と糖蜜に分離する。このうち粗糖を溶解し、脱色など精製を行って結晶化させたものが精製糖で、これはその結晶の大きさにより、最も細かい車(くるま)糖(いわゆる白砂糖)、より大きなざらめ(双目)糖に大別される。他に加工糖として氷砂糖、角砂糖、粉砂糖などがある。砂糖は甘味料、調味料として食品工業上重要で、またその防腐効果を利用して砂糖漬、練羊羹(ねりようかん)などの製品もつくられる。疲労回復の効もあるが、過食は胃腸を害し、骨格の成長を阻害する。
日本に砂糖が伝えられたのは奈良時代である。鑑真(がんじん)による伝承説もあるが、確証はない。日本は、長い間外国から砂糖を輸入するのみだった。南蛮貿易によってもたらされた金平(こんぺい)糖、カステラ、ポーロ、カルメラなどの南蛮菓子の普及は、製造に砂糖をふんだんに使うため、砂糖需要の増加の一因となり、オランダ船や中国船が大量の砂糖を出島に持ち込んだ。出島で輸入された砂糖は、長崎街道を通って小倉に運ばれ、京都や大坂、さらには江戸へと運ばれた。また、北前船(きたまえぶね)の下り荷として、大坂から鉄や塩といっしょに砂糖も蝦夷(えぞ)地へ運ばれた。
砂糖を初めて国産化したのは14世紀末の琉球だが、国産が盛んになったのは、17世紀以降に薩摩藩が産糖支配に乗り出してから。薩摩藩は、琉球のほか、奄美、種子島、沖永良部島(おきのえらぶじま)、与論島も、自らの砂糖専売網に組みこんだ。廃藩置県後も鹿児島県は藩政時代同様の過酷な専売制を続けたため、各島に猛烈な自由売買請願運動が起った。18世紀後半以降は、薩摩藩以外でも、各地に製糖業が興った。これら諸国産の砂糖は「和製砂糖」、薩摩産の砂糖は、その形から「丸玉(まるだま)」または「たどん」と呼ばれた。
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国立国会図書館は、国会に属する唯一の国立の図書館です。国内外の資料・情報を広く収集・保存して、知識・文化の基盤となり、国会の活動を補佐するとともに、行政・司法及び国民に図書館サービスを提供しています。
国立科学博物館は、明治10年(1877)に創立された日本で最も歴史のある博物館の一つで、自然史・科学技術史に関する国立の唯一の総合科学博物館。生物標本から地質・理工・科学史など多岐にわたる資料を保存している。国立科学博物館の筑波実験植物園(つくば植物園)は茨城県つくば市にあり、サトウキビから砂糖を生成する体験学習を実施している。
千葉市美浜区にある工場では工場見学ができ、製糖過程を学ぶことができる。
ジャパンサーチの外で調べる
独立行政法人農畜産業振興機構のサイトの中で、「砂糖」についての豆知識が紹介されている。「砂糖」のページでは、現在の砂糖についての情報や統計資料などを見ることができる。
日本製糖協会は昭和44年(1969)に日本中小製糖協会を改称して設立された。ホームページでは、砂糖の種類などを紹介している。
ホームページの中で「工場案内」として、千葉県千葉市美浜区にある工場における、原料の搬入から製糖行程・梱包までが解説されている。